獣の速贄

この人は、毎度毎度、どうしたら懲りてくれるのか。

「なぁなぁみぃ!なあーにボーッとしてんだこるぁ!!」

別に初めてのことではないが、突然呼び出されたかと思えば、既にこの状態。もう顔見知りになりつつある店の店主に問えばここに来る前からこの状態だったらしい。ウイスキーのロックと言われてその店主が出しているのはただの烏龍茶。目の前の女性はそれに気づくことも無く、それがアルコールだと思ってぐびぐび飲んでいる。
店主の慣れた対応に感服しながら、その泥酔状態の女性の隣に座る。彼女は満足そうに笑って、私の頭に手を置いた。

「七海はえらいねえ、いつもちゃんと来てくれるねえ」
「そりゃあ放ってはおけませんから」

それは本心。そこに隠された本音があることを、彼女はとっくに知っている。だからこそ、事あるごとに私を呼び出して、介抱させるのだろう。
高専時代の、一つ年上の先輩。入学当初から恐らく気にかけてくれており、彼女なりに可愛がってくれていたのだと思う。特別私に世話を焼いてくれていた。他人に妬まれるほどに。不思議に思われるほどに。私が術師ではなく一般人として社会に出ようとした時も一番応援してくれたのは彼女だし、こちらに戻ってきた時も一番喜んでくれたのも彼女だった。
それが何だ。今ではただの都合のいい男でしかない。

「こんなに無茶な飲み方をして、何があったんですか?」
「それを言うにはまだ早いよ!はい、七海も一気!」

マスター!テキーラ!と、二つ頼むことを意味するピースサインを店主に向ける。店主はにこやかに了承したが、「これみたいに烏龍茶だったら殺す」と付け加えられ、まさか気がついていたなんて、とこのただのなんてことは無い酔っ払いに、二人で目配せをし、警戒した。
そうして出されたのは正真正銘のテキーラ。彼女が見張っていたので小細工は出来ていない。
彼女はそれを受け取り、満足そうに笑って、私にもそのライムの乗せられたショットグラスを持つように促す。こうなってしまえば、従う他はない。

「Cheerz!」

グラス同士がぶつかる。そのまま彼女はそれを丸呑みし、少し噎せたのち、ウイスキーと偽られた烏龍茶を口に含む。私も飲まなければ何を言われるか分かったものではないと、同じように一呑み。少しばかり、喉の焼けるような感覚は多少あったが、驚くほど度数の高いものではなかったらしい、前に無理に飲まされたウォッカよりは大分落ち着いた飲み口で、意識を混濁させるようなものではない。

「で、なにがあったんですか」
「ん?えっとねえ、えへへ、じゃーん!」

突然自分の服を捲りだし何事かと思えば、血の滲んだ雑に巻かれた包帯。傷口は見えないが、その血液量で相当な怪我をしていることなんて誰にでもわかる。

「家入さんの治療は!?」
「やだあ、3級にやられたとか、恥ずかしいモン」

恥ずかしいもクソもない。こんな傷を負いながらアルコールをここまで飲むなんて相当狂っている。
すぐにタクシーを手配して会計を済ませる。アルコールのせいか、怪我のせいかでふらついてろくに歩けもしない彼女を抱えて店を出る。いつもはふんわりと石けんのような香りがする彼女でも、今ばかりは酒臭い。恐らく煙草も吸ったとみえる。

「家入さんのところへ行きますよ。途中で伊地知くんの車に乗り換えます」
「やだ」
「子どもですか」
「そうだよお、高専生のときからなーんにも変わってない、子どもだよお」

恐らく長年の彼女のコンプレックス。彼女は高専生時代から3級呪術師。そんな術師も決して少なくはないが、同期に特級呪術師や、優秀な反転術式の使い手がいれば比べてしまうのも無理はない。
しかし単独行動は許されてないはずなのに同行した術師や補助監督はどうしたのか、と問えば

「ん?そっこー帰ったよ」

と、あっけらかんと言う。3級討伐に2人で赴き更に同行者にこんな傷を負わせといてそそくさ帰るその術師にも腹が立つし、状況をろくに確認もせず術師をそのまま帰す補助監督にも腹が立つが、一番腹が立つのはこの目の前の彼女だ。
到着したタクシーに抵抗する彼女を無理やり押し込み伊地知くんとの合流場所を伝える。泥酔した彼女を運転手は迷惑そうに見ていたが、特別嫌味を言われることも無く車は発進する。
彼女を見やるとえらく不機嫌そうに口を尖らせていた。怒鳴ってやりたいのは山々だが、この酔っ払いに今何を言っても無駄だということは痛いほどに知っている。

「傷を見せてください」
「やだ、七海のえっち」
「さっき恥ずかしげもなく晒してたのは誰ですか?」

問答無用で服を捲りあげ、自分でやったのだろうか、緩く巻かれた包帯を解く。どうせ酩酊状態だからと予め水を買っておいてよかった。車を汚さないよう、タオルに水をふくませてその肉の抉れたような傷口に当てる。痛かったのか、冷たかったのか、肩を跳ねらせて、涙目になった瞳が、私をとらえた。

「七海、ごめんね」
「今更」

謝るくらいならこんなことをしなければいいだけなのに、と毎度思うが彼女はそれを繰り返す。さすがに軽傷とは言えない傷を放置してることには驚いたが、彼女の心境を考えるとこうなっても無理はない。

「七海」
「なんですか」
「今日ね、あなたみたいな術師にはなりたくないですって言われちゃった」
「…誰に」
「知らない。ずっと年下の新人くんだよ」

そんなことを言われたのか。なるほど、それで自棄酒。
酒を浴びるように飲んだところでその言葉を忘れられるわけではないというのに。本人も分かってはいるんだろうが、酒に手が伸びてしまうのだろう。

「…そりゃあこんな頻繁に酒に溺れるような大人にはなりたくないでしょう」
「あは、確かに。でもそういう意味じゃないよ」

そういう意味じゃない。と、彼女は言葉を繰り返す。
じゃあどういう意味だと聞くほどでもない。私の口からは、これ以上何も言えない。

「七海は、昔から私に優しいね」
「あなたこそ」
「まあ、そうしてほしいから、そうさせるように私がしたんだけどね」

その通りだ。私は貴女に骨抜きで、そうさせたのは間違いなく貴女自身。
高専時代から思わせぶりな態度、仕草、言葉。それなのに何度告白をしようが受け入れてはくれない。そんな私もいつまで同じ相手に懸想しているのかと、彼女の同期である五条さんにろくな女じゃないからとやめておけと、何度も言われた。
愛は呪いだ。私は彼女に、呪われているのだ。

「でももういいよ、あなたを解放しましょう」
「介抱してるのは私ですが」
「ちーがーうー!七海って馬鹿なの?」
「あなたにだけは言われたくありませんね」

傷口をタオルで抑えている手に力が入る。痛い、と小さく呻いた彼女の顎を掴んで、ずっと俯いていた顔をあげさせると、愛らしい、涙ぐんだ目が私のことを見つめる。

「わからないんですか?」
「なにが?」
「私がいつも貴女の言いなりになっている理由です」
「……惚れた弱み?」

キョトンと首を傾げるその姿も愛らしい。しかしまるで分かっていない。こうも長年弄んでおいて、私のことを何一つ分かってない彼女。それすらも愛おしくてどうしようもない。

「あなたが私がいないと生きていけないようにする為ですよ」
「……わあお」

おっかないね。とおどけた様子で言う。なんだ、存外つまらない反応だと思ったら、急にスマートフォンを取り出して、どこかに電話をかけ始める。

「伊地知、今どの辺?あ、ごめん、来なくていいよ。帰って。七海は大丈夫。は?いや知らんけど。んじゃね」
「…何を?」
「運転手さん、そのインター降りたとこで止めて。ホテルあるでしょ、そうそこ」
「ちょっと」

傷はどうするんですか!と思わず食い気味に問い詰めると、「治った」とケロッと言う。いやあの傷が治るわけがないと抑えていた腹を見ると、確かに治っている。
訳が分からなくて顔を顰めているとその顔を見て彼女は無邪気な子どものようにケラケラと笑った。

「反転術式…。嘘でしょう」
「隠してたの、使えるの」
「一体…何のために」
「わからないの?」

私が先程言ったような口振りで強気な笑みを浮かべる彼女が、車内の窓から覗く月明かりに照らされて、妖艶で、見蕩れてしまう。

「七海に心配してもらう為だよ」

日頃、五条さんに言われ続けた言葉がようやく理解出来た気がする。
ろくな女じゃない。
あいつはとんだ詐欺師だ。
七海の手に負えないからやめておけ。
もしかして五条さんも彼女のことを好きで、そう言っているのかと思っていた時期もあったがどうやらそうではないらしい。
それは恐らく、本当のことなのだ。

「…名前さん」
「私は最初から七海なしじゃ生きていけないよ」

タクシーの中なのもお構い無しに貪るような口付けをされる。息の仕方を忘れるくらい、濃厚で、扇情的なもの。

「騙されたね、七海」

見た事のないような獣のような顔に、なぜか下半身が疼いてしまう。こんな彼女は知らない、彼女のことをまるっきり何一つわかっていないのは、私の方だったのだ。