二十三、無垢の月光が包む
布団の中で、桜子は目を開いた。
冴え渡った視界に、天井の板目がはっきりと映る。
昼間に、花房を目撃してしまったのがいけなかった。
桜子は、そっと上体を起こして、ため息を吐いた。ちらりと隣に目をやると、チヨ子は幸せそうに眠っていた。
桜子は、内心羨ましいな、と零して、反対側を見た。
木戸の隙間からは、月の光が細く差し込んでいた。
少し前まで、夜風に夜着一枚は肌寒かったが、今はそうでもなくなっていた。
校舎の屋根に上ると、月は僅かに近く見えた。
桜子は、屋根の一番高いところまで行って、腰を下ろした。結われていない黒髪を、夜風が優しく撫でた。
柔らかな白の光が、淡く学園を包んでいる。
珍しく綺麗な形を保っている校庭や、佇む校舎は人気がなく、美しさを感じてしまうほど、静かだ。
桜子は、己の心が少し凪いできたのを感じた。
彼女は、苦笑した。
(本当に、まだまだ全然だめだな)
動揺は、忍の敵だ。
もっと、自分の感情をしっかり管理できるようにならねばならない。
桜子は、立てた自分の膝を、両腕で抱えて引き寄せた。その間に、口元を埋める。
木々が、夜風に揺られてざわめく。
桜子はしばらく、その音にじっと耳を傾けていた。
とん、と、背後で音がした。
「そんな格好で外にいたら危ないぞ」
桜子は振り返った。
忍装束を着た食満は、彼女に笑いかけて、隣までやってきた。
「食満先輩」
「眠れないのか?」
食満は、桜子の隣に胡坐をかいた。
桜子は、素直にうなずいた。夜風が、彼女の黒髪を梳いていく。
「食満先輩は、鍛錬ですか?」
食満は頷いた。
「鍛錬、というよりは、演習に近いかもしれないけどな。六年生全体で裏々山まで行ってきたんだ。それで、帰ってきてふと顔を上げたら、三町の姿が見えたんで、気になってな」
桜子は眉尻を下げた。
「すみません。疲れていらっしゃるのに」
食満は笑って首を振った。
「いいんだよ。俺が気になっただけだ」
優しい表情の釣り目が、桜子に向けられる。
「可愛い後輩に、何かあったら嫌だからな」
桜子の、少し驚いた顔に、少しずつ笑みが広がっていった。
「ありがとうございます、先輩」
後輩という枠に、入れてもらえている。
非常に嬉しいことだった。
尊敬している存在の、認める枠の内へ入れるというのは、とても幸せなことだ。
七松のときもそうだった。
「……律儀だなあ、三町は」
食満は目を瞬いた後、頬を掻きながら笑った。桜子はそれに笑い返してみせる。
と、屋根の上にもう一つ、足音が響いた。
「桜子」
桜子と食満は、振り返った。
久々知が、微妙な表情を顔に浮かべて、立っていた。
癖のある黒髪が、青い装束の袖と共に、夜風に揺れる。
「兵助」
桜子は、少し眉を上げた。食満が、ちらっと桜子を見た。
久々知は食満に頭を下げて挨拶してから、やはり煮え切らない表情のまま、桜子の方へと歩み寄った。
彼の表情に、桜子は首を傾げた。
「どうしたの?」
「あ……その」
久々知は、長い睫毛を瞬いて、彼女から目を逸らした。
「どうした、久々知」
食満も、少し心配そうに眉をひそめて口を開いた。
久々知は一瞬びくりとする。しかし、彼は食満を見て、ふっと、瞳の色を変えた。
先ほどよりもしっかりとした表情で、久々知は桜子を見た。
白い肌が、月の光でより映えて、彼の美しさを一層際立たせる。
彼は何も言わずに、桜子の左手側の隣へ、膝を抱えて座った。それから、桜子へ顔を向ける。
「左腕の骨、大丈夫?」
桜子は、目を瞬いた。
続いて小さく笑声を立てる。
「まだ添え木は取れないけど、だいぶ治ってきたよ。ありがとう」
「……何で笑うのさ」
「兵助、深刻そうな顔をしてたから、もっと大変な用事かなと思って」
桜子の右隣で、食満も笑う。
久々知は眉尻を下げたが、二人につられて、困ったようにしつつ笑い出した。
涼風が、三人の傍を小走りで駆けていく。
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