Caligula
 鈴虫の声が聞こえる。静かな夜だ。
 夜半の冷たい空気を肌に感じるが、体は汗ばむほどに熱を持っていた。
時折身体に走る、電流のような衝撃に反射的に手が動くが、それを咎めるように、あるいはなだめるように柔らかく誰かの手に包まれた。
 男の手だ。しかも、ひどく懐かしい。そんな気がする。
相手の手も温く、体温が溶け合うような心地よさは、境界が曖昧になる恐怖も孕んでいた。頭が働かない、思考が霞む感覚にリィンはゆるくかぶりを振った。
「あっ」
唐突にばね仕掛けの人形のように身体が跳ねた。反射の動きだ。爪がシーツを引っ掻いて白い波の形を変える。全身を受け止めるシーツの肌触りは柔らかくきっと良い品に違いない。思わず額を擦り付けた。




 ようやくジークフリートは状況を理解した。
何故か仮面が外されている広くなった視界に映るのはどこかの室内。夜の薄暗さの中、カーテンのない窓からは月の光が覗いている。
ここはおそらく仮眠室だろう。飾り気のない簡素な部屋。調度品はベッドと趣味のいいサイドテーブルだけだが、男ふたりが乗り上げても悲鳴を漏らすこともない。
 ジークフリートはベッドの上で誰かを組み敷いているようだった。それもまた奇妙な事である、と命令以外を与えられていない彼はどこか他人事のように思う。物事を額縁の外から見ているような。
この青年は寝る時にきちんと寝巻を着て布団に入る。知らないはずなのに、そう断言出来そうだった。しかし彼は今、どう考えても衣服を身に纏ってない。体温で温くなったシーツが、ここにいた時間が決して短くないことを教えてくれる。



 奇妙だ。おかしい――仰け反ったままだった首をゆっくりと元の位置に戻した。なぜか身体がひどく鈍く、動きにくい。強張っているようだった。
ぎゅっと瞑っていた瞳を開ける。睫毛の縁に涙が溜まっていたのか、雫は頬を滑り落ちていく。
身体を見下ろす。
前に、未だに恋焦がれる、顔。


「……え」

 自身の上に覆いかぶさる人間が想定外だった。そもそも誰かが同じ寝台の上にいたこと自体がリィンには未知であった。
白い髪に赤い瞳。無表情の陶器人形のような美貌が、そこにあった。
歳を追い越してしまった筈なのに、その身体は今のリィンよりも逞しい。晒された均整の取れた美しい肉体に、思わず赤く染まった目を逸らしてしまう。身動ぎしようとして、それが出来ないことに気が付いた。
 リィンの左足はなぜかジークフリートの肩に持ち上げられていたからだ。
ぱちぱちと瞬きをして、リィンは自身の格好を見下ろしていく。目の前のジークフリート同様、リィンも何も身に付けていない、生まれたままの姿だった。見覚えのある衣服はジークフリートの背後でベッドから落ちかけている。

 男が二人ベッドの上で全裸だった。
 それだけならばよくはないがそれはともかく置いておくとしても、体制が。
情報が多すぎてをパニック通り越して冷静にすらなってきていた。
 いくら疎いリィンでも分かる。
 すると、抱え上げられた左足に柔らかなものが押し当てられた。擽ったいような、そうではないぞくぞくした何かのような。思わずその部位に視線を移すと、リィンの左足に唇を滑らすその瞬間を見てしまった。あまりの色気にぱくぱくと声にならない声を上げるリィンに、赤い瞳がこちらを向く。
流し目で真っ赤に茹だったリィンを見つめるそれは、ちろりと舌を出しあろう事か舐め上げた。
きゅん、と力が入る。
すると同時に何かを締め上げた。

なにかはいっている。
なにが。

「え、うそ」

思わず溢してしまった間抜けな声が室内に落ちる。パニックを通り越して冷静になったはずだったのに、メビウスの輪の如くパニックになってしまった。

――これは話にしか聞いたことはないが、つまり、男同士の性行為ではないか。

「な、なにしてるん、っ!」
「っ!」
 思わず喚くも、寝そべったまま大声を出せば必然的に腹式呼吸になってしまう。下腹部がぎゅうと動けば、中に入った男の陰茎を締め付ける結果になる。困惑から感覚に意識が切り替われば、もう駄目だった。
「あ、あぁあ!」
 内臓を押し上げる痛みと圧迫感。内壁に擦れる熱い体温。全身の毛が逆立ったような衝撃は電流にも似てリィンの背筋を駆けのぼる。身体に感覚と意識が付いていかず、一人痙攣し始めた下腹部から送られる感覚を処理できない。

 本来の用途で使う器官ではないから、物凄く痛いのだとは聞いていた。いや、別にいつかクロウと出来たらとかそんな疚しいことは思っていない。いないったらいない。いなかったのだが。

「ひ、はや、はやく……ぬい、ぬいてっ」
「離さないのはお前だろう」

 顔に血が集まり、かっと熱くなる。縋るものが欲しくて目的もないまま指をシーツに彷徨わせた。
仮にも急所である性器を食まれているというのに、ジークフリートは淡々としていた。もしや快楽を感じれないのでは、と一瞬たじろいだが、己を杭のように貫く肉棒は、熱く太く、どくどくと脈打っていた。
 リィンは結局、誰とも何ともならなかった。好意を寄せてくれる女性も居たが、心はずっと「あいつ」にしか向いてなかった。でも、あいつはもうこの世には居なくて、利子すら返さず、最後までカッコつけて。会いたくて会いたくて、ランディさえも重ねてしまう程に囚われているのに。
それが、何故だかとっくに出来上がっている身体で身体は彼との性交に耽っている。

「くろうっ」
零れたのは弱々しく、切羽詰まった普段のリィンからかけ離れている声色だった。
衝動に突き動かされ、重なったままの右手を強く握る。違うと分かっているのに、止まらない。止められない。想いが、溢れて溺れそうになっている。

「っ」
ジークフリートの目が驚きに見開かれ、やがて応えるようにしっかりと手が握り返された。見下ろす瞳に侮蔑や嘲笑の色はなく、まっすぐありのままの青年を見つめている。


「……とりあえずその、抜かないか?」
リィンのパニックが収まってきた頃合。恐ろしいことに萎えてもいないそれは、まだリィンと繋がっている。
リィンの言葉に、ジークフリートは黙る。やがて開かれた声は、いつもの声よりずっと低い、唸り声のような不穏な色を帯びていた。

「……記憶が混ざっている」
「え?」
「お前の痴態に、興奮している」
「……なっ!?」
無表情で淡々と伝えられた言葉に、リィンは目を白黒させた。
ジークフリートはまず、クロウの記憶を持ってないはずだ。し、しかもなんだ。興奮しているってなんだ。まるでクロウが、自分をそういう目で見ているような。
ジークフリートはリィンの顔をしばらく見降ろした後、息を吐いた。そしていつも通りの無表情で。

「付き合って貰おう」
ず、と腰が大きく引かれる。
 収まっていた質量が抜けていき、ごりごりと躊躇なく内壁がこすられる。熱が抜けて急速な寒さを覚えた瞬間、再び陰茎が同じ場所に納まる。大きなストロークの動きで挿入を繰り返す腰の動きを止めようと、リィンは強張ったままの手を伸ばす。首を左右に振りながら拒絶を示しても何の効果もない。

「ひっ! あ、やぁ、まって、あ、まってやだ……んあ!」
「………」
 下腹の一部を陰茎でこすられるたびに身体が跳ねた。
ジークフリートを押しのけようと伸ばされた手は男の腹筋の上を虚しく滑るだけで、肩に担ぎあげられた脚にジークフリートの指が強く食い込む。

「あ、ああっ、や! やめ、やめろっ!」
 恋焦がれた人と繋がっている。でも、これは違う。身体はクロウでも、心はクロウではない。でも、こんな。こんなまるで「愛し合う恋人のような」交わりは、リィンの心を麻痺させた。
クロウとは、こんな関係になっていない。それどころか、好きとすら伝えれずに、永遠の別れを迎えてしまった。女神は、連れて行ってしまった。
揺さぶられ腹部で揺れるリィンの陰茎からだらだらと透明な汁が飛び跳ねる。快楽に支配されつつあるリィンに、ジークフリートは目を細める。夢だ、と呻く声と、甘くクロウと囁く声。

「は、あ、あっ、なんで、こんな」
「無茶をいうな。こんな状況でやめれるものか」
 普段の凛とした姿からは想像出来ない、迷子の子供のような表情。青年、と言うよりも少年らしさが強く映る姿で、ジークフリートの下でよがり泣く姿は男の本能的な征服欲を煽るには十分だ。

「あっ、あっ、なに、何、か……っ、イく、イっちゃうからぁ……あ!」
「……っ」
腰の動きが早まる。リィンの腹が細かく痙攣し、まるで搾り取るような動きにジークフリートの射精感も急激に高まる。

「クロウ」
「……ああ、リィン」
 手を伸ばしたのはリィンだったか、ジークフリートだったか。
薄い唇から自然と零れ落ちた声色にはこの甘ったれな青年への愛しさしか詰まっていなかった。
身体を前に倒し、リィンに覆いかぶさるように唇を奪った。くぐもった悲鳴を口の中に飲み込み、舌を絡めてリィンの全てを奪うように腰を動かす。
リィンの締め付けが強まる一点を穿ちながら奥に叩き付けると、睫毛が触れ合いそうな位置にあったリィンの目が見開かれた。

「ん、ん、んんう!」
 呼吸が大きく乱れた。前立腺を刺激されたことによる射精は通常の自慰よりも強い快感を引き起こす。背中を逸らせて硬直し、ぎゅうと中を絞られる。ジークフリートもその衝撃に吐精していた。
全てを出しつくすために惰性で小さく動かしていた腰もようやく止まり、二人は荒い息を吐きながら徐々に弛緩していく。

絶頂の余韻に浸るリィンは、恐ろしいくらいの色気を見せていた。
休ませねばなるまい。そう考えるのは当然のことだ。

「くろ、う」
うとうとと、ほとんど閉じかけていた瞳が最後に写すものを探している。ジークフリートは青年の横に自らも身を横たえ、自分よりも小さな身体を抱き込んだ。
「ここにいる」
耳元で囁けばリィンの手が自然とジークフリートの肌を滑る。胸板に埋めた顔からはすぐに穏やかな寝息が発せられ始めた。
自分以外の体温と呼吸と心音。やがてジークフリートも静かに目蓋を下した。




 目が覚めたら、誰もいなかった。
いや、最初から己ひとりだったのだ。

ぼんやりと窓から覗く月を見上げてから、リィンは腕で目元を覆った。
夢にしては大層リアルだった。
自分の未練がましさを、愛するクロウに、記憶を失いジークフリートとなってしまった彼でも構わないから犯されたいという深層心理を見せつけられたような気がして、リィンは静かに震えた。

そっと忍び寄る足音に、気付かないまま。
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