零れ桜に想いを馳せて


 元々性別にこだわりがあるわけじゃなかった。声も低いし、背も高くて、髪の毛が長いのがなんとなく鬱陶しくて伸びたらすぐに切って、顔立ちも中世的で、服装もボーイフレンドライク。胸は人並みに成長したけれど、女子トイレに入ってビックリされてまじまじ全身見られて「ああ、女の人なのか」とあからさまに顔に出された事もしょっちゅう。ちなみに中学高校では「男よりイケメン」「ハンサム」と評されて名前の読みを変えて男っぽく「ケイ」と呼ばれる事が多かった。
 ボカロを好きになって、カラオケで歌うとうまいと言われた。調子に乗って歌い手として動画を乗せると思っていたより反響が大きくて楽しくなった。動画の再生数が増えていくと広告もたくさん再生されて学生ながら懐は豊かになっていき、機材をそろえたり素人ながらかなり本格的に活動してしばらく。アイドルにならないかとあの「愛故に」のシャイニング早乙女にスカウトされた。
 昔っから要領だけはいいほうだったから受かった一流大学も、バラエティ(主にクイズ番組)で役立つだろうとご厚意で通い続けられるそうだし、初めはこれまで通り顔も見せない匿名の歌手として売り出し話題性をプッシュする方針だから撮影もない。ただ、その間にいろいろと勉強しておくようにと釘を刺されてしまったのだが。
 と、まあこんな具合で芸能界デビューが決まったわけだが、もちろんここに書いたようにすんなりことが進んだわけではない。今までは顔も出していないし名前だって公開していない。ただの趣味の範囲内と大目に見られていたわけだが、それで食べていくとなると両親は親として猛烈に反対した。いくら大手の事務所とはいえ、趣味でやっていただけで音楽の勉強もしたことのない娘が売れるわけがない、それだけでやっていけるなんて確証はどこにもない、折角いい大学に行けたのだから就職も堅いだろうにどうして危ない橋を渡ろうとするのか。今まで反抗期というものが大してなかった娘との大喧嘩は両親を大いに疲れさせた。最後は反対することに疲れたのか、殆ど勘当同然で送り出された。
 その後何とか売れることができたので、関係は修復されとても良好である。歌を始めて7年目、デビューして4年目の春。無事に大学を卒業して、ついに素顔公開の日がやってきた。正直よくこんなに伸ばして焦らしてを繰り返したのにファンがついたのか信じられなかった。そして、素顔を見せてガッカリされる、謎が多いという商品価値を失って興味喪失…なんて考えて少しナーバスになったり。

「あー 緊張してきたー…」

 今年は例年より暖かいからか桜がちらほら咲き始めている。ベリーショートの黒髪が春一番に煽られてぶぁっさばさになる。太めのバングルと細めのものをいくつか着けた右手をガチャガチャ言わせながらあげて、髪の毛を乱雑にかき混ぜて整える。髪の毛にいつの間にか桜の花びらが混じっていたようで指に引っかかった。手のひらに乗せたそれをふぅっと息で飛ばす前に風が攫って天高く舞い上がる。
 そのままぼーっと見送っているとバンと背中を叩かれる。「イッテェ!」と色気のない声を上げると、追い抜かしていったロードバイクに乗った奴がこちらを少し振り返ってフッと笑った。笑いやがったなあいつ。イラついてこめかみを思わずひくつかせるが、あいつにイライラするのすら馬鹿らしくなって、かぶりを振って雑念を振り払う。
 今日から今期の新人が全員揃うので顔合わせをすることになっている。ウチの事務所にはマスターコースと言ってデビューしたての新人が困ったとき、悩んだときに相談できる先輩としばらく共同生活を送るシステムがある。蛍自身これからケイとして素顔を公開するわけだしまだまだアイドル(?)としては新人で、そんな自分が後輩を指導するなんて、と一度は断ろうと思った。しかし蛍の担当は作曲家の子らしい。確かに最近の曲は全て蛍が作曲しているので問題ないとは思うが、まさかそっちで先輩になるとは…と微妙な思いでいる。
 今度はごつい指輪をはめた左手でつまんだ煙草を口元へ持っていく。ふぅ、と紫煙を吐き出してから第一印象は大事だとまだ少し長いそれを地面に放って靴底でぐりぐり踏みつぶした。匂いがついてないといいけど、と思いながら両開きの洋風なドアを開けた。アイツが追い抜かしてからかなりの時間が経っていたのは、まあ、春の穏やかさに自然と歩くスピードが遅く…いや、思わず立ち止まってしまいたくなったからだ。

「Love is all!QUARTET NIGHT」

 丁度先輩の紹介ということでQUARTET NIGHTのパフォーマンスが終わったところらしい。いいタイミングといえばいいタイミングだ。ただ、パフォーマンスといってもそのものはホログラムを活用していたようで、あの甘党は消えた。まあ、彼は担当する後輩がいないという話は聞いていたが、なんだか損なようなラクしてそうな。

「あらぁ…遅かったじゃあなぁい?」
「ゴメン林檎ちゃん。桜がきれいでつい一服しちゃってね」
「お前なぁ…一応これから先輩って立場になるんだし、これからお前も現場に行って仕事するんだ。時間にルーズな奴はすぐに消えるぞ」
「龍也さんまで…ま、これからは気を付けますよ」
「あの…この方は…?」

 おずおずといった様子で小さくて女の子らしい彼女が聞く。桃色のさらっさらの髪の毛、まんまるでちょっとおっとりしている目、華奢な肩。全てが「女の子らしい」「かわいい」で彩られた少女だ。そんな彼女にずずいと寄って顎に指をかけ上向かせ、そのままするりと頬を撫で上げる。

「君が七海春歌ちゃんだね?」
「えっと、あの…」

 七海!ハルちゃん!七海さん!レディ!彼女の楽曲でデビューを決めた今年の新人、大物だと事務所の人間の多くが一目置いているST☆RISHの面々が揃って彼女の名前を呼んで殺気立つ。同性同士だってのに酷いなぁ。ま、こうなると分かっていてちょっかいを出す方もなかなかだけど…ね。

「みんなケイって知ってるかしら?」
「確か…元はボーカロイド楽曲をネットにアップしていたいわゆる歌い手で、その活動が社長の目に留まってデビュー」
「顔出しNG、ブログやプロフィールも公開されておらず、中世的な声や後ろ姿で性別すら定かでない…その謎を数多にヴェールに隠しているがゆえに人々の興味心を煽り話題沸騰」
「だけどだけど、すっごいファンも多いんだよね!」

 林檎ちゃんが一ノ瀬トキヤ、聖川真斗、一十木音也に答えてくれてありがと、とお礼を言ってから少しもったいぶるようにして「この子がそのケイなのよ!」と高らかに宣言する。それに合わせて「どーも」と片手をあげて軽く挨拶する。

「こんなカッケー人があの曲歌ってんのか…納得したぜ」
「とても綺麗な方ですね」
「ケイはアイドルとしてはこれから顔出しをして行くから、そっち方面ではお前ら同然だ。だが、最近の曲は全部自分で書いてんだ。七海、お前の担当につく」
「ケイ…さん…?」
「よろしくね、春歌ちゃん」

 興奮気味の来栖翔にぽややんとしたまま感嘆する四ノ宮那月。補足を入れてくれた龍也さん。ぽつりと名前を呼んでくれた春歌ちゃんに、語尾にハートだか星だか音符が付きそうなくらい軽いノリで挨拶をする。もちろん最近練習して習得したウィンクも忘れずに。さっきからそうだったが、キスでもできそうな近距離に戸惑う初心な春歌ちゃんがかわいくてしょうがない。
 すると、気付いたら背後に唯一先ほどから静観を決め込んでいた神宮寺レンが立っていた。彼は春歌ちゃんの頬に触れていた手を自分の手のひらの中に閉じ込めて、後ろから抱きしめるような体制に持ち込んだ。おとなしくされるがままになっていると、生唾を飲み込みながら見守っている一同の姿が見えて、ちょっと間抜けで笑ってしまった。

「いたずらにしてはオイタが過ぎるんじゃないかな、レディ」
「ありゃま、よく分かったね」
「俺の目を甘く見ちゃいけないよ、子羊ちゃん。俺はこの世のレディ全員を愛する男だからね」
「えっちょ、まっ…!どどど、どーなってんの!?」
「はぁ…こいつ ケイは女だ女!」
「一応言っておくけど、ケイは年齢性別、その他基本的なプロフィールまで全部秘匿よん。ち・な・み・に!私たちもこの子も、一回もケイは男だなんて言ってないわ。あなたたちが勝手に勘違いしたのよ」

 みんな誤解したことを謝ってくれたけど、ぶっちゃけ気にしてないんだよなぁ…。見抜けないの前提でからかっていたわけだし、もはやネタで自分でもどっちか図りあぐねていたり勘違いしている人を見るのが楽しかったりする。だから龍也さんがため息つきながら補足してくれたわけだし?むしろ一発で見抜いたレン君にびっくりだわ。オネエサン脱帽。

「どーも、改めまして。本名は仁科蛍、正真正銘女だよ。ケイはほたるの読み方を変えただけなんだ。呼ぶときはどれでも良いよ。これからよろしくね」

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