01

「なんじゃあこりゃああ!!!」

それは、繁忙期も落ち着いてきた夏の終わり。ジーパン刑事よろしく私の断末魔が高専に響き渡った。

「ウヒャヒャヒャヒャ!見ろよ名前の顔!!」
「うわ、派手にやられたな」
「女の子の顔にすることじゃないよ、悟」
「まじではっ倒すぞ!許せねえ!」

とりわけ可愛いともブザイクとも言わないけど愛しい私の顔が、見るも無残な程に穢されている。死ぬほど暇な一般教科の授業中に居眠りをぶっこいて、どうやらこのクズに仕掛けられたらしい。
すぐにトイレに駆け込んで洗面所で顔を洗う。鏡を見るが、顔は無惨なまま。

「落ちない!?まさか油性ペン!?」
「ブフッ、フハハハッ」
「まじで、まじで最悪だ!今日の任務どうしてくれんだ!!」
「ああ、今日名前のお気に入りの人とだったけ」
「あの一級の?」
「そ、ブフッ、その顔で行ったら…ぐ、ふ…っいいんじゃね??ひっ、んふふ」

油性ペンで私の顔面をキャンバスに描かれたラクガキ。繋がった眉毛。瞼に目。鼻の穴は広げられ、汚ねえ髭とか鼻毛とかも描かれてる。油断した。こいつの隣で居眠りなんてしたらイタズラされるに決まっているのだ。なのに補助監督の授業がつまらないからって眠りこけて、このザマだ。

「き、昨日ゆっくりお風呂にも浸かったしトリートメントもしたしネイルもしたし高いパックもしたのに…酷い…」
「いや、そんな変わんねえよ?っふは、その男も気づかねえんじゃねえ?」
「可哀想に名前………、ふふ」
「日焼け止めで多分落ちるから…っ、安心しなよ、ふ、ふふ」
「おめえらも笑ってんじゃねえか同罪だ」

そしてきっとこのクズが授業中私の顔にラクガキしてるなんて他の二人も気づいていたに違いない。たった四人のクラスだもん。なんなら担当の補助監督も気づいていたはずだ。
ああ、今日の朝の肌のコンディションは最高だったのに。さすが1枚1000円のパックを使っただけあったのに。なのに、もう油性ペンのせいでぐっちゃぐちゃになってる。額に描かれたうんこが一番腹立つ。

「悟も分かりやすいな、知っててやったんだ」
「いや名前が浮かれてるから面白くて」
「まじでやり方がガキだよな。名前、そんな強く擦らなくても落ちるから。肌荒れるよ」
「嫌われたらどうしよう…」
「それくらいで嫌われるなら望みねえだろ」
「るせぇ!こっちは必死こいてようやくデートまでこぎつけたんだぞ!台無しになったらどうするのさ!」
「…は?」

うわーん!と泣き真似で唯一の女の子の同期、硝子に縋り付いておんおん声をあげる。ちょっとくらい罪の意識でも感じてもらわなきゃ気が済まない。まあ私の安い涙にどれほどの効果があるか分からないのだけど。

「悟、どこ行くの」
「…トイレ〜」

そう言って私の顔にイタズラを施した張本人は教室から出ていってしまった。うん、効果はなかったようだ。仕方なく顔を上げて舌打ちをすると、硝子はまたまた私の顔を見て笑って、「早くどうにかしなきゃね」とカバンから日焼け止めを出して私の顔に塗り始める。日焼けなんて今まであんまり気にしたことなかったけどこれからは持ち歩くようにしよう。またいつこんなイタズラされるか分からないから。





「名前」

名前を呼ばれてハッと目が覚める。え、うそ私また寝てた。突っ伏していた顔を上げると私の席の真ん前に悟が立っていて、まさか、と思い手鏡を確認する。あれ、ラクガキない。謝罪でもしてくれんのかなと首をかしげて言葉を待っていると大きなため息をつかれてしまい思わず手が出そうになったのをぐっと堪えた。私えらい。

「今日の任務、俺と行くことになったから」
「は?なんで?」
「長期任務が急に入ったらしい。だから日曜の約束も行けないだとさ」
「はあ!?意味わかんないなにそれ!」
「知らねえ」

誰が決めたんだそんなこと。上層部か?上層部なのか?まじで許さん。
絶望に打ちひしがれていると悟に首根っこを掴まれて持ち上げられる。そうか、もう任務の時間か。
行ってらっしゃいと二人の同期に見送られ、悟に引きずられながら教室を出ていく。もうモチベなんて何も無い。歩くのも億劫だから、大人しく悟に引きずられておくことにした。

「てかなんで悟と一緒なんさ。それなら私行かなくていいじゃん」
「呪力強化の為だろ。名前弱えから」
「いいよどうせ頑張っても3級止まりよ」
「せめて2級狙え」

自分が特級だからと偉そうに。でも偉そうに言えるくらい実力はあるから何とも言えない。

「なあ、名前日曜空いてんの?」
「え?私あなたからさっき予定がキャンセルになったことをお伝えいただいたと思うんですが」
「暇だな。じゃあ出かけんぞ」
「えー、傑と硝子空いてるかな?」
「別に二人でもいいだろ」

ふむ、まあ確かに、と思って、「いいよ」と返事をすると私の首を掴んだ手が少しだけ震えたのが分かった。
いい加減苦しいからちゃんと自立して、今度は横並びになって歩く。
ちらりと悟の顔色を伺うと少しだけ柔らかな表情をしていて、少しいたたまれない気持ちになった。

『アイツ絶対名前に惚れてるよ』

以前硝子に言われた言葉。ことある事に弱っちい私を虐めてくる悟に、しんどい気持ちになって硝子に泣きついたことがあり、その時にそう言われたのだ。
正直、そうだとは到底思えない。もしそうだとしても虐めてくる理由が分からないし(硝子曰く恋愛観が小学生だから)、私みたいにどこにでもいる平凡な女を好きになるような人とは思えない。
きっと硝子の勘違いだろう、と自分の中で納得しているんだけど、そんなことを言われたからにらこの隣の男は私のことを好きかもしれないという自惚れは消えたりしない。しかもこうやって、二人で出かけようとか言ってくるし。

「どこか行きたい場所でもあるの?」

でもこんなのたまたま行きたい場所とか付き合って欲しい場所があったからかもしれないし、と思って聞いてみる。だけど「ん、あー…、」と言葉を濁しながら、どこに行くか考えているような素振りを見せたのでそうではなかったようだ。ますます自惚れは強くなる。

「…あー、あいつとはどこに行く予定だったんだよ」
「え?普通にご飯食べて映画でも見ましょうって。くそ定番だよね」
「じゃ、それ」
「え?」
「それ、俺もする」
「ご飯食べて映画見て?」
「うん」
「…それいつも寮でやってんじゃん」

みんなでご飯食べて悟の部屋に集まって映画鑑賞会なんてもう何度したことか。そう言うとむくれた顔して「それとは違ぇだろ」とむくれた声で言うから、反射的に謝罪の言葉を口にした。まあ確かに映画館で見る映画とテレビで見る映画は違う。

「じゃあ、映画行こっか」
「ん」
「楽しみだね」
「…ん」

さてそろそろ補助監督が待つ駐車場に着くぞ、といったところで、悟が急にピタリと止まった。ずっと横を歩いてたからすぐに気がついて、「どうしたの?」と後ろを振り返る。すごく背の高い悟は私の顔を見ようとすると必然的に首を曲げることになるからこんなの肩がこるだろうなあなんて思っているとやたらと真面目な顔して私の顔を見つめてきて、少し警戒してしまう。なんだ、こんな大男に見下ろされるとやっぱりちょっと怖いんだよ。

「俺、お前のこと好き」
「へっ」

そして投下された爆弾発言。すき、と、そう聞こえたんだけど、聞き間違いか?いや、確かに言ったぞ、好きって。やっぱり硝子の言ったことは本当だったの?悟って、本当に私のことが好きだったの?「えっと、その、え?」と顔が熱くなるのを感じながら混乱してると悟はフッと鼻で笑って私の頬を大きな手のひらでむぎゅ、と挟んできた。口がぶにっと突き出ているのが分かる。でも、この目の前の人間が何を考えているのかは、全く分からない。

「ばーか。本気にした?」
「んえ」
「っぷ、くく、マジになってんなよ」
「…嘘?」
「当たり前。俺みたいなナイスガイがお前みたいなイマイチ女、好きになるわけないだろー?」

笑ってる。目の前の男は、私の動揺した顔が傑作だとか、ドッキリ大成功とか言って、私を指さして笑ってる。
やっぱそうだ、硝子の勘違い。悟が私のことを好きなんて有り得ないし、私だってこんな女の子に対してイマイチとか言ってくる奴はまっぴらごめんだ。

「任務行かない」
「は?」
「呪力強化なら夜蛾先生に稽古つけてもらってるし、任務自体は悟だけで十分でしょ。あと日曜も無理。やっぱり私その日は美容室行くわ」
「なに、怒ってんの。冗談だろ」
「怒ってない。悟が私のこと嫌いなのは分かったから」
「嫌いとか言ってねえじゃん!」
「…私は嫌い」
「…え?」
「私は悟が嫌いだよ」

恥ずかしい。悟が私のこと好きかも、なんて勘違いも甚だしいし、嘘と言われた時に少しだけショックだったのも、恥ずかしい。なんとなくプライドだって傷ついたし、勢いにまかせて「嫌い」と伝えると、目の前の男は大きな目をさらに大きくして瞬きもせずに私をじっと見たまま固まった。
嫌い。嫌い。私のことを揶揄って、虐めてくる悟なんて大嫌い。
逃げるようにその場から立ち去って急いで寮に戻る。理由なんて分からないけど涙が出てきて硝子の部屋に押し入ってひとしきり泣いた。
なんで私が失恋したみたいになってんの?バカみたい。