十七、連々たる足跡


忍たまとくのたまの五年生が合同で行う演習には、準備期間が定められている。演習の準備は、相談も含めその期間内でしか行ってはならないとされていて、今はまだその期間ではない。しかし、忍者たるもの、それを馬鹿正直に守っているようではまだ未熟だ。大半のチームは、先生方に悟られぬように作戦を相談したり、情報を集めたりと、準備を開始していた。
桜子と鉢屋も、既に準備を進めていた。
先日、鉢屋が情報を入手してきた。自分たちのチームの演習開始地点が、去年の食満のチームと同じであるというものだ。
開始地点の把握は、作戦を立てる上で非常に重要だ。
桜子は、先日体育委員会が活動し、地面が穴だらけになっていた場所へ向かっていた。
近づくにつれて、踏鋤で土をかく音や、少し高めのはしゃぎ声が聞こえてくる。
案の定、用具委員会の面々が、体育委員会の後始末をしていた。
桜子は、彼らに歩み寄りながら、一人ひとりを素早く観察した。
福富の懐から、饅頭がちらちらと見えている。下坂部の忍装束からは、図書の貸出カードが僅かに見えていた。
桜子は、下坂部に歩み寄った。
「下坂部平太くん」
下坂部は、小さめのシャベルを持つ手を休め、桜子の方を見た。少し顔色が悪いけれど、それが一年ろ組名物であることは、学園の誰もが知っていた。
「あ……えっと、三町桜子先輩……」
「こんにちは」
桜子は、小さく折りたたんだ紙を持った右手で、胸元から白いカードを取り出した。
下坂部の図書カードだ。
「これ、拾ったんだけど、違うかな」
「あっ」
下坂部はシャベルを傍らへ置いて、自分の懐を確かめる。挟んであったカードは無かった。
下坂部は慌てて、桜子へと駆け寄った。上目遣いに、彼女を見上げる。
「ありがとうございますぅ……」
桜子は、下坂部に微笑んで見せた。
彼女も、くのたまだ。これしきのことで罪悪感を覚える段階は、とっくに卒業していた。
桜子は「あっていてよかった」と柔らかく言って、下坂部の手のひらに、図書カードを置いた。そしてその上に、そっと、先ほどの紙を乗せる。
下坂部はそれに首を傾げ、尋ねるように桜子を見上げた。
桜子は、口元に笑みを浮かべた。
食満の視線がこちらに向いているのを、目を向けずに確認する。
彼女はゆっくりと、唇の前で人差し指を立てた。
言外に、内密に、と伝える。
食満の視線が、すっと逸らされた。下坂部が、わかったとばかりに、少し瞳を明るくして頷いた。
桜子はにっこり笑って、小さな声で言った。
「ありがとう。作業が終わったら、委員長に渡してほしいんだ」
「わかりましたぁ」
頷いて、下坂部は図書カードと一緒にその紙を大切に懐へ仕舞った。
桜子は、下坂部の頭を優しく撫でた。
下坂部がぺこりと頭を下げ、作業に戻っていくのを見てから、桜子は食満の方を見た。
頭を下げると、食満は笑って片手を上げた。彼の気立ての良さが表れる笑顔に、桜子は少し安堵した。
一時的に下坂部のカードを拝借したのに理由があると、食満は最初から理解していたようだ。
(内密にしてほしいというのも、わかってくれていたみたいだし……流石だな)
桜子は食満にもう一度会釈して、きびすを返す。
後ろから箱を抱えて歩いてきた富松に手を振って、桜子はその場を後にした。
今夜のために、十分に休んでおく必要がある。

千本が掠めていった首筋が、ひりひりと痛む。桜子は、こめかみを伝う汗を静かに拭った。
彼女は、忍たまの六年長屋の天井裏に居た。ようやく、各々の部屋の部分に差しかかったところだ。ここまでたどり着くのに、幾多の罠を潜り抜けてきた。中にはひやりとさせられるものもあり、また左腕を十分に使えないことも相俟って、彼女は疲労困憊していた。
桜子は再び辺りの気配を探った。
(……あれ?)
桜子は、首を傾げた。
ここから先は、一切罠が無い。
彼女は少し先まで進み、足元の天井板を探った。誰かの部屋の上に来ていた。
どうやら、忍たま長屋には、くのたま長屋のように、侵入者を完全に排除しようという意図は無いようだ、と彼女は考えた。恐らくここまでで侵入者を試し、後は各自で処理するという方針なのだろう。
桜子は、周囲への警戒を怠らないまま、とりあえず胸を撫で下ろした。
一つ深呼吸して、再び足元を探る。
ここで、下りる部屋を間違えてしまったら、全ての苦労が無駄になりかねない。
頭に長屋の構図を思い浮かべながら、桜子は音を立てぬように進む。
しばらくそろそろと移動して、彼女は目星を付けた天井板に、左手をかばいつつ耳を付けた。
僅かに、人の話す声がする。
そのまま口布をずらすと、仄かに薬の独特の匂いがした。
当たりだ。
桜子は、天井板に右手を掛けて、少しだけずらしてみる。
板は、何かにつっかえることなく動いた。彼が文を読んだとすれば、入っても良いという合図と取って良いだろう。都合が悪いならば下から塞いでおいてほしい、と書いてある。
桜子は、自分が通れるだけの隙間を作って、するりと部屋の中へ下りた。
おお、と感嘆の声を上げたのは、善法寺だった。その隣で、食満が桜子に笑いかけた。
「よっ、来たな」
「夜分にすみません」
桜子は頭を下げる。二人は気にするな、と笑った。
二人とも、桜子が訪れてくると知ってか、新緑の忍装束を着ている。善法寺の手元には、煎じている途中らしい薬があった。
食満がこっちへ来いと手招きするので、桜子は二人の隣に、円になるように座った。
すぐさま、善法寺が彼女に詰め寄った。
「怪我に負担がかかるようなことをして! ああ! 首に傷が増えているし……!」
「ごめんなさい」
桜子は、素直に謝った。治療した側からすれば、桜子の取った行動は腹の立つものだろう。
善法寺はまだ何か言いたげだったが、一つ息を吐いて、眉尻を下げて笑った。
「……まあでも、無事に来られたみたいでよかったよ」
本当に優しい人だ。
桜子は微笑んだ。それを見て、善法寺も何だかなあ、と言いつつ微笑んだ。
「しっかし、三町は優秀だというのは本当だな。実習で組んだときから感じてはいたが」
桜子は、食満を見た。
食満は続けた。
「昼間、俺が見ているときにわざと平太に伝言の紙を渡しただろう。何より、六年長屋の屋根裏を目立った怪我もなく通って来られるなんて相当だ」
桜子は、それに笑った。
優秀だと、先輩から褒められるのは嬉しい。
しかし昼間の件も天井裏の罠も、上手く突破できた理由に占める桜子の実力の割合は、小さなものだ。
「ありがとうございます。でも、昼間の件は、食満先輩に頼りっぱなしでした」
桜子がそう言うと、食満は首を傾げた。
「そうか?」
「はい」
桜子は頷いた。
「最初の時点で食満先輩が察して下さったおかげで、すんなりできたんです。それと、ここの罠の数々を通って来たときに、六年生の先輩方の恐ろしさを知りました」
「えっ、でもほぼ無傷じゃないか」
「この罠にかかっている程度の者など相手にならないし、越えてきた者でも、どうとでも対処できる、ということですよね」
桜子は、小首を傾げた善法寺に、そう言った。同時に、今度六年長屋にこっそり罠を仕掛けてみたい、と意気込んでいたチヨ子を、後で絶対に止めようと思った。妙なことをしていると感づかれたら、彼女は恐らく無傷では帰って来られない。
桜子の言葉に、善法寺は照れたように笑った。
「ありがとう」
「なんか、照れるな」
食満は、彼も笑いながら頬を掻いた。
桜子はようやく少し、緊張がほぐれて来たのを感じた。
部屋に染みついた薬の臭いが、彼女の鼻を刺す。
彼女は、自分が頭巾をしたままだと、はじめて気がついた。
桜子は、慌ててそれを取り外しにかかった。
「くのたま長屋の罠は、ここより段違いに恐ろしいんだろう?」
それに笑いながら、食満は言った。
桜子は、頭巾を畳みながら、頷いた。
くのたま長屋の罠は、敵など試さない。全て侵入者の排除を目的に作られている。くのたま上級生の長屋では僅かに易しくなるが、それでもよほどの実力者でなければ、突破はおろか、生還も不可能だ。
「だろうって、留三郎が行ったわけじゃないのかい?」
善法寺が、摺子木を片手に問うた。
とたんに、食満がそうだ! と何かひらめいたような顔で大声を上げた。
善法寺と桜子は、慌てて顔の前で人差し指を立てる。食満はしかし、それを上回る勢いで、桜子に詰め寄った。
「くのたま長屋の罠のことは小平太に聞いたんだ。そのとき小平太が、三町のところへ行ってきたと言っていた!」
「ええっ?!」
今度は善法寺が大声を上げた。桜子は彼にも、慌てて人差し指を立ててみせる。
二人は口を閉じた。しかしその目が、詳しく聞かせろと言っている。
桜子は苦笑した。
「小平太先輩なら、前に確かに頬の掠り傷一つだけで、突破していらっしゃいましたよ」
天上の板が突然外されて、ほとんど無傷の七松が下りてきたときは、死ぬほど驚いた。同時にこの人はものすごい人なのだと、改めて痛感させられた。
「傷一つだけ……」
「はい。普通は、辿り着く前に行動できなくなります。私たちより何代か前の先輩の話では、プロの忍者が動けなくなっているのを発見されたこともあるそうです」
そういえば、と桜子は思った。
桜子が合宿から戻った日の晩、チヨ子に化けて様子を見に来た鉢屋は、天井裏から帰っていった。
翌日は会っていないが、その次の日に図書室で不破も交えて三人で話をしたときは、特に変わった様子がなかった。
流石だな、と改めて感心している桜子に、それで、と二人は続きを促した。
桜子は、目を瞬いた。
てっきり、話はもう終わったと思っていたのだ。
「ええと、その後は、私と、同室のチヨ子と小平太先輩とで、朝までオセロをやっていました」
「……オセロ?」
二人は、目を瞬いた。
桜子は頷いた。
「最初は二対一で組み合わせを変えたりしてやっていたんですが、途中でチヨ子が寝てしまって、そこからはひたすら私と小平太先輩で一騎打ちでした。あ、先輩は明け方に、慌てて天上裏から帰られました」
「……そっかあ」
善法寺が、ふわりと笑った。
「いいなあ、オセロ。今度僕もやってみたいなあ」
「……いや、そういう問題じゃないだろう」
食満が頭を抱えて言った。
桜子は首を傾げたが、建物の外から響いてきたギンギーンという声にはっとした。
桜子は、胸元から裏々山の地図を取り出した。
「食満先輩、一つ伺いたいことがあります」
声色が変わった桜子に、食満は彼も視線を正した。
「ん、何だ?」
桜子は、地図を三人の輪の中央に広げた。
「去年、くのたまと合同で裏々山を使った演習がこの時期にあったと思うのですが」
「ああ。覚えているぞ」
「そのとき、食満先輩のチームはどこからスタートしたのか、教えていただけますか?」
と、食満と善法寺が、顔を見合わせた。
桜子は首を傾げる。
「三町」
彼女を見た食満は、少し笑っていた。
「去年の俺と同じスタート地点からスタートするという情報が入ったのか?」
桜子は頷く。
食満は笑った。彼は、桜子の頭をぐしゃぐしゃと撫でる。
「まんまと先生方にはめられたな」
「懐かしいなあ」
隣で、善法寺が笑う。食満は、ぽんぽんと桜子の頭を叩いて、続けた。
「皆同じ地点からスタートするんだ。場所はこの辺りだが、その情報の出所が先生だとすると、正しいかわからないな」
桜子は食満を見、善法寺を見、目を瞬いて、肩を落とした。
彼女の脳裏で、山本シナ先生が不敵に笑う。どうやら、鉢屋と自分は、裏をかかれたらしかった。
「先生方の伝統なんだよ、きっと」と善法寺が微笑みながら言った。桜子は、顔を上げる。
「僕らも去年、同じように偽の情報を掴まされて、先輩に聞きに行ったんだ」
「そうそう」
食満がうんうんと頷く。
(そうか……)
桜子は、ふと思った。
そっと、二人の尊敬する先輩を垣間見る。
自分たちの前に、この人たちも、同じ足跡を辿っているのだ。
桜子の頬が、ゆっくりと緩んだ。


2013.08.06(投稿)


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