※高3春日×中3夢主

 あんまりごはんを食べない春日くんは、高校生になった途端にぐんと背が伸びて、私の身長を越してしまった。見上げるたびに、顔は変わっていないのにどこか違う誰かに見えて仕方ない。
 
「手止まってる。わかんない?」

 ぼんやりしているのがバレた。べつに、と小さく呟いて、xだのyだの文字や記号だらけの問題文をもう一度見直す。難問なんかじゃないのに、ちっとも頭が働かなかった。
 もういいや。テーブルの林檎を見つめている春日くんにスマホを向ける。気付いた春日くんが嫌な顔をして、手をかざした。

「なに。撮った?」
「撮った。どこにも載せないよ」
「信用できん。載せなくても、誰かに見せたりするじゃん」

 嘘だよ撮ってないよ、と言っても信用されないんだろうな、前科があるから。
 だって、だってさ。春日くんって私の特別なお兄ちゃんだからさ。ねえ見て、この人近所のお兄ちゃんなの、かっこいいでしょっていろんな人に見せたくなっちゃうんだよ。
 今日の春日くんの真剣な顔は最高にかっこよかった。中学生の頃は少し髪の毛が長いのもあって女の子みたいだねって言われてたのに、今は肩も肘も手のひらもごつごつとしていて、すっかり男の人になってしまった。

「カメラロール見て。消したよちゃんと」
「……ん、おけ」
「もう勝手に撮ったり見せたりしないね。彼氏なの? て聞かれちゃうもん」
「うわ、思春期」

 鼻で笑われて、落ち込んだ。ミリも興味ないです、って顔でまたイーゼルに向かう。
 春日くんが男の人になったなら、私だって少しは女の人になったのに。きゅっとくびれたし、胸も膨らんだし、色付きのリップクリームだって塗っている。
 かっこいいお兄ちゃんって言うと、私の顔がにやけてるのに気づいた周りがこぞってへえ付き合ってるの? 彼氏じゃないの? って聞いてくる。私は違うよー、て答えるけど、内心そうだったらどれだけ良いのにって不機嫌になっている。

「春日くんはさ、私の写真見せたことないの?」
「ない。まず隠し撮りをしない」
「ツーショットは?」
「……見せてどうすんの」

 だって私だって思われたいもん、春日くんの彼女って。誰この子、彼女なの? って聞かれたら春日くんはなんて答えるのかな。そういうのめんどくさがりそうだな。ていうかやっぱり、高校生からしたら中学生って子供かな。
 休みのたびに春日くんのおうちで勉強しても、少しずつスカートを短くしても、テーブルの問題集に向かう私とは違って、イーゼルを見つめる春日くんとの距離は縮まらない。

「あー、俺も飽きたわ。休憩するか」

 春日くんが立ち上がって、空になったカップをふたつ持った。大股で部屋を出て行って、ぽつんと一人取り残される。
 前、勝手に林檎を動かして怒られた。私のリップの色が変わったことには一回も気付いたことがないのに、ほんの数ミリ動いた林檎には気付くんだ、って悔しかった。
 見た目だけ取り繕ったって、子供じみた悪戯をやめられなかったら意味無いのにな。林檎を動かしてもきっとすぐに気付かれるから、ちょっと鉛筆でも削ってみようかな、とイーゼルを覗き込む。

「……え?」

 てっきり林檎のデッサンをしていると思った。実際にこれから細かく書き込んでいくだろうざっくりとした丸があって、でもそれは丸のまま放置されていた。
 紙の隅で、猫背の、多分私、が、ノートを見つめている。伏し目の構図? だからかまつ毛が長く見えて、ちょっと拗ねたみたいに唇を尖らせている。私がなにかに集中するとき、無意識にやってしまう癖だ。

「何やってんの」
「あ……林檎、見てみたくて」
「林檎は進んでない。落書きしてた」

 カップの中のリンゴジュースが揺れた。甘い匂いがする。

「落書き、私?」
「そう。集中してやってんな、と思ったら急に手止まるからわかんないのかと思った」

 え、恥ずかし。え? なにそれ、春日くんずっと私のこと見てたの? 林檎を描く練習しないで? でもだってさ、声かけてきたあとはまた林檎見つめてたけど。あ、仕切り直しでこれから集中しよってときに、私がスマホ向けて邪魔しちゃったのかな。

「じゃあ今度は私が春日くん見つめてるね」
「いや別に俺は見つめてたわけじゃ……」
「よく見なくちゃデッサンってできないんじゃないの?」
「それはそうだけど。見つめるって、言い方語弊ありすぎ」

 うげ、て顔をした春日くんが、画用紙を新しいものに変えた。林檎の位置を何度か調整したあと、もう休憩はおしまいって鉛筆を持って腕を伸ばした。

「……春日くんってさ、私のこと」

 好きでしょ、好きだよね。床に放り出された画用紙を拾う。絵の私は鏡で見る私よりも大人に見える。ねえ私って少しは大人になれてるのかな。春日くんに近付けてるのかな。春日くんには私がこう見えているの?

「お前は可愛い妹みたいなもんだよ」

 うそつき。だって知ってるもん。春日くんは本当の妹を部屋に入れたことないし、妹と一緒に勉強したこともないし、妹の似顔絵を描いたことだって、ないでしょ。
 あーあ、彼女になりたいな。彼女にしてほしいな。好きなのって言っちゃいたいな。行きたい高校になんて受からなくていいから春日くんの恋人になりたい。でも春日くんはちゃんと勉強に実技練習もしてるから、私もそんなこと思ってないで頑張らなきゃなってちょっと冷静になる。
 
「可愛いってもっと言ってほしいな」
「可愛いよ。かわいいかわいい」
「好きって言ってほしい」
「お互い受験終わったらね」

 受験が終わったら、春日くんは正真正銘の「おとな」になっちゃうのに、本当かな。
 
「ねえ約束だよ。絶対だよ」
「いいよ」

 ああもうわかんなくなっちゃった、数学も英語も春日くんもわかんない。
 誰に咎められたわけでもないのに、どうして私たちって付き合ってないんだろうね。
 私が三年早く生まれていたら、私たちって普通に恋人だったのかな。

「ずっと一緒にいたい」

 文字が読めなくなっちゃって、問題集に突っ伏した。春日くんは笑いながら「ずっと一緒でしょ」と言ったけど、どうして笑ってるのか私にはわからなかった。

2026/09/26

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