CaligulaCaligula - 「なあ、ライブに行かないか?」
すべての始まりは友人マキアスの誘いだった。
「その……アイドル、なんだが」
「アイドル?女の人か」
「いや…あー男、なんだ」
友人の言い淀む様からしてちょっぴり言いづらい、女性アイドルの類かと思っていたリィンはあまりに予想外の返事にぎょっとした。男性アイドル、の、ライブ。可愛い女の子たちを集めてグループで売るという芸能事務所があるのは知っていたが、この生真面目な友人からそのような単語が出て来るとは思わなかった。しかも男のアイドル。世の中にはそんなものがあるのか、と単純に興味がわいた。聞き返したリィンの反応に怖気づいたのだろう、「すまない、やっぱり聞かなかったことに」と言いかけたマキアスの言葉を遮って、
「行かないとは言ってないだろ」
きっぱりと言いきった。この時点では好奇心が大部分をしめていた。それになにより、試験期間を終えたリィンは暇をもてあましていたのである。
リィンが行く、と告げたことによりマキアスは見るからに顔を綻ばせた。のみならず、急に目の色が変わった気がするのは、気のせいだろう。
「で、どんな名前のアイドルなんだ?」
「ユ…いや、グループで活動しているんだ。名前は"トールズ"」
「聞いたことないなぁ。ん?トールズってもしかして」
「あぁ、トリスタにある士官学校の生徒がグループを組んでいるんだ」
「へぇ」
リィンの反応を気にした風でもなくマキアスは話を続ける。もしかして同じくらいの歳なのかもしれない。
「最新アルバムを貸すから、とりあえずそれだけ聴いとくといいかもしれない。あと、ライブ定番の曲がいくつかあるからそれも聴いてくれ。貸すから。以前のライブDVDは予習がてら観ておくか?それとも当日まで楽しみに取っておくか、どっちでもいいから好きな方選んでくれ」
「ちょ、ちょっとマキアス、急に生き生きし出してないか?」
「気のせいだ」
絶対気のせいじゃなかった。
そんなわけでリィンはライブまでの3週間、言われるままにマキアスから借りたCDを聴き続けていた。ライブDVDに関しては少し考えてやめておいた。 せっかく何も知らないのだから、いっそのこと特有の空気も知らないままで参加してみたい。いざとなればマキアスが助けてくれるだろうし、本人も任せておけと言っていた。リィンはその申し出に甘えることにして、せめて歌だけでも聴いておくことにしたのだ。
顔は、CDジャケットで初めて見ることとなった。メンバーは全員で4人。名前の見て、四大名門の姓にぎょっとしたり、女の子のような顔だちのメンバーに驚いたり、褐色の肌を持った留学生に関心を抱いたり、何とも胡散臭いウィンクを飛ばしているバンダナ男に、何故かイラッとしたり。
いずれの曲も初めて耳にするものばかりだったが、何曲かはハマり、なかなかいい曲じゃないかという感想を抱く。それになにより歌がうまい。ボーカルは金髪碧眼の貴族の青年が担当しているらしい。マキアスの評価がこの人だけ辛口だったが、恐らく一番好きなのだろう。付き合っての年月が長い分、彼の性格は良く分かっている。
いつしかリィンはライブが楽しみになっていた。指折り数えるほどに、とまではいかないがもう次の週末が当日かと思うと臨時教師のサラの無茶ぶりも苦にならない。誘った張本人のマキアスにそれを告げればやたらニヤニヤと眼鏡を押し上げながら「リィンにも魅力がわかったか」と言っていた。なんだ――大ファンじゃないか。
さて、週末。即ちライブ当日である。開場が18時ということで、17時半に徒歩数分の動力トラムの駅集合と相成った。トラムが駅につく頃、リィンは既に気づいていた。なんか赤い人が多い。服だったり靴だったり鞄だったり稀に赤い髪もいたり、全身赤はさすがにいなかったけれど、赤が妙に目につく。なんだこの空気。そう思っていれば、待ち合わせ場所に現れたマキアスも例に洩れず緑パーカーと赤のTシャツを着ていた。髪が緑色だからか、緑と赤しかない友人に苦笑まじりに尋ねる。
「決まりでもあるのか? これは…」
「いやそういうわけじゃないんだが……彼らの所属するクラスは特化クラスで制服の色が赤なんだ。でもメンバーにも好きな色があって、赤を基準に自分の推しのメンバーの色を……あ」
「へえ…、つまりマキアスの一番推しているメンバーはユーシスなわけか」
「……」
マキアスの説明を聞くと、法則性が分かって楽しい。それはともかく、言っといてくれればそれなりのものを探してきたのに、とリィンは内心思って、そしてそんな気持ちを持ったことに驚いた。いつのまにかファン心が育っていたらしい。基本的に赤色は好きだ。今日もそんなつもりはなかったが、偶然にも赤色のパーカーを着ている。
「ところでマキアス」
「なんだ?」
「その両手の荷物はどういうことだ」
「物販だ」
聞けばこの最終公演限定グッズも確実に手に入れるために始発で来たという。さすがのリィンも呆れた。しかし口には出さない。限定ポートレートを買えたと嬉しそうにしている友人が妙に眩しかったからである。
「リィンにも一応買っておいた」
「えっ、そうなのか。ありがとう…あとで代金を払う……なんでクロウ・アームブラスト?」
マキアスが物販の袋から取り出したのは、メンバーのひとりクロウ・アームブラストのリストバンドだった。蒼を基調としたシンプルなデザイン。どうやら話によると、デザインもメンバーが一から考えているらしい。
「クロウが合いの手を入れてる歌ばかりお気に入りだろう?てっきりクロウが好きなんだと思ったんだが」
「そうか……いや、この顔を見ると何故だか腹が立ってくるんだ…」
「なんだそれは」
「すまない、俺もよく分からないんだ」
せっかくマキアスが買ってくれたのだ。取り出して左腕に付けてみる。青色はなかなか身に着けない色だから新鮮に思えた。
駅から会場に到着し、リィンは再び愕然とした。見渡す限り人、人、人の波。みんな赤い。もしくは緑、青、橙、白。
会場をとりまく人の波は、つまり皆トールズのファンだということになる。男性アイドルということで、女性ばかりかと思っていたが男性の姿もやたらと目立つ。マキアスほどの優等生ルックはなかなかいなかったが、それでも多種多様な人波にリィンは圧倒されていた。しかもすれ違う人の中でたまにマキアスに声をかけていく人がいる。マキアス自身もそれに答えて軽く挨拶を交わしたり、ひとことふたこと会話したりしている。どういう知り合いなのかと尋ねてみたら
「ファンクラブイベントとかで、仲良くなるんだ」
との返事。なるほど、ファンクラブイベント。それに参加しているわけで、顔と名前を覚えられるほどに参加してるわけで、トールズのファンとしての繋がりももっているわけで、なるほど。これは大ファンだ。リィンはうむ、とひとり頷いた。
赤の人々に圧倒されながらも無事に入場し、着いた席はなんとステージ中央から伸びた花道のすぐ正面だった。これは近い、と普段ライブに慣れていないリィンにも分かった。マキアスに至っては感激している。単純な距離で言えばステージからは遠いものの、花道まで出てきた際にはごくごく近距離で見ること ができる。スクリーンも見やすいし、これは当たり席じゃないか、とリィンは友人の強運を祝福した。
「こんな良席だとは思わなかった」
「よかったじゃないか」
「後ろの邪魔にならないか心配だが……まあいっか。なんとかなるなる」
「そんなのでいいのか」
「身長は仕方ないからな……。でも僕もリィンも決して大柄なわけではないからな。ああ、そうだ。これ渡しておく」
そう言って手渡されたのは細長いなにかだった。
「なんだこれは?」
「サイリウムだ」
「祭りとかで売ってて子供たちが腕に巻き付けるやつか。エリゼも良くねだっていたな。」
「確かにそうだが、これは手に持って振るんだよ。曲中でコールかかる所とかあるから」
「コール…?ちょっと待てなんだそれは」
「大丈夫だ、周りのノリに合わせてればなんとかなるし自分が楽しむのが一番だからな」
「いやそりゃそうだけど、え、どういうことだ。なんだコールって」
「始まれば分かる。ああ、サイリウムは持ち時間が短いからもし光らなくなったら言ってくれ。代わりがある。あと一応こっちも渡しておくか。これは今回公演の公式ペンライトだ。ほら年とライブ名が書いてあるだろう」
「あ、あぁ……」
普段のマキアスらしからぬマシンガントークに圧倒されるリィン。気づけば右手にペンライト、左手にサイリウム(まだ光らせてはいない)を握っていた。マキアスは両手にペンライトを握っているしいつの間にかパーカーを脱ぎ去ってTシャツ一枚になっていた。周囲にも似たような格好の人が多い。リィンは自分がたまたま着てきた赤いパーカーに感謝していた。
「なあマキアス、サイリウムっていろんな色があるんだろ? やっぱり推しているメンバーの色を使うべきなのか?」
「自分の推しだけを応援する傲慢なやり方は僕は嫌いでね。確かに僕はあの貴族のメンバーを一番に推してはいるが、あくまで箱推し。このグループがあっての彼だ。だから全員のライトを振る熱意がなければいけないと思っている。」
「おぉ…」
「しかし物販のペンライトは一色しか出ないし、サイリウムも手の小さい女性が4本持つのは難しい。だから僕はこの考えを極論だと思っているし、もちろんリィンに強要したりもしない。僕の勝手な偏見で青色のサイリウムを多めに買ったが、好きな色を使ってくれて構わないよ」
そう言ってマキアスが浮かべた笑みのあまりの清々しさがリィンの胸を刺した。ああ、こんなに本気で好きになれるものをもってるんだ。それに比べて趣味というほどのものを持っていないの自分ときたらなんとろくでなしなんだ。少なくともこの会場内において今この瞬間マキアスは最高に輝いていた。
どこかそわそわとした空気が満ち、やがて開演予定時刻。ふ、と明かりが消えた。会場内のざわめきが一瞬止まり歓声が上がる。大勢の人が立ち上がる気配がした。空気につられてリィンも立ち上がる。暗闇に浮かぶ赤、緑、青、橙、白。サウンドエフェクトが流れ出し、同時に一部のライトがついた。暗闇を斬り裂く光の線と興奮を煽るとも宥めるともつかないインストゥルメンタルがたっぷり数十秒は流れ、観客の空気が爆発直前のように疼きはじめる。そして音が途切れる。一瞬息がとまる。そして、リィンにも聞き覚えのあるイントロが流れ出し、再び歓声があがった。各々の手に握られた赤い光が波のように揺れる。“定番曲”だと教わり繰り返し聴いた曲だ。深いことは考えるな、跳べ。なにより楽しめ。開演直前にマキアスに言われた言葉が頭をよぎる。
ライトが一箇所に収束し、ステージ下の奈落から花火じみた仕掛けの特殊効果と共に飛び出してきたその人に、数千の観衆はみたび爆発した。隣のマキアスはもちろん、その隣も、そのまた隣も。今や会場全体がたったひとりに注目していた。
リィンの視線だってもちろんそのたったひとりを捉えていた。何度も繰り返し聴いたCDのジャケットの本人が、ユーシスがすぐそこにいる。なんとも楽しそうに歌っている。その細い体のどこからこんなにも力強い声が、人の心を揺さぶる音が出るというのか。
メンバーはひとりずつ出て来るらしい。メインであるユーシスに負けないくらい大きな歓声をその身に浴びていたのは、どうしてか腹が立ってくるクロウだった。ジャケットではあんなに胡散臭いウィンクをしていたのに。青色のスポットライトを浴びてバチン、と音がしそうなくらいに綺麗なウィンクを決めた彼はとても格好良く映った。
可愛く登場したエリオットも、故郷のあいさつなのか礼儀正しく登場したガイウスも。すべてが止まったかのようにリィンの目に映る。
本物なんだ、とリィンは急に実感した。本物だ。本物のトールズがこの空間にいて、歌っている。うわ、となんだか顔がにやける。一曲目、ユーシスの得意とする低温でさらりと歌いあげたアップテンポな曲はクロウの合いの手もあり、リィンのお気に入りだった。目の前で歌ってる。生で歌ってる。本物が一番カッコいいじゃないか。テンションあがる。というか興奮する。いつの間にか手に汗握り、ついでにペンライトもしっかり握り、リィンは右手を高々と掲げて振っていた。なるほど、確かにノリでなんとか、なるようだ。
「こんばんはー!」
続けて三曲歌いあげたユーシスに変わりエリオットが笑顔で挨拶すると、会場全体がひとつになって「こんばんは!」と返す。その声の大きさにユーシスやクロウ、ガイウスが小さく笑う。本物は遠い、けれども大きく設置されたスクリーンのおかげでその表情の些細な変化すら見てとれる。
「えー……最終公演です!」
歓声。
「みんなよくここまで来てくれたなー」
クロウが呆れたように言う。
当たり前だよ!という怒号にも似た叫び。メンバーの名前を叫ぶ声。それらに満足げに笑んだクロウはいたずらっぽく言う。
「まあ確かに当たり前だよな。んで、ラストだぞ。寂しい?」
寂しい!と会場の即答。なぜここまで声が揃うのか疑問に思うほどに。
「俺らも全力でやるからみんなも全力だせよー。手ぇ抜いたら一列に並べてパーでいくからな!」
もう何度目かもわからない大歓声。マキアスが真面目な顔でぼそりと「ご褒美じゃないか」と呟いたのは聞こえなかったことにした。
楽しい。
心の底から断言できる。楽しい。リズムをとりながら見よう見まねでペンライトを振るのも、ジャンプするのも、曲中の合いの手も。会場中のみんなが大声で名前を呼ぶ。「聞こえてないぞ!」と煽られる。物凄く楽しいじゃないかと今日何度目かの感想を抱きつつ腹の底から声を出した。最高に気持ちよ かった。
最終曲をしっとりと歌い上げ、退場したあとには当然アンコールの大合唱。再び姿を現したメンバーはファンが着ているのと同じTシャツ姿で、背中にはそれぞれのサインが入っていた。なるほど、物販で手に入れられるのと同じものを本人も着るのか。これはすごい一体感だな、とリィンは少々羨ましかった。それにしてもトールズはすごい。あれだけ動いてもまだ動けるのかと目を瞠るほどに元気だった。アンコールが終わって、それでも会場の熱気はひかない。すぐにもう一度、の声があがる。ダブルアンコールまであるのか、とリィンは驚愕した。ちらりとマキアスを見ると「来ると思う」と頷かれた。眼鏡を押し上げるオプション付きだ。そう言われちゃ願わないわけにはいかない。散々声を出して掠れた喉で二度目のアンコールを叫んだ。結果、その願いは果たされた。
再度ステージに出てきたトールズは、ファンの中でも人気の高い、それこそベストスリーに入るであろう定番中の定番曲を歌いながら――当然歓声もものすごい ――そのまま花道を駆ける。つまりリィンたちの目と鼻の先にまで来て、額の汗を拭って、楽しそうに歌った。曲だけ聞けばロックチューン。しかしその歌詞は恋する少年の目線で描かれた、なんとも甘酸っぱい恋の歌。唯一と言っていい、ユーシスとクロウのツインボーカルの歌だった。見た目が正道王子なユーシスと、やんちゃなクロウのコラボはこれは凄いことになった。女の子たちの幸せな黄色い悲鳴が凄い。「君」が好きだ大好きだと真摯に繰り返し、振り向いてくれなきゃ振り向かせるまで、と笑ってみせる詞中の少年と歌っているがなぜか重なる。
この曲は一番最後の歌詞が素晴らしい、とリィンは分かっている。CDで聴いてもたまらなかったのだから生で聴いたらどうなってしまうのだろうか。最後を聴きたいような、でも終わって欲しくないような不思議な気持ちでいっぱいだった。そわそわと落ち着かない。見てはいないが、隣も物凄くそわそわしているのが手に取るように分かる。
そして歌詞のラスト。力強くラスサビを歌い上げた後、一足早く伴奏が止まる。静寂の中に響くのはたったふたりの声。
「「好きだよ」」
聞いてるこっちが膝から崩れ落ちそうなほど、腰が震えそうなほどイイ声でそう言って。わき上がった拍手喝采を浴びながらトールズのメンバーは深々と頭を下げた。ありがとうございました、と告げ、背中を向ける。たった四人がこの会場中の視線を集め、煽り、盛り上げ、そしてとてつもない満足感を与えてくれた。
ステージの中央でエリオットとガイウスが迎え、戻ったユーシスとクロウはもう一度頭を下げた。彼を追いかけていたスポットライトが消える。一瞬、暗闇を照らしていたのは皆が手に持った赤い明かりだけだった。そうして、数時間ぶりに会場のライトがついて、五色だった世界に色が戻る。場内アナウンスが全公演の終了を告げ、興奮冷めやらぬ観客のざわめきも戻ってくる。はあ、大きく息をついて首に巻いたタオルで汗をぬぐったマキアスは隣のリィンに声をかけた。
「最高だった。リィンはどうだった?…リィン?」
返事は無く、呆けたように立ち尽くしている。その視線は未だ、クロウが最後に立っていたステージ上に固定されていた。まるでまだ彼がそこに立っているかのように。
「……凄いな、マキアス」
「ん?」
そしてたっぷりと間を開けて口を開いたリィンは。
「俺、ファンクラブ入るよ」
「えっ」
視線が絡む威力とは恐ろしいものだ、とリィンは震えあがった。クロウが「好きだよ」と言ったあの瞬間、ほんの僅かとはいえ確かに目があった。気のせいかもしれない。うん、おそらく気のせいなのだが、いっそ気のせいで構わない。きらきら光る紅の目がこちらを見ていた。歌うことが、今ここに立っていることが楽しくて仕方がないと言いたそうに瞳の奥で笑っていた。心奪われるにはそれだけで充分だった。
「――ようこそ」
かくしてリィンの趣味に「アイドルグループ"トールズ"の追っかけ」が追加されることとなった。しかし本人は否定するだろう。趣味じゃない、ライフワークだ――と。
ALICE+