十三、わからない、今、どうして
日の光が、遠い。
豪華な装飾の中であかあかと光る灯で、室内は明るかった。
しかしそこは、確実に夜なのだ。
三味線の音色が、美しい室内をさらに艶やかに飾る。香の甘い香りが、脳裏の奥深くに眠る得体の知れないものを、揺すって起こそうとする。
名を呼ばれて、桜子は面を上げた。耳元で、簪が清らかな音を立てた。彼女はわざと、ゆっくりと手の中の美しい扇子を開く。
合宿は、本日で三日目となる。今、桜子は目元に赤を飾り、この世の美しいもの全てで包まれた、美しい妓楼の女だった。
七日ぶりに目にする学園には、陽光がさんさんと降り注いでいた。
桜子は思わず、頬を緩める。その隣で、チヨ子が少し心配そうに桜子を見やった。
「桜子、本当に大丈夫? あたし、肩くらい……」
「ありがとう。本当に、大丈夫だよ」
そう言ってにっこりと笑う桜子の左腕は、布で吊られていた。右手の二の腕にも、包帯が巻かれている。
未だ心配そうなチヨ子の肩をぺし、と叩いてから、桜子は門をくぐった。
「小松田さーん、ただいま戻りました」
チヨ子が無事だったのだ。あやのだって、軽傷で済んだ。それだけで、十分だ。
門をくぐると、丁度食満が外出しようとしていたところだった。
食満は桜子を見て、よう、と手を上げる。彼は続いて、桜子の腕を見、目を見開いた。
「これは……ひどい怪我だな……」
桜子は、少し視線を横へ逸らして、頬を掻いた。
「大丈夫か?」
「はい。大事には至ってませんから」
「そうか」
食満は、そう言って安心したように表情を緩めた。彼はぽん、と桜子の頭に手を乗せる。
「お疲れさん」
続いて明るく笑った食満に、桜子はつられて笑みを浮かべた。
実習の、最終日の前日だった。
遊女屋の表口の方で、悲鳴が上がった。
奥の座敷で舞を教わっていたくノ一教室の面々は、瞬時に遊女からくノ一のたまごへと表情を変えた。
彼女たちは、矢羽音で言葉を交わし合い、数瞬の内に行動を開始した。
桜子は、表口へと向かった。実技の成績で学年一を修めている彼女は、真っ先に先鋒に決まった。
屋根裏を伝って、表口へ近づく。天井板の隙間から、桜子は息を殺して下の様子をうかがった。
人相の悪い男が数名、彼女の視界に映った。抜刀している。
その眼には、異様な光が見えた。
(厄介だ)
桜子は、隣に控えているチヨ子へ囁いた。
「奴ら、人を大勢殺った後の目をしている」
「戦かな」
「戦だろうね」
音を立てずに桜子のすぐ後ろへやってきたあやのが、無声音で言う。
桜子は彼女たちに目線を向けた。
時間が経つだけ、学園に親切にしてくれているここの遊女たちが危ない。
チヨ子とあやの、その隣のキヌヨが、目線だけで頷いた。
桜子とチヨ子は、それぞれ別の場所から、男たちの背後へ音もなく飛び降りた。
自室に戻るより先に、見ておきたかった。
桜子は、廊下を歩いていた。手が使えないため、結ばれず自由のままの黒髪が揺れる。
飼育小屋へは、競合地区を突き抜けたほうが早い。しかし、そこは落とし穴だらけだ。
綾部のトラップを、桜子は全て見抜けるわけではなかった。落ちた後、穴から抜け出すために負傷した腕に負担を掛けたくなかった。
飼育小屋まで廊下を使えるだけ使い、桜子は最小限の歩数で小屋へと近づいた。運良く、地面には穴が開かなかった。
入り口から、顔を覗かせる。
檻や壺の中の気配たちは、最近桜子に慣れてきたようだった。一瞬纏う空気が固くなったが、各々すぐに元へ戻っていく。
唯一、一番手前の小さな檻で丸まっていた子狸だけが、起き上がってその円らな瞳を桜子へと向けた。
桜子は、子狸に微笑みかけた。
子狸の尾が、少し嬉しそうに揺れた。
子狸は最近になって急激に、桜子に懐き始めた。それまで子狸が尾を振るのは竹谷に対してだけだったが、先日、飼育小屋へ訪れた桜子を見たとき、甘えるように尾を振ったのだ。桜子は目を丸くして、その隣の竹谷はまるで己のことのように喜んだ。
桜子は、子狸の檻へと歩み寄った。円らな瞳の前に、しゃがみ込む。
子狸は開けてくれとばかりに、前足で檻を引っ掻いた。
桜子は、眉尻を下げた。
「ごめんね、鍵は竹谷くんが持っているの」
子狸には、桜子の言葉がわからない。ひたすら前足を動かしている。
せっかくよくなってきた後ろ足に、負担がかかってしまう。
桜子は、吊られていない右手を伸ばして、檻の隙間から指を入れた。子狸の頭を撫でてやる。
少しして、子狸は大人しくなった。
そのまま撫でていた桜子の耳に、微かに足音が聞こえた。
桜子は振り返る。飼育小屋に入ってきたのは、竹谷だった。
桜子は、挨拶しようと口を開いた。
竹谷は、しゃがんでいる桜子を見た。
彼は、目を大きく見開いた。
「三町! どうしたんだ、その腕!」
竹谷は桜子へと駆け寄り、桜子の目の前に彼女と同じようにしゃがんだ。
桜子は、竹谷の剣幕に少々たじろぐ。
「大丈夫だよ。骨にひびが入ったくらいで」
「どこが大丈夫なんだ!」
竹谷は桜子の頭を叩いた。音の割には、優しい叩き方だった。
桜子は反射的に首をすくめたが、その表情は自然と緩んだ。
「ありがとう、心配してくれて」
竹谷は桜子を見て、目を瞬く。続いて彼は、再び目尻を吊り上げた。
「友人の心配をするのは、人として当たり前だろう!」
竹谷は、本当に温かな人だ。
桜子はもう一度「ありがとう」と笑った。満面の笑みだった。
2013.04.07(投稿)
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