Caligula - 灰の独白
邂逅は突然だった。
オリヴァルト殿下からの依頼をこなしたリィンは鬱蒼と茂った森に野宿のテントを張って休息を取っていた。騎神を使うこともないと今回ヴァリマールはカレイジャスに置いてきている。
存外に落ち着いて、いっそ浮ついた雰囲気すら漂っているのは今回の依頼が比較的楽に終わったからだ。魔獣対策の導力の灯りに照らされながら、リィンは得物を手に取りひとり鍛練に打ち込んでいた。クロウは食後ならぬ一戦後の一杯を楽しんでいる。クロウ。裏切られたかつての旧友と共に夜を明かそうとしているのだ。
としての本性を表し、貴族派として行動するようになったクロウとの接触は今回が初めてではなかったが、リィンは己は気でも狂ったのかと自虐した。それでも彼の側を離れる気のない自身にため息もつきたくなる。しばらくすると振るっていた刀を終い手近な木に凭れながら、双剣の手入れをする"かつて"の想い人を見つめる。
視線に気づいたのか、クロウが顔をあげた。紅の瞳がこちらを見る。一瞬だけ、それでも絡めとるような熱を孕んでいる。居心地が悪くてすぐに目をそらした。この言葉にし難い逢瀬を繰り返しているものの、声をかけられることは無い。かけることも無い。
たった数ヶ月、姿を見ていないだけなのに身長差がまた開いたような気がした。着痩せするらしいクロウはサボり常習犯とは思えないほど均等の取れた身体をしている。あの時は何故だとか生まれ持った差なのかやら検討違いも甚だしい解釈をしていたが、それらの理由が分かるようになると、それはそれで大層不満である。
ギャンブルが好きで年下からお金をくすめ、ナンパのことしか考えていない問題児。誰とでも気さくに接し誰も近付けない、男。そうだ男だ。幼い頃には中性的な顔立ちと言われたこともあるけれど、誠に遺憾だが未だに実年齢より年下に見られることがあるにしても、成長しきった今となっては異性に間違われることなんてまるで無い。見た目は可愛げもない男。性格だって“可愛い”ものじゃない。そんな俺を、あいつは抱く。
「このままいれるぞ」
「…っ」
「リィン」
「……」
返事のかわりに、するりとクロウのふくらはぎに足を絡ませた。まるで女のようだと心の中で自嘲する。いつの間にか手に入れていた楽な体勢も、声の殺し方も……媚び方も。クロウのためなんかじゃない。俺のため、そうだ自分のため。そうとでも思わないと、敵同士、裏切られた人間相手にこんなことやってられるわけがない。
学生だったクロウはふざけてばかりだった。その遊びが実力に裏付けされたものだということはさすがに俺だってすぐに分かった。反動の大きい銃を二丁、軽々と扱いさらにアーツも難なくこなせる。足も早く誰よりも周りをよく見ていて欲しいときにサポートがくる。味方なら頼もしい限り、敵になってからは厄介で仕方ない。言うまでも無く、その評価は実力に値している。
クロウは強敵と戦っている時、笑う。狂気すら孕んで、紅の瞳を滾らせて笑う。目前の敵が強ければ強いほど、傷を負えば負うほどあいつは奮い立つ。まるで生き急いでいるかのように。
その姿を恐ろしく思い、同時に美しく儚いとも思った。
一泊してから帰還することになり、その晩俺は不寝番だった。焚き火の中、枯木がぱちぱちと音を立てていた。周囲は真っ暗で、魔獣の気配も無い。テントの中ではクロウが寝ているはずだった。
話の流れなんて覚えていない。どうせ取り留めのない会話だ。眠気をごまかすための繋ぎの会話。絶えず襲い来るあくびと闘っている俺と違って、テントから起き出してきたクロウは妙に目が冴えているようだった。それも無理はない。先ほどの魔獣との戦いの興奮を引きずっているのだろう。あれとの戦闘は依頼とは全く関係なかったが、手配魔獣並の強さを誇っていた。どうやらここらのヌシだったらしい。どかから途もなく現れたクロウは、何も言わずに共闘してきた。ARCUSでリンクしている訳でもないのに、手に取るようにあいつの行動が分かるのは起動者としての何かか、あるいはずっと見てきたからだろうか。珍しく手応えのある敵を目の前にクロウのスイッチが入る瞬間を見てしまったものだからそれはよく分かる。
「リィン、眠いか?」
「……あぁ」
「俺は眠くない」
「…あぁ」
「寝れねぇ」
「あぁ」
「……リィン」
「あぁ……?」
適当に返事をしていたことを咎められるのかと思った。もしそう言われたのなら眠いものは眠いのだと返すつもりだった。名前を呼ばれて、顔をあげて。ぎらぎらと光る紅の瞳と目があった。目を細めて。クロウが獲物を見る目で俺を見ていた。
獲物。
なんで?
俺が答えを出すより早く、クロウは口を開く。
「リィン」
「……」
情けないことだが怖いと感じた。いつもと違う。いつものクロウじゃない。いつもって――なんだ。俺はそんな風に言えるほどこいつを知っているのか。何一つお前のことを俺は知らない。知っているつもりになって、舞い上がって、勝手に傷付いた。なら見ているのか。違うといえば嘘になる。
熱に浮かされたような目で、ちょっとだけ戸惑いを見せた指先で、結局は熱い掌で。触れてきたそれを拒みもせず受け入れた理由なんて言うまでもないだろう。
つまり俺はクロウのことが好きだった。だから許した。利用した。獲物はどっちだ。喰ったつもりで喰われているのはお前なんだよ、馬鹿野郎。
始まりはそうだった。一度で終わると思ったそれは大して間をおかず続けられた。クロウの気持ちなんて読めなかった。もとより本心なんて知りたくもない。現実を見据えたくない。クレアによって暴かれたあの仮面の下のこの素顔を信じたくなかった。敵である自分をどうしてそんな目で見るのか。追求しなければ真実なんて知らずにいられる。
それでよかった。
溶けそうだ。
筋肉質な腕に、広い背中に爪を立てる。眉をわずかに寄せて笑ったのがぐずぐずの視界でもなんとか見えた。馬鹿だ。本当に馬鹿だ。
収まらない熱を間違った方法で昇華しようとする。間違った方法。間違ってるんだ。こんなこと駄目なんだ。だけど俺は振りほどかない。絡んだ指を更に握りしめる。好きなんだ。ニヤリと笑うその笑顔も調子のいいところもそれでいて兄貴分なところも。広い背中もキラキラ透き通る銀色の髪も紅の瞳も優しく頭を撫でてくれた手もなにもかも。
ざらざらした木の幹が背中にこすれて少しだけ痛い。その痛みを上回る快感に目頭が熱くなった。目の前の首筋に抱きつくとクロウのにおいがする。離したくない。このままでいたい。うら若い乙女のような恥ずかしい思考も今なら許されるだろうか。力の入らない体を揺すられて必死に声を堪えた。
蒼の独白
なんとなく居場所は分かっていた。それが起動者としての何かか、この少年に対するいつまでも昇華しない想いからか。放蕩王子やカレイジャスの目が届かない深い森に感じた気配を追っていつのまにかふらふらとここまでやってきていた。リーダーがふらりと居なくなるのは常のことなので彼らはあまり気にしていないだろう。中々に手応えのある魔獣とかつて自分にだけなついていた少年の戦闘に無言で割り込んで本来の武器を振るう。ARCUSも二丁拳銃もあの日以来使っていない。リィンは相当うまくなった。だけどそれは己を犠牲にする傲慢さが無くなったわけじゃない、だけど周りがそれをどう思うのか考えるようになった。その成長ぶりは他のZ組メンバーが驚くほどに。俺はなんだか自分のことのように嬉しい半面、前みたいに言えなくなってしまったことにちょっとだけ寂しさを覚えていた。「甘ったれ」って言いたい。言わせてほしい、なんて。
一心不乱に刀が振るられる音を聞きながら俺は持ってきていた小瓶の酒をたしなんでいた。無言で勧めてみるものの、想像通りの反応が返ってきて、思わず笑みが零れる。しばらくして音が鳴り止み、ジッと視線を感じた俺はちょっとだけ緊張してるのを自覚しながらリィンを見た。目があった。紫の瞳が自分と同じ紅蓮にかわり、煌めいた光が俺を見ていた。心臓が跳ねたが、なにか言うよりも早く目をそらされてしまう。あ、と口だけが開いた。名前くらい呼ばせてくれてもいいじゃないか。
リィンが好きだった。過去形で言ったけれど、過去のことじゃない。現在、たった今。結局昇華など出来なかったのだ。おそらくこれからも。例えどちらかが息絶えたとしてもこの想いは何万年、はたまた輪廻してさえ続くような気もしている。ぎこちなくリィンの首筋にかかった毛をかきあげる今ですら、好きで好きで堪らない。指先が震えないことが信じられないくらいに。
なにがどうなったら――そんな切実で真剣で醜い気持ちを伝える前に体を繋げるなんてことが有り得るのだろうか。俺が聞きたい。
リィンは――この、甘えを知らない子供は。拒否しない、拒まない、逃げない。あっさりと俺を受け入れる。……本当にあっさりなのか、わからないけれど。だけど俺の腕の中で唇を噛む姿はたまらなく愛おしい。内心の緊張を隠して頼んだ“お願い”は無言でもって許可された。ふくらはぎに絡んできた脚が俺をひき寄せる。その煽るような所作に背筋がぞくぞくした。
俺はリィンの内心はわからない。リィンだって俺の心中を分かるはずがない。俺はなんでお前を抱くのかって?好きだから。じゃあなんでお前はなにも言わず俺を受け入れるんだろうか。俺のことが好きなのか?なんて――今さら聞けなくて、今さら言えなくて、ただひたすらに臆病だった。浚って閉じ込めちゃえばいいって?そう簡単に事が進めば、なにも困らない。本心では思っていたり妄想していたりもする。
結局俺は狡いんだ。曖昧にすることで現状維持。
それでいいわけがない。
そんなこと分かってる。
太陽の下が似合う少年の側に嘘にまみれた俺がいてはならない。俺なんかを追ってきてはいけない。もし、俺がお前を好きって言ったら、こいつはどんな反応をするのだろうか。曖昧に頬をかくか、真っ赤になるか、呆れるか、あの時のように絶望を混ぜた声で俺の名前を呼ぶのだろうか。
今さら言葉を交わしても仕方ない。だって俺はこの手に掴めてるんだ。もう離したくなんかない。
溶けそうだ。
きっと俺だけじゃない。リィンの目だってとろけきっている。色事になるとまるで覚醒したかのように紅く煌めく瞳の目尻から大粒の涙が堪え切れずに零れ落ちる。壮絶な熱と色気と欲を秘めて俺を見上げてくる。凛とした佇まいでこんな事には興味ないと言わんばかりの空気を纏う少年は、ほとんど立っていられないでしがみついている。そんな彼の上目遣いが楽しめて、なんというか非常に興奮する仕様になっている。リィンの爪が肩に背中に食い込む。その痛みが嬉しくて思わず笑ってしまった。声にならない声に、拠り所を求める指先に、熱い吐息に腰が甘く疼く。
不意に白い腕が伸びてきた。え、と思う間もなく首筋に抱きつかれる。体を繋げておいて今さらかもしれない。だけどあまりにも近すぎる距離が――たまらなかった。鼻をかすめるのはほかでもないリィンのにおい。無意識なのかもしれない、肩口に額をすりつけられる。癖っ毛の髪が触れて、くすぐったくて。ああ、もう。大好きだ。
少し乱暴かもしれないと思ったけれど我慢もできなかった。
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