はじまり

体を強くうってくる大量の雨の中、夏目は駆け足で帰路を辿っていた。予報にない、学校から出たら突然降ってきた雨だ、傘はもってきていない。これは帰ったら即風呂にはいることになるな、自然と予想できることだった。

━━ガサガサ!!

自分以外に人気のまったくない、うるさい雨の音が聴覚を支配するような帰り道で夏目は湿った葉がなにかと擦れる音を確かに耳に拾った。猫かなにかか。

「えっ──」

猫か何かかと思った"それ"は道のない生い茂った草木の中から飛び出してきて、夏目に軽くぶつかるとそのまま夏目の目の前で倒れた。水色のパーカーをきて、フードをかぶっている"それ"は明らかに"人間"であった。夏目よりは年下だろうと推測できるその小さなものは。
何故こんな小学生くらいの子が急に。ハッとなった夏目はしゃがみこんで、倒れている子供の体を弱くゆさぶった。

「君大丈夫か!?」

動かない子供に不安になった夏目はちゃんと生きているか確認するために子供のかぶっているフードをはずした。そうすると、フードで隠れていた長い黒髪が子供の背中に散らばりこの子供はおそらく女の子だろうと夏目は思った。そして、呼吸をしているか確かめるために子供を仰向けにしようとしたその時、子供が勢いよく立ち上がった。その衝撃で夏目はしりもちをつき、子供を見上げた。

「……」

黒髪の子供はゆっくりと夏目の方を向き、見開いた目で夏目を見る。だが、その子供の様子に夏目は違和感を覚えた。どこかが可笑しい、まるでなにかに。
目があった瞬間、子供は逃げるかのように走り去った。夏目は思わず手を伸ばしたが届くはずもなく夏目は一人雨の中取り残された。立ち上がった夏目はあの子供がまだどこかにいないか視界のなかをさがすが、もう子供はいなくなっていた。
夏目の脳裏には子供の瞳がやきついていた。なにかに怯えるような恐怖するようなそんな色をして僅かに揺らいでいるように見えたあの瞳が忘れられない。あのこは一体。
夏目は走り出す。家に帰るために。その途中、あの子供のことをずっと考えていた。


******


帰宅するなり夏目は塔子に言われるがまま風呂に入り、入浴を終えタオルを肩にかけて自室の壁をぼんやりと見つめていた。ニャンコ先生はぼーっとしている夏目に近付くなり鼻をならしはじめた。

「夏目、お前なんだかにおうぞ」
「さっき風呂に入ったばっかりだぞ……」

ニャンコ先生の言葉が気になった夏目は自分の腕や手をにおってみるが、別段強烈な臭いがすることはなかった。なんだ、嘘かと思ってニャンコ先生に呆れた視線をおくるがニャンコ先生は未だに鼻をならしていた。

「なんだよ先生」
「お前の体臭のことではない。これは妖の悪臭だな」
「妖!? まさかおれになにかとり憑いてるのか!?」
「いや、そうでは……なんだこれは、もう一つお前から妖とは違う別の……これは妖力か? それにしては随分と……」

とりついていないと言うのなら一体なんだと言うのか。ニャンコ先生はぶつぶつ言いながら何かを考えているようで夏目にはなにがなんだか分からなかった。妖と悪臭、この二つから思い出すことはなにもない。今日は登校中に小さな妖をいくらか見た程度でまともな接触はしていない、下校中も──。

「そう言えば今日帰ってくるときに……」
「まさか夏目また私の知らないとこで妖にちょっかいをかけられたのではあるまいな?」
「そうじゃないって! ちゃんと話を最後まできいてくれ先生」

下校中、下校中にみたあの子供にもしかしたらなにかあるのかもしれない。

「今日帰ってくるときに小学生くらいの女の子に会ったんだ。その子、茂みの中から急に飛び出てきてそのまま倒れたかと思えば急に立ち上がって……その時目が合ったんだが、それがどこか怯えてる感じで……」
「ならこの臭いはその子供が原因かもしれんな」
「それってその子に妖怪が……」
「その可能性もあるが、お前が人の子だと思っているそいつが妖だという場合もあり得る。だが、この悪臭と変わった妖力の臭い……その者が人間だとしたらかなりやっかいなことに巻き込まれているだろうな。関わらん方がいい」
「人間……」

雨の中で見た水色のパーカーを着た黒髪の少女の姿、あれは確かに"人間"だった。少なくともあのときの夏目はそう判断した。しかし、あの子供が妖かもしれないと先生はいう。妖? どうみても人間にしか見えないあの子供が? いや、でも明らかに服は人間のそれだった。なら、あのこはやっぱり人間の、子供。

「もし、見えてるとしたら……」

安直だ。妖の悪臭がするというだけであの子供に妖が見えているなどと想像するのは。だが、もしもあの少女に妖が見えていて、妖怪になにかされているのだとしたらどうにかしてやりたい、夏目はそう思った。

「先生、おれ明日あの女の子をさがしてみようと思う」
「私の話を聞いていたかお前!? 関わらない方がいいと言ったばっかりだぞ!?」
「でもあの子が妖が見えるって理由だけで心ない妖になにかされてるんだとしたら、俺はほっとくなんて無理だ」