Caligula - 今日は朝から嫌な天気だった。
それは昼過ぎの今も相変わらずで。
鉛色をした空をひとりの少年が足早に歩いていた。
髪は漆黒で赤いコートを身に纏い、少年特有の幼さを残した顔にはめこまれた瞳は、鮮やかな薄紫色をしていた。
「雨が降る前に帰らないとな」
少年――――リィンは空を見上げた。
簡易墓地に着くと、リィンは足を止めた。
今回のオリヴァルトからの依頼は、この廃村に出る手配大型魔獣の掃討。Z組のメンバーはみなそれぞれの持ち場があり、手の空いていたリィンがひとりで受け持った。みんな今のリィンをひとりにしてはいけないと反対したが、無理矢理押しきって飛び出すようにカレイジャスから降りてきたのである。ヴァリマールは置いてきた。
手配魔獣自体は、あっけなく片付いた。
それは自身が強くなった証拠であったが、リィンの表情は晴れない。繋ぎ止めておきたかった大事なものはもう隣にいないから。その事実はリィンの心に大きな影を落としていた。
ぬるい風を顔に浴びながら立ち上がったとき、風に乗った水滴がリィンの頬に当たった。
とうとう、雨が降り始めたらしい。
鉛色の空からどんどんと雨粒が落ちてきて、リィンの髪や、肌や、コートを湿らせていく。
「くそっ」
カレイジャスまでだいぶ距離がある。
全速力で走ってもおそらく濡れ鼠になるのは避けられないだろう。 ヴァリマールを呼んでも来てくれる保証はない。気力もない。
そう判断したリィンは、雨を凌ぐ場所を探しに、廃村を走った。
リィンは、簡易墓地から少し行ったところにある今にも崩れ落ちそうな建物の中に飛び込んだ。
入り口のガラスが割れ、その破片が床のあちこちに散らばっていた。図書館だったのだろうか。あまりにも大きい本棚がその用途に使われず放置され、埃の積もった巨大な机や長椅子が薄暗い室内に佇んでいる。
この廃村は昔、禁忌を犯し"消された"村らしい。詳しい説明はされなかった。興味も湧かなかった。エマが顔を曇らせたが、どうやら彼女らの里ではないようで、それだけ分かればあとはどうでも良かったのだ。
人の住まない建物は朽ちるスピードが速い。そのために、一般の建物よりもずっと脆くなっており、かなり危険なので一般人はまず近寄らない。
昔に地図から"消された"村だからか、 一般人が入ってくるということもないのだが。
「嵐だと言ってたけど……まあ、いけるか」
リィンとりあえず雨の吹き込んでこない場所まで建物の中へ進む。
嵐のせいで万が一建物が崩れるとまずいので、あまり入り口から離れすぎないようなところで足を止め、その場で腰を下ろした。何かあった時のために体力はできるだけ残しておかねばならない。嵐がどのくらいで去るのか、あるいは弱まるのかはわからないが、長時間立ったままではいざという時に足が鈍ってしまう。
埃っぽい空気に咳き込みつつ、座って静かに呼吸をしているうちに、リィンはだんだん眠気に侵食されていっているという感覚に気付いた。
この頃リィンは全く眠れていなかった。
眠ると、あの時の永遠に続くと信じていた日々がフラッシュバックし、彼の本気と放たれた言葉に飛び起きる。その言葉はまるで言霊のようにリィンに絡み付き、締め上げる。息をするのも一苦労の日々が続いていた。
Z組のメンバーもそんなリィンに気付いていたが、何かが出来るわけでもない。そんな彼も心配だが、もっと警戒すべき事柄もあった。彼らは表面上第三の勢力として、オリヴァルトに手を貸しているが、実際はリィンのため。自分たちを救ってくれたクラスの重心を救い護るために行動しているのだ。しかしそれを、リィンは知らない。知らないまま、受け入れられない真実を受け入れようと、もがいている。
まぶたが重くなり、身体が言うことを聞かなくなってくる。眠れなくとも、身体は睡眠を欲するものだ。少しずつ強くなってきた雨の音が逆に心地良い。
リィンは溜め息を溢しまぶたを閉じたらすぐに、寝息をたてて束の間の微睡みに落ちていった。
『……リィン、こんなとこで寝てると危ねぇぞ』
微かに聞こえてくる、懐かしい声。
もう記憶でしか会えないだいすきなひと。
おまえをさがして、おれはずっとあがいている。
あいたい。あいたい。
『ほら、嵐で建物崩れてきてんぞ。このままだと死ぬぜ?』
しぬ?
『おうよ。倒壊した建物の瓦礫で圧死とか笑えねえぞ』
ほんとうに、しぬのか?
でも、もうあえないのなら。あのときのすべてがうそだというなら。もう、しんでもおなじではないのか
『アホか、お前が死んでどうするんだよ』
「ったく、仕方ない甘ったれだな」
ふわり、と身体が浮く感覚に、思わず閉じていた目を開いた。そこには自分を抱き上げる誰かの顔があり、その顔はずっとずっと探し求めていた銀色で。 そのあまりにイレギュラーな存在に、リィンは目を大きく見開いた。
「く、クロウ!? なんでここに」
「あー細かいことはあとだあと。とりあえず今はここから出るぞー」
「ちょ、下ろせ!」
「お前だいぶ弱ってんの分かってんのか?とりあえずここ離れるから捕まっとけ」
クロウはリィンを横抱きにしたまま、建物から飛び出した。
まだ成長途中とはいえ、力の入らない男子を軽々持ち上げ走る姿に、リィンは夢だと思うことにした。だって彼は自分たちを仲間ではないと言ったのだ。だから、これは自分にとって都合の良い夢だ。しかし嵐の外に出たことにより、感覚が大分戻ってきた。大粒の雨が降り注ぐ。
「冷たっ……」
顔に降りかかる雨水に、リィンは声を漏らした。
「いい子だから、少し我慢な?」
まるで子どものように扱われたことにイラついたリィンが、下ろせ、とクロウに弱い力で抵抗しようとした矢先、何かの崩れ落ちるような音と大きな地響きが、建物のある方向から聞こえた。
「なんだ?」
視線を移せばそこにはもうリィン達のいた建物は無かった。 代わりに新しく、灰色をした無残な瓦礫の山が築かれていた。崩壊して間もない瓦礫の山からは土煙が上がっていたが、それもやがて風に霧散し、雨にかき消され過去のこととなる。
「この嵐で…?」
「だから言ったろ崩れるって。あれが一番脆くなってる建物だっていうのに、お前そこで寝出すからひやひやしたぜ。おにーさんが来なかったらどうするつもりだったのかね?ん?」
茶化すような口調なのに、言葉の端からは怒りが滲んでいた。 口元は笑っているのに、目は笑っていない。 そんなクロウの様子に気付いたリィンは、口をつぐむ。
リィンを抱えたクロウは、この嵐の中でも崩れる心配の無さげな比較的新しい建物を見つけると、そこへ入った。 中の様子を軽く伺い、危険がないと判断すると、抱えていたリィンをゆっくりと埃の積もった床へと下ろす。 服からこぼれた雨水が、床に斑模様を描いた。
「平気か?」
「……ああ」
顔を滴る雫をコートの袖で無造作にふき取りながら、リィンは短く返事をした。 目を合わすことは出来ない。
クロウは雨の吹きつける窓から外の様子を眺めた。
「まだ外に出るのは危ねぇな。嵐が去るまで、しばらくここで待機するのが得策だと思うぜ」
「そうか」
「疲れてるなら寝ててもいいぞ?俺様がここで見張っててやるし、万一崩れそうになったらさっきみたいにお前抱えて逃げるから」
昔みたいに笑いながらクロウは手を伸ばすと、その指先でリィンの頬を伝う雨水をぬぐった。 その光景に昔の幸せだったころを思い出しながら、リィンは働かない頭の隅でぼんやり考える。
(夢だ。クロウはもういない。俺たちの仲間だったはずのお前はもういないんだ)
クロウがCになったのには、理由があるのだ。
リィンはそれを許したい。許して、願うならずっと傍に。でもそれは永遠に叶わない。リィンが許しても大衆が許さない。宰相を殺した罪は死刑免れても終身刑。クロウが捕まればもう二度と会えない。
リィンは無意識に自身の手を強く握り締めた。掌に出来たマメを潰すように。
「リィン?」
薄暗闇の中でも鮮烈な輝きを見せる紅の瞳が、美しい光を放ってこちらを見つめている。
クロウを捕まえなければならない。
何故ならクロウは犯罪者だから。
実に分かりやすい理屈だ、それでも腑に落ちない何故なのだろう。
理由なんて、とっくに分かっているはずなのに。
「クロウ。なんでお前はここにいるんだ」
なかなか片付きそうに無い疑問はとりあえず置いておくことにしたリィンは、すぐに解決しそうな簡単な疑問から解決することにした。
服が汚れるのも気にせずに、リィンとクロウは埃のたまった床に座り込んでいた。見覚えのないクロウの服装を横目で見ながら、疑問をぶつける。相変わらず瞳を合わせることは出来ない。
空を厚い雲が覆っているせいで、昼間なのに建物の中はずいぶんと薄暗い。まるで夜のようだ。外では悲鳴のような風の音と雨が窓を叩きつける音が響き、まだまだ嵐は去らないということを示している。
「さあな」
「……」
「別に教えてもいいけど、そのうち分かるぞ」
「そうかよ」
「じゃあ俺からも一つ、お前に聞くぞ?」
「好きにすればいいだろう」
「リィン、俺と一緒に来る気ねぇのか?」
リィンの呼吸が、乱れた。
クロウの瞳がまっすぐに、リィンを見つめている。 目が合うのを恐れたリィンは、クロウから視線を外して床の一点を見つめた。 搾り出した答えは、震えていた。
「ない、」
「そーかよ。じゃあもう一個」
いつの間にか弧を描くのを止めたクロウの口元が、動いた。
「お前は俺を殺せるか?」
胸の奥の方を無理矢理抉られたような感覚をリィンを襲った。 身体が不自然に強張り、思考が廻って頭が痛い。 雨音が大きくなり、風の悲鳴が激しくなる。 心臓の鼓動がいやに大きくて、耳障りだと思った。
リィンは必死にそれらの感覚を誤魔化しながら、自分でも卑怯だと思う答え方をした。
「まだ……わからない」
わからない。
わからないんだ。
自分は何もわからないのだ、と、リィンは自分とクロウを騙すことにした。
「嘘だ」
「っ、」
「嘘だな。お前は分からないんじゃない」
その先を言うなと、頭の中で声がしたような気がした。 リィンが真に抱える想いを悟られてはならない。それだけは、それだけは。
「殺したくないんだろ?」
クロウの手がリィンの顔に触れた。
「逃げないで、ちゃんと俺を見ろ」
リィンはクロウの目を見てはいけないのだと理解していた。見たら最後。二度と戻れなくなる。
クロウと目を合わせれば逃げられなくなる。
分かっていたはずなのに、リィンはクロウの顔を見てしまった。 その刹那、いつの間にかすぐそばにまで近づいてきていたあの紅の色をした瞳に捕らえられる。静かに、しかし激しく燃え盛る焔を灯したクロウの目に、何もかもを絡め取られる。
「お前は俺を殺せない。それを分からない言って、自分を誤魔化してるんだろ?」
違うか?
追い討ちのようなクロウの言葉が鼓膜を震わせればもう、リィンには成す術もない。 違う、と否定しようと発した言葉はおさまってきた暴風にかきけされ消えてしまった。クロウはしばらく黙ったままリィンを観察していたが、やがて口を開いた。
「……ここへ来て本当に正解だったな」
「クロウ……?」
突然カシャンと、金属のはまる音がした。
風も雨も弱まった世界の中で、その音はよく響く。
「へ?」
リィンの右手首にはまった銀色の輪。 そしてもう一度カシャン、という音。 今度は左手に輪をはめられる。 その二つの輪は細いが丈夫そうな鎖でつながっていた。
これはいわゆる手錠というやつで、本来なら宰相を狙撃したこの相手がされるものだ。しかしそれが今しがたクロウによって自分にはめられたのだと、ようやくリィンの脳はそう判断を下した。
「クロウ、なんだよこれ」
「お前を攫いに来たんだ。でもお前が俺を殺す気でいるのなら、俺は諦めようと思ったんだが。」
「攫う、ってお前、俺は敵なんだぞ!?」
「今のお前は弱ってて万が一あの力を使われても俺が勝つさ。それに俺を殺せるだけの覚悟もねぇときた。リィン、お前には何の力もない。敵なんて大層なものじゃねぇよ」
クロウは立ち上がると、ここへ入ってきた時と同じように、窓の外を眺めた。
「嵐は去ったみたいだし、じゃあ行くか」
「ふざけんな!」
「ふざけてねぇよ。特にお前に関しては」
静かな声でゆっくりと、諭すようにクロウは言った。クロウはかがむと、真正面からリィンと目を合わせる。 強い意思を宿したクロウの表情に、リィンは思わずたじろいだ。
「愛してるぜ?リィン?」
「なんだよそれ、どういう意味だ」
分からない。
分かりたくない。
なにも知りたくない。
その意味を知ったら最後。もう元には戻れないような気がして、リィンはかぶりを振ってクロウから顔をそらした。
「こういう意味だ」
クロウはリィンの細い顎を指先ですくうと強引に自分の方を向かせた。
またこの瞳に囚われてしまう。ずっと隠していたこの気持ちを揺すぶられてしまう。
「なに……っん!?」
息苦しい感覚。 口に違和感。やけに近いクロウの顔。 クロウにキスをされているのだとリィンが気付くのに、そう長い時間はいらなかった。
「ゃ……んっ…………ふぅ」
好き勝手に口内を蹂躙してくるクロウの舌を、反射でリィンも自身の舌で押し返そうとすれば、逆に絡め取られて甘噛みをされる。 感じたことのない感覚にリィンの目尻にたまった涙と唾液が、今にもこぼれ落ちそうだった。
ようやく口を放されたかと思えば、角度を変え、さっきよりも深く、もう一度口付けられる。 息苦しさと混乱で耐え切れなくなりクロウの胸を叩けば、チャリチャリと手錠の鎖が鳴るだけで、この行為が止められることはなかった。
クロウが何を考えているのかわからない。
息が出来ない。
怖い。
不意に、キスをしたままクロウが体重をかけてくる。
体格差もある上に今の弱ったリィンに押し返す力はない。リィンは簡単に仰向けに倒れこんだ。後頭部に手を当てられ、ゆっくりと冷たい床に押し倒される。クロウがリィンから口を離すと、混ざり合ってどちらのものか分からない唾液が、銀色の糸を引いた。
「悪い、リィン。キスしたらなんか我慢出来ねぇわ」
クロウはリィンの肩口に顔をうずめると、感情を押し殺した声で囁いた。
「我慢できないって、」
「触ってもいいか……?」
リィンの返答を聞く前に、クロウの手がリィンの服を脱がしにかかってきた。
「やめ、なにするんだ、っひぁ!」
冷たい指に素肌を触られ、リィンは甲高い声を漏らした。 その声に驚いたのか、クロウの手が一瞬動きを止める。呆けた表情が、すぐに口元が緩いカーブを描いた。
「リィン…」
耳元で熱っぽく囁かれ、そのまま舌先で耳朶を弄ばれる。 ゾクゾクと背筋を走る痺れに、リィンは唇を噛み締めて耐えた。また、さっきのような声が漏れそうなのは避けたかった。 噛む時に力を入れ過ぎたらしく、口の中に鉄の味が広がる。
「あんまり唇噛むと傷になる」
それに目ざとく気付いたクロウは、リィンの口に指を二本、挿し入れた。
「んぁっ」
「噛むならこっちにしろ」
そう言って、クロウの目元や額に軽くキスを落とす。手錠をはめられ、自由を奪われた手は意図も簡単に頭上に一纏めにされてしまった。コートを脱がせて黒いシャツをめくりあげればすぐに、白い肌があらわになる。唇を滑らせるたびに、リィンの口からは唾液と共にぐもった甘い悲鳴が漏れた。
噛み締めることの出来ない唇から、声を抑えられない。絶え間なく与えられる刺激に、リィンは翻弄され続けていた。
クロウはリィンの首筋に顔を押し付け、点々と赤い所有印をつける。それは鎖骨や腰にもつけられ、一定量以上つけ終わったところで顔をあげて、それらの赤く散った斑点を満足げに見下ろしながら、舌なめずりをした。
「お前の肌は白いから、くっきりつくな」
「…ゃ、…」
もう嫌だという風に、リィンは頭を左右に振った。そのたびに涙が飛び、きらきらと光る。じっくりねっとり観察されて、手も拘束されて身動きが取れない。リィンは無意味だと分かっていても身体を捻って目の前の獰猛な獣から自分の身体への視線を逸らそうとした。
「嫌って?でもリィン?」
「っ、ああぁっ」
いきなり膝で股の間を刺激され、リィンは喉をのけぞらせる。そこには既に主張し始めている自身があった。逃げることも隠すことも出来ず、リィンは捕食されるだけ。
「なんだよリィン。お楽しみはこれからだぜ?」
嵐が去り星が瞬く闇夜の中を銀色の髪をした青年が歩いていた。 その足取りは、真っ直ぐ自身の操る相棒、蒼の騎神へ向かっている。
青年の腕にはぐったりとしたままの少年が抱えられていた。 少年の頬には涙が伝った跡があり、その細い手首には頑丈な手錠がつけられ、手首は赤い。
「あれだけで気絶するなんてな……最後までしたらどうなるんだか」
結局リィンは行為の途中で意識を失ってしまったのだった。 リィンは性に疎く、 一般人よりもだいぶそういったことへの免疫が少ないため、こうなることもやむ終えないとは理解していた。
「やっぱり、お前がいないと駄目だわ」
クロウは恍惚とした表情で目を細め、こんこんと眠る少年の額にキスをした。
リィンが戻らない、そしてヴァリマールが姿を消したという報告を受け、Z組のメンバーは自分たちが一番危惧していた事態が起こってしまったと天を仰いだ。それは、全員が信頼する我らの重心が、蒼に捕らえられたことを悟ったからであった。
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