幼いながらに、私は彼が人ではないことに気付いていたのかもしれない。けれど私は何も言わなかったし、彼だって何も言わなかった。そもそもいつ出会ったのかさえ定かではないのに、昔のことを考えるのなんて不毛だ。
「鬼灯さんはおいくつ?」
「なまえさんよりも上ですよ」
動物園のベンチで、毎月一回彼と会うのが約束だった。約束というよりは、習慣のようなものかもしれない。もう憶えていないけど、たまたま出会ったあの日から、たまたまお話をしたあの日から、ずっとずっと続く習慣。
ひととおり動物園をまわったあと、ライオンの檻の近くのベンチで。近くの売店で季節限定の飲み物を買って、ちびちび飲みながら鬼灯さんとおしゃべりした。
「鬼灯さんは、お若いですね」
「なまえさんこそ」
「お世辞はいいですよ」
鬼灯さんはいつも涼しい顔をしていた。時折見せる小さな笑みや、時折見せる不機嫌な顔。表情の動きは少ないけれど、いつからかそんな小さな動きも見抜けるようになった。それだけの歳月が経った。
「鬼灯くんは、家族はいるの?」
「いいえ、いません。出来の悪い上司はいます」
「あら、私とおんなじ。もう両親も他界したし、きょうだいもいないから」
「なまえさんのご両親はお元気にされていますよ」
「ふふ、そうだといいな」
不思議と、本当に鬼灯くんは両親を知っているのだと思った。鬼灯くんはきっと人じゃないとわかっていたからかもしれない。
だっておかしいのだ。私はどんどん年老いておばあちゃんになっていくのに、隣の彼はいつだっておんなじ姿で、私の隣に座っている。
「落ち着いて聞いてくださいね」
緩和ケアを続けていたここ数年。動物園に行ける日は来なかった。ただ毎日のように、薄れ行く記憶の中で彼だけが私を見ていた。
「鬼灯くん、動物園に行けなくて、ごめんなさいね」
目は見えなくなっていく。耳は聞こえなくなっていく。記憶は薄れていく。年老いた彼女は、最期に呟いた。
「今、会いに行きますね」
また、会えましたね。
2014.05.01
2025.10.21 移動、加筆修正
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