桜は生憎咲かなかった。
 胸に咲いた赤い花と、卒業証書の緑がやけに華やかだった。証書をしまう筒を開けたり閉じたりする、きゅぽんという音があちらこちらで聞こえる。俺も一回だけやってみたが、あまり面白いものではなかった。おそらく今後、この証書はクローゼットの奥にしまいこんだまま再び出すことはないのだろう。

「卒業か」

 卒業とは言っても、生徒のほとんどが系列の高校に進学するからあまり卒業した感じはない。それはテニス部はもとい、みょうじさんも同じようだった。
 結局俺が部活を引退するまで、みょうじさんが部活を見に来てくれることは一度だってなかった。ちょっと期待したバレンタインも、そもそも女の子の分も持って来ていなかった。今日までみょうじさんとの距離は一歩たりとも近付いてはいなかったのだ。クラスメイト、たったそれだけ。

「あ、みょうじさん」
「幸村くん」

 人の輪から外れてきたみょうじさんと目が合った。心なしかみょうじさんの顔は疲れて見える。泣いてはいないようだったけれど。

「幸村くん、みんなと話さないの?」
「ああ、ほとんど同じ高校だから」
「そっか。私、友達が違う高校に行っちゃうんだ」

 友達。みょうじさんの口からその単語が出てきたことが意外だった。みょうじさんは誰とでも仲が良かったから、一番の友達がいることに驚いたのだ。俺はみょうじさんについてあまりにも知らないことが多い。

「幸村くん、高校でもテニス部入るの?」
「そのつもりだよ」
「じゃあ、今度は見に行ってもいいかな」

 深緑の筒を握りしめて、俺の方を一切見ずにみょうじさんは言った。俺は、みょうじさんの言葉を何度か頭の中で繰り返し呟いて、それからもう一度みょうじさんの横顔を見た。卒業式の雰囲気からか、寂しげに映る表情。ちらりと、みょうじさんが目線だけ俺を見た。

「聞いてもいい?」
「うん、なに?」
「なんで、部活見に来てほしかったの?」

 そう疑問に思うのは当然だと思う。俺はその疑問に明確な答えを持っていたし、それは言ってしまえばただの二文字なのだ。初めて誘った時は、たぶんそこまで明確ではなかったと思う。けれど確かに彼女に惹かれていたのだ。
 たかが二文字を言うのがこんなに難しいことなのかと、俺はどう誤魔化そうか考えた。はぐらかすのもよかったし、適当に理由をでっちあげることだってできた。しかし結局それをしなかったのは、春の暖かさが俺の頭にも花を咲かせたからかもしれない、なんて。

「好きだからだよ」

 何が好きかは言わなかった。せめてもの誤魔化し、でも普通なら告白だと思うだろう。そう思ってほしい気持ちと、そうでない気持ちが半分ずつ。気付かなかったら気付かないでいい、だけど。

「私、あんまり人に執着しないタイプなんだけどさ」
「ああ、そんな感じするね」
「初めて部活見にきてって言われてから、ずっと幸村くんのこと考えてた」

 それは、つまり。

「友達に相談してみたら、あんたそれ恋だよって」
「みょうじさん」
「それにね、今、すごく嬉しいの」

 泣きそうな顔をして笑ったみょうじさん。本当なら、抱きしめてしまいたかったけれど。まだみんなはいるし、やけに気恥ずかしかったしで、結局何もしなかった。
 ほんの少し遠慮がちに、泣きそうな彼女の肩に手を置くと、やはり泣きそうな顔のまま、みょうじさんは微笑んだのだった。


2015.02.25
2015.12.20 移動、加筆修正

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