二十九、柔らかな頬、透き通る瞳、赤い唇


「これで全員提出したな、合同演習の評価書」
「みんなには悪かったなあ、付き合わせちゃって」
「気にするなよ」
「うん。勘右衛門の評価書の作り方が見れたし、僕にとっても良い機会だったよ」
「おっし! 今から何する?」
まず初めに、彼らの耳に、恐ろしい速さで迫ってくる何かが風を切る音が聞こえてきた。
続いて、それを追うような足音が聞こえてくる。
五年生の五人は全員、揃って左を向いた。
白いバレーボールが、有り得ない速度でこちらへ飛んできていた。
ボールは真っ直ぐ、彼らの先頭に立っていた不破へと向かっている。
「ええ?!」
不破は、目を見開いた。鉢屋がすぐに反応する。しかしそれよりも早く、桃色の人影が凄まじい速さでボールに迫ってダイビングレシーブした。
ボールは元来た方へ弧を描いて飛んでいく。代わりに今度は、走ってきた桜子が体勢を崩した。
彼女の体が、廊下の脇の柵を越える。
背後を振り向いた桜子は、焦った顔をしていた。
背中から廊下の板の上に投げ出されそうになった桜子を、二本の腕が抱きとめた。
思わず目を瞑ってしまっていた桜子は、背中の暖かな感触にゆっくりと目を開けた。
円らな茶の瞳と桜子の瞳とが、合った。
「あ……」
桜子は目を瞬いて、胸を撫で下ろした。
それから、不破に笑いかけた。
「不破くんありがとう。びっくりしたよね」
「いいよいいよ」
不破は、桜子へ柔らかく笑みを浮かべてみせた。
尾浜がおお、と声を上げた。
「それって、巷でいうお姫様抱っこだよね」
「へ?」
不破と桜子は、揃って素っ頓狂な声を上げた。
続いて、桜子が少し照れくさそうに笑った。
「そうなんだ。されたのって、初めて」
「僕も、初めてかも」
「あ、今降りるね。ありがとう」
桜子は、すとんと不破の前に着地した。
竹谷が問うた。
「何してるんだ?」
「バレーだよ」
「また足だけのかい?」
「違うよ。左腕、完治したの」
「おお! おめでとう!」
「桜子!!」
不意に遠くから名を叫ばれて、桜子はその場で跳び上がった。
「何してる! 早く続きをやるぞ!」
「小平太先輩!」
「え?!」
久々知と不和と尾浜が、素っ頓狂な声を上げた。
走り出そうとした桜子に、久々知が問う。
「七松先輩とバレーしてるのか?」
桜子は笑って頷いた。それから五人に手を振って、六年生が固まっている方へと駆けていく。
「桜子、七松先輩と仲良かったんだな」
「だから三町さん、あんなにバレーが上手なんだ……」
「それより三郎、さっきから黙っているが、どうかしたのか?」
竹谷の問いに、鉢屋はん、と顔を上げた。
鉢屋は、不破を見た。
不破は首を傾げた。
「三郎?」
「いや、何でもない」
鉢屋は首を軽く左右へ振った。四人は訝しげな顔をする。
そこへ大声が割って入った。
「そこの五年生五人!」
七松の声だった。
「はい!」
揃って返事させるだけの迫力が、その声にはあった。
七松は、ボールを片手にニッと口角を吊り上げる。
「お前たちも入れ! 一緒にバレーしよう」

六年生とバレーボールをする機会など、滅多にない。
プロ忍に最も近いと言われる六年生は、五年生よりも更に、授業や演習、そして任務で忙しいのだ。
何より、六年生が楽しそうにバレーボールをしている中へ、入れてほしいなどと入っては行けなかった。
「では、チームのメンバーを発表する」
五年生は、非常にわくわくしていた。
「楽しみだな!」
竹谷の言葉に、尾浜が何度も頷いた。
「まずチームサラストだ。メンバーは私、長次、三町、久々知、竹谷、不破だ」
立花が、あみだくじで決まったメンバーを読み上げた。
「一緒のチームだね」
彼らの方へ歩み寄ってきた桜子は、手拭いで米神の汗を拭いていた。頭巾は外され、高い位置で結われた黒髪が、風に揺れていた。
「よろしく」
久々知が微笑む。竹谷はぐっと拳を握ってみせた。
「頑張ろう!」
続いて、七松が紙を手に取った。
「いけどんチーム! 私と留三郎と伊作、それから尾浜に鉢屋だ!」
彼らは、ネットを境に二チームに分かれた。
前を見た桜子と、七松の視線が合う。
不意に、七松が神妙な顔付きになった。
「桜子」
少し低い声で、彼は桜子を呼ぶ。
「何ですか?」
桜子は首を傾げる。
七松は一瞬、瞳に不思議な色をした光を過ぎらせたが、結局、普段見せる明朗な笑顔になった。
「私が勝ったら、団子おごって!」
桜子は少し青くなった。
「何皿、ですか?」
「そんな細かいことは気にするな!」
「細かくないんだけどな……」
「桜子が勝ったらどうする?」
「私ですか?」
桜子は口元に手を当てた。
七松が、何かを賭けてくるのは珍しいことだ。
勝てば、更に貴重な彼に言うことを聞いてもらう、という機会が貰える。
桜子は少しの間考えて、七松を見上げた。
彼女は、破顔一笑した。
「一日、一緒に遊んで下さい」
そう言ってから、桜子はサーブの順番を決めるため、チームメイトの集まっている方へ駆けていく。
七松は、近くにやってきた中在家に、呟くように言った。
「私……負けよっかなあ」

いけどんチームは、強かった。
チームサラストには、優秀な六年生立花と中在家、運動神経も良い久々知と竹谷と不破、そして七松とのバレーに慣れていてバレーの技量では他より秀でている桜子が居たが、それでも勝てなかった。
七松が、想像以上に秀でていた。加えて、学園きっての武闘派の食満と、武芸の腕では六年生にも劣らないという鉢屋が居た。七松をマークしきれない状況で、残りの面々も攻めてくると、チームサラストにはどうやってもひっくり返せなかった。
桜子は、手拭いを頭から被ったまま、木陰に足を伸ばして座り込んでいた。
後半のいけどんチームの嵐のようなアタックで、すっかり体力が底をついていた。全く動けない。
七松とバレーをした後、彼女はたいていこのような状態になった。
二人でやるときには、七松が桜子が動けるようになるまで隣で一緒に涼んでくれた。
今日は、中在家と三人で行うときと同じように、まだ動ける人間が居るので七松は彼らと遊んでいる。
酷使した心臓は、未だうるさく高鳴っている。深い呼吸を繰り返して気を鎮める桜子の隣に、人影が並んだ。
「お疲れ、桜子ちゃん」
腰を下ろしたのは、善法寺だった。桜子が手拭いを持ち上げた向こうに、少し火照った善法寺の顔があった。桜子が抜けたときにはまだバレーボールを追いかけていたが、涼みに来たようだ。汗に濡れた柔らかな栗色の髪が風に優しく揺られている。
「先輩もお疲れ様です」
「うん! あー、楽しかったね」
善法寺の周りには、大きな木の木陰に居るような、心が穏やかになる空気があった。桜子は、首筋を拭っていく風が一層心地よくなったのを感じた。
頭の上に被せていた手拭いを取り去る。耳の上を微風が渡っていく。「いっけどーん!」という声を悲鳴とが届いた。鉢屋でさえも、七松のスパイクにはたじたじのようだった。思わず綻ぶ。
「三郎でも難しいんだ」
途端に善法寺がびっくりしたように桜子を見た。
桜子も、驚いて目をぱちくりさせる。
「先輩?」
「あ」
善法寺は一、二度せわしなく瞬きした。丸くなった黒曜の瞳にびっくりした桜子が切り取られている。
亜麻色の髪が緩やかな風に揺れる。善法寺だけが時を止められたかのように、少しの間動かなかった。
木々の揺さぶられる音が幾重も響く。
彼の言葉をじっと待つ桜子の前で、急に善法寺の頬の赤みが増した。火のつくように突然で、彼自身がひどく驚いたように更に目を丸くしている。
「いや! その」
善法寺は慌てたように手をわたわたと動かした。珍しい。秘密にしていたことが見つけられてしまった子供のようにも見える。
「……うん。なんでもないんだ」
なんだか微笑ましくて笑い出してしまった桜子を、善法寺は眩しそうに目を細めて見つめた。


2015.11.03(投稿)
2017.10.15(修正)



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