三、灰被りへまた一歩
桜子は、欠伸を噛み殺した。
子狸が眠るのを見届けてから、同じく食べていなかった竹谷と夕食を一緒に摂り、長屋に帰った桜子を待っていたのは、涙目でこちらを見るチヨ子だった。
宿題が済んでいないのだ。
瞬時に悟った桜子は戸を閉めたが、間に合わなかった。火事場の馬鹿力の恐ろしさを知った瞬間だった。
下級生の痺れ団子は全部差し入れすることにしよう。決意しながら、桜子は廊下を曲がる。
「お、三町」
「あ」
にかっと笑う彼の髪は、やはり少し乱れていた。
「竹谷くんおはよう」
桜子は、欠伸を殺しながら言った。
竹谷が首を傾げる。
「寝不足か?」
桜子は頷いた。
「同室の子の宿題やってたらすごい時間になってて」
「そりゃ災難だったなあ」
「うん。だから今度ちょっと報復するよ」
「……おほー」
竹谷は、少し顔を引き攣らせた。
廊下に、忍たまやくのたまの姿が増えてきた。いつもより、混みはじめるのが少し早い。
桜子は竹谷に問うた。
「竹谷くんも今からご飯?」
「ああ。あ、今日のBセットは絶品らしい!」
「そうなの?」
竹谷と共に、桜子は食堂へ歩きだした。しかしすぐに、竹谷が忍たま長屋へ続く廊下の方を見て、立ち止まる。
「兵助ー!」
「あ、八左ヱ門」
桜子は、竹谷の影から顔を覗かせた。
長屋の方から歩いてくる少年は、竹谷と同じ色の忍装束を着ていた。
少し癖のある黒髪が、歩く度揺れる。色白な肌と、長い睫毛が印象的だ。
桜子は、彼を知っていた。
久々知は二人の方へやってきて、二人を交互に見た。
「八左ヱ門、三町さんと知り合いだったのか?」
「ああ! といっても昨日知り合ったんだが……って、兵助の方こそ知り合いか?」
「うん」
頷いた久々知に、桜子が続けた。
「私、くノ一教室で使う火薬を準備する係だから。いつもお世話になってます」
桜子が久々知に向き直って頭を下げると、彼はいや、と笑った。
それから三人は、揃って食堂へと歩きはじめる。
「そういや兵助、結局"絶品"って何だよ」
「ああ! 今朝のBセットは豆腐の味噌汁と冷奴なんだよ!」
「なんだ……」
「何でそう落胆するんだよ。冷奴……楽しみだなあ」
目を輝かせる久々知を見ていた、桜子は思わず頬を緩ませた。
「久々知くんって、やっぱり通称は豆腐小僧、で間違いないみたいだね」
「う、三町さん、その呼び名はやめて……」
「くノ一教室にも知れ渡ってるんだな」
「豆腐小僧の異名はね。でも、豆腐好きだっていうのはあんまり」
「よりによってそっちだけ広まったのか」
久々知はうなだれる。
桜子は笑った。
桜子が今までに見たことのなかった表情が、たくさん見えた。
「そういえば」
ぽつりと、久々知が呟いた。小鉢の冷奴は、綺麗に平らげられている。
白く湯気が立つ白米を口に運びながら、桜子は斜め前に座る彼を見る。
久々知は、その大きな瞳を桜子へと向けていた。
「俺、三町さんとこんなに話したのって初めてだよな」
「そういえばそうだね」
仄かに甘いご飯を飲み込んでから、桜子は頷いた。
飲み終わった味噌汁の椀を置いて、竹谷はきょとんと二人を見比べた。
「前からの知り合いなんじゃなかったのか?」
「うーん、文字通りの"知り合い"だったって感じだよな」
久々知の言葉に、桜子は頷く。
今までは、久々知と会っても軽く会釈をし合うくらいだった。火薬の受け渡しをするときも、ほとんど事務的なことしか話したことがない。
「勿体なかったな」
桜子が、思ったことをそのまま口にすると、久々知は頬を緩ませた。
「俺もそう思ってたところだよ」
「俺もそう思う」
竹谷が、真面目な顔つきで続けた。
桜子は、残っていたほうれん草のおひたしへと、箸を運んだ。口に含んだみずみずしい葉は、いつも以上に美味だ。
桜子は改めて、前の席に座る二人を見た。何やら談笑している二人の食器は、既に空だった。
桜子の頬が、自然と緩んだ。ほうれん草の味が増す。
優しい人達なのだ、と思った。
※公式設定では、おばちゃんが忍たま達にご飯を作ってくれるのはお昼だけらしいのですが、この連載では朝・夜も作ってくれているという設定で進めます。ご了承ください。
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