お昼頃から降り出した雨は、私が退勤する頃には本格的なざあざあ降りになっていた。
今日はついていない。折り畳み傘を忘れて、コンビニでビニール傘を買ったのに傘立てに置いたらなくなっていた。濡れて帰るには本格的な雨だし、こんな日は贅沢しちゃおっかなとタクシーに乗ると、運転手のおじさんが女性に横柄な態度をとるタイプだった。
「まあこんな日もある、か。……え?」
おうちならきっと安全。ぼんやり鍵を回そうとしたら、回らない。開いている。
警察を呼ぶ? いやでも、閉め忘れたかもしれないし。音を立てないように、ゆっくりと扉を開く。5センチ、10センチ、ようやく顔が入るくらいの隙間になった向こう側、狭い六畳間に、彼がいた。
「あの……鍵、開いてました?」
「いや? 今日は遅かったんだね。ご苦労様」
どうやって入ったんですか、と聞こうとして、たぶん答えてくれないだろうなと諦める。傘は置いてなかったし、潜さんも雨に濡れたのだろうか。
百目鬼潜さん。なんか危険思想犯とやらだったらしい。が、今はアイドルをしている。経歴が謎すぎるし、私の部屋に入り浸っているのも大変な謎である。
「うち来てもなんにもないのに」
「次までに、上質な赤ワインを用意しておいて」
「えっ、高そう……」
マニキュアのボトルをきゅっと閉めて、ライトの下に手をかざしている潜さん。
赤ワインなんて飲まないから何が良いなんてわからないんだけど、とりあえず調べてみよう。
味気ない一人暮らしの社畜。潜さんが来てくれる日は、少しだけ薔薇色になる。
2026/03/12
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