二十八、来る日も来る日もあなたを想った


白いボールが、真っ直ぐ上へ上がる。
桜子は一人、顔を綻ばせた。
ずっと我慢してきたのだ。悪化させてはいけないと言い聞かせて、耐えてきた。
しかしそれも、今日までだ。
桜子は、己の左腕を見た。包帯はもう無い。
完治したのだ。
桜子は、手をきつく握り締めた。
「手も使ってバレー……!」
桜子は、バレーボールを胸に抱えて、校庭の一角に立っていた。
ここは、よく七松が体育委員会の委員たちや、同室の中在家とバレーをしている場所だった。
今日も姿が見えたら、一緒にやらせてもらおうと思って、桜子はここに居た。
(もしいらっしゃらなくても、自主トレできるし)
桜子は、再びボールを上げようと持ち直す。と、遠くから、聞き慣れた掛け声が聞こえてきた。
桜子は、顔を輝かせた。
「小平太先ぱ……」
その人の名を呼びかけて、桜子は慌てて近くの木の上に隠れた。
やってきたのは、七松だけではなかったのだ。桜子は眉を下げた。
他の六年生も、彼の後ろに見えた。
(嫌だというわけじゃないけれど、何となく入るのは気が引ける……)
桜子は人見知りするような性格ではないし、そもそも六年生とは殆どの人間と知り合いだ。七松以外にも、親しくしてくれている食満や善法寺もいる。
(それでも……)
踵を返し、こっそりその場を去ろうとする桜子に、聞き慣れた先輩の声が届いた。
「桜子ー! そんなとこにいないで、一緒にバレーしよう!」
桜子は、びくりと肩を揺らした。
もう一度、そろっと足を踏み出す。
「何でどっか行こうとするんだ!」
完全に、桜子がどこに居るのか把握しているようだ。
桜子は、木から顔だけ覗かせた。
こちらを真っ直ぐに見ていた七松が、にこにこ笑って桜子へと手を振った。
その隣で、食満と善法寺が驚いたようにこちらを見ている。
中在家がいつものように、桜子に小さく手を上げた。
立花が不思議そうな顔でこちらを見ており、何より七松がバレーボールを脇に抱え、早く下りてこいと無言で桜子に訴え続けるので、桜子はバレーボールを後ろ手に隠して七松の前へ着地した。
他の六年生たちに頭を下げて、七松を見上げる。
六年生でバレーをする場に出ていきたくなかったとはいえ、七松に会いたかったのは、確かだ。
桜子は、にっこり笑った。
「こんにちは、小平太先輩」
七松は破顔一笑した。大きな手のひらを、桜子の頭の上に乗せる。
「うん! 桜子、左腕完治おめでとう!」
桜子は、目を丸くした。
桜子は、左腕が完治したと言われてから今まで、七松に一度も会っていない。
「知っていらっしゃったんですか?」
「ああ、知っていた」
七松は笑顔で頷いた。何もかも全て明かりの元へ引っ張りだすような強引さのある太陽だ。
桜子の頬は、自然にゆるゆると綻んでいく。
「嬉しいです」
「私も、桜子とようやくバレーができるのかと思うと嬉しくて仕方ないぞ!」
「小平太」
立花が、食満を押し退けて、二人の傍らへやってきた。
七松は、桜子の頭に手を置いたまま、彼の方を見た。真ん丸の瞳を瞬く。
立花は、桜子にちらりと目をやって、再び七松を見た。
「確か三町だったな……恋仲か」
ぴくり、と柔い黒髪に沈む七松の指が動いた。それを見たのは、中在家だけだった。
桜子はぱちくりと目を瞬いた。
食満と善法寺が大声を上げた。
「ええーっ?!?!」
「……うん! そう、私の女だ!」
「嘘だろー?!」
「うん、冗談だ!」
食満と善法寺が、その場でひっくり返った。
七松は指でくるくるボールを回しながら、なははははと笑声を上げる。
桜子は、立花にお辞儀をした。
「改めて、くノ一教室五年生の、三町桜子です」
「私は立花仙蔵。六年い組で、作法委員会の委員長をしている」
「存じております。先輩は有名ですから」
桜子は微笑んだ。
七松は、視界の端で、彼女を見ていた。桜子が後ろ手に持っているバレーボールも、最初からずっと見えている。
ぱしっと、回していた白いボールを大きな手で挟む。指が、僅かにボールに沈んだ。
「……冗談だ」

邪魔になるだろうと遠慮する桜子に、六年生たちは詰め寄った。
「だめだ! 私は桜子とバレーがしたい!」
腰に手を当てて、七松が言った。それに、善法寺が頷く。
「一緒にやろうよ! 前から小平太とはやっていたんだろう?」
「もうお互い知り合いなんだし、そんなに遠慮するな」
そう言いながら、食満は桜子の頭を撫でた。
「それに丁度文次郎が会計委員会として顧問の安藤先生に呼ばれていてな。人数的に、入ってくれた方がこちらも有難い」
立花の言葉に、中在家がゆっくりと頷く。
もともと、バレーがしたくてこの場に居る桜子は、彼らの歓迎に甘えることにした。
その後、中在家が急遽作成したあみだくじを引き、チームが決められた。
桜子は、食満と善法寺の、六年は組の二人と同じチームとなった。
七松とは敵同士だ。
以前桜子が手作りしたネットを張って、彼らはチームに分かれた。
食満と善法寺が、拳を突き出して軽くぶつけ合う。
それを見ていた桜子に、二人は拳を向けて笑った。
「桜子ちゃんも」
「ほら」
桜子はぱっと笑顔になって、二人に拳を差し出した。

じゃんけんの結果、サーブは食満からとなった。
桜子は、三角形の陣形の、食満の隣の位置にいた。善法寺はネットに最も近い位置だ。
ネットを挟み、善法寺と同じポジションには、七松が居た。
腰を少し落としている。わくわくしていると頬に大きく書かれているのが、桜子には見えた。
かなりやる気だ。
「それっ」
食満がサーブを打った。
桜子は、ぐっと腰を落とす。
「……レシーブ」
まず、中在家がボールをレシーブした。立花が正確なトスを上げる。
口角を吊り上げた七松が、大きく地を蹴る。
「いっけどーん……」
桜子は、善法寺の後ろへと走り出した。
「アターック!!」
ボールが、凶器に変わった。
剛速球が、善法寺のすぐ後ろへと向かう。善法寺が振り向くが、間に合わない。
桜子は、必死で右腕を伸ばした。
長く、七松とバレーしてきた経験が効いた。
腕が届き、非常に痛かったが、桜子は狙った場所へボールを上げることができた。
「おお、さすが!」
七松が言う。
「ナイスだ!」
「ナイス桜子ちゃん!」
食満と善法寺も口々に言う。
ゆっくりと宙に上がったボールに合わせて、善法寺が跳んだ。
「じゃあ僕行くよ! 不運スパイク―!」
「何だそのネーミングは」
立花がつっこむ。桜子は思わず笑った。

柔らかな茶の髪が大きく揺れる。
「桜子ちゃん、よろしく!」
「はいっ!」
桜子は跳んだ。人が居ないところを狙って、スパイクを打つ。
「お見通しだぞ?」
七松がにやりと笑った。
立花が、美しい髪をなびかせてボールを拾う。中在家が、いつものように的確なトスを上げた。
七松が跳ぶ。
「来るぞ!」
食満が、桜子の隣で叫んだ。
桜子はじっと七松の動作を見つめる。しかしどこに打つのか全く読めない。
七松がボールを打った。そのとき丁度、善法寺が動いた。
誰かがあっと声を零した。
善法寺の顔面に直撃したボールは、殆ど勢いを殺さずに、そのまま真っ直ぐ七松の元へと跳ね返った。これには、流石の七松も驚いたようだった。彼は反射的に、ボールを叩いた。
その先は、渡り廊下だった。
桜子は、そこに居る人々を見て、目を見開いた。彼女はすぐさま走り出す。
ボールの向かう先には、五年生の面々が居た。


2015.11.03(投稿)
2017.10.15(修正)



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