七、とろける瞳で追う


「そういえば……」
湯のみを片手に、久々知がぽつりと呟いた。
桜子は箸を置いて、久々知を見る。どうしたんだ、と竹谷が問うた。
久々知はすっと視線を上げて、桜子の方を見た。
「実習のペア、三町さんに頼もうと思ってたんだけど」
「一足遅かったな」
ひじきを箸で掴みながら、鉢屋は口角を上げた。久々知は苦笑する。
「みたいだな」

竹谷が、箸を持ったまま、頭を抱えてうなだれた。
その隣で、久々知が苦笑する。鉢屋の横顔は面白そうに笑っていた。
そして、竹谷の前に座る彼女は、くすりと仄かに微笑んだ。
富松は、己の頬に異常に熱が上るのを感じた。彼女がこちらを見たわけでもないというのに落ち着かなくなって、視線を俯かせる。
左胸の奥で、心臓が早鐘を打って苦しい。実技の授業や、級友を捜し回るときにどれだけ駆けても味わうことのない、全身がきゅうと締めつけられるような苦しさだった。
少しでも熱さを逃がそうと、富松は口内に冷水を含む。と、彼の前で、お盆を置く音がした。
富松は、顔を上げた。そして、慌てて頭を下げる。
「食満留三郎先輩! お疲れ様です!!」
「おう」
委員会が同じの、頼りになる先輩は口角を緩めた。実習をしていたのか、彼の装束にはところどころ、土や、焦げたような跡があった。つい先日、突然背後から両手で目をふさいでくすくす笑った彼女も、同じような汚れ方をしていた。
やはり、五年生、六年生ともなると、実習も過酷なのだろう。
「そうだ、作兵衛」
食満の声に、富松は我に返った。
また、気づかぬ内に彼女のことを考えていた。富松は気恥ずかしくなる。
「何ですか?」
「お前、この前一人で生物小屋の修繕をしたそうだな」
「あ、はい」
富松は、頷いた。頭を撫でた桜子の手のひらを思い出す。
再び赤くなりそうになって、富松は慌てて、頭を振った。
食満は一瞬きょとんと富松を見た後、笑みを浮かべた。
「よくやってくれたな。助かったぞ」
先輩からの褒め言葉に、富松は素直に喜んだ。
偉大な存在として尊敬する相手から褒められて、嬉しくないはずがない。
「あ、ありがとうございます!」
食満は、それはこっちの台詞だと笑った。
絶妙な柔らかさに炊けている米を咀嚼して、食満はふと、思いついたように富松を見た。
「そういえば、お前、生物小屋を直しに行くとき、くノ一教室の子と一緒だったろ」
富松は目を二、三度瞬いて、見開いた。
「えっ、先輩いらっしゃったんすか?」
「長屋の壁の修理をしていたんだが、はしごが必要になってな。取りに行くときにちらっと見えたんだ」
そう言って、食満はお茶をすすった。
富松は、その肩越しに、五年生の先輩達と共に立ち上がった桜子を見る。彼女を目で追ってしまうのは、もう随分前からの富松の癖だった。
「くノ一教室五年生の、三町桜子先輩です。よく左門や三之助を捜すの手伝ってくれて」
「へえ、そうなのか」
おばちゃんが居る台所へ、ごちそうさまでしたと桜子が微笑んだ。
富松は、食満へ視線を戻す。
「はい」
富松の頷く声は、ひどく暖かかった。それに目を瞬いた食満は、続いてそうかと笑った。
「そういえば以前、その三町と実習でペアを組んだことがあったな」
「え、五年生と六年生が?」
「ああ。合同の実習でな。そのときは番号で行ったから名前は知らなかったんだが、たぶん作兵衛と居た子だろう。めちゃくちゃやり易かった」
食満の言葉に、富松は思わず笑みを零した。
富松は、嬉しかった。自分だけでなく、学園中の者がその実力を認めている食満が、桜子を良く評価したのが、自分のことのように嬉しい。桜子が嬉しそうに笑う様子が、瞬時に脳裏に浮かんだ。
今の言葉を伝えたら、彼女は己に、大好きな満面の笑みを浮かべてくれるだろうか。
「桜子先輩は、優秀な人っすから」
もし自分がそう言ったならば、彼女はどんな言葉をくれるだろう。
富松の胸が、きゅう、と狭くなる。悲しくもないのに、彼は不意に泣きたくなった。
ああ、先輩に会いたい。
もう随分前に出て行ってしまった後ろ姿を追う瞳が、恋情の熱にとろける。



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