01

 

「侍の国」

これはその言葉が失われ始めた頃の恋物語。




コンコン――


まだこのご時世には馴染みの少ない西洋風の扉をノックすれば、中から幼さを残した少女の声が応える。
「失礼致します」と扉を開ければ、少女は広い部屋の隅に一人座って窓の外を眺めていた。

「お嬢様、」

私の呼びかけにお嬢様は無垢な瞳で笑いかける。

「#名前#、貴女は王子様っていると思う?」
「王子様…ですか?」

突拍子のない問いかけに戸惑いながら、なんと答えるべきか考える。
そんな私の反応を予測していたようにお嬢様はころころ笑う。

「ふふ、あまり考え込まなくていいのよ。言葉が足りなかったわ、王子様というよりも運命の人かしら。幸せを与えてくれるような……そんな人。ごめんね、ただちょっと聞きたかっただけ。ところで、何か用があったんでしょう?」
「あ、はい……先ほど旦那様からご連絡が届きました。旦那様はお仕事の都合で今日は屋敷にお戻りになれないそうです」
「……そう。今日も、ね」

途端に笑顔を陰らせたお嬢様は窓の外に視線を戻した。
思わず声をかけようと口を開いたが、安いその場しのぎの慰めしか思い浮かばず、声を出すことを躊躇ってしまった。


最近のお嬢様はああして外を眺めることが多くなった。
お嬢様も今年で十六。旦那様の意向で日々制限される世界はどれほど退屈で窮屈なのでしょう。話し相手として私がいても、所詮一介の使用人。お嬢様の気持ちのすべてを理解できるはずもない。

それが歯がゆく、いつも無力感に打ちひしがれる。

私の雇い主であるお嬢様のお父上は、先代の頃から続く貿易事業を宇宙事業にまで拡大させた国交にも深く関わる大手の貿易商である。
二十年以上に亘った長い戦争が終わりを迎え、旦那様の仕事はいっそうに忙しくなった。一人娘のお嬢様でさえ一ヶ月に片手で数える程度にしか会えぬほどに。

恵まれた家柄。財も権力もあり生活に困ることのない、ただ少し……寂しい家。財のある家にありがちな環境にお嬢様は生まれただけ。

それでもお嬢様は不満も文句も訴えなかった。ただ寂しそうな顔で「仕方ないね」と笑うだけ。
幼少の時よりずっと傍にいる私を無二の友のように慕ってくれる心優しい彼女が笑って耐えているのであれば、私がこの現状に対して何かを言う資格はなかった。

世界の広さを知らぬお嬢様。
数限られた人としか触れ合ったことのない小さな彼女の世界。

そんな彼女のために私ができることは限られているけれど、せめてその笑顔が消えることがないように願うばかり。

私は外を見続ける彼女に先ほどの問いの答えをだした。

「お嬢様、私は王子様の存在を信じておりますよ」
「!ほんと?」

期待に目を輝かせこちらを向く彼女の手を握り、大きく頷いた。

「はい。お嬢様に幸せを与えてくれる王子様は必ずおります。それに運命でつながっているのなら必ずどこかで出逢うことでしょう」

そう応えればお嬢様は花が広がるように笑った。
それだけで私の中に幸福が広がる。

「そうよね、絶対いるわよね!もちろんあなたにもよ、#名前#」
「私にも、ですか……?」
「そうよ、それがたとえどんな人でも」

「だって……」とお嬢様は嬉しそうに続ける。


「きっと出逢えた奇跡だけで幸せになれるのだから、それだけで素敵な王子様だと思わない?」


そう言って私の手を握り返すお嬢様に目頭が熱くなった。

「はい。どこかにきっと、きっとおります。それまではこの#名前#がずっとおそばにおりますよ」

私はお嬢様を優しく抱きしめ、彼女の幸せを心から願った。

「王子様に出会った時は是非私に教えてくださいな。恋バナというものを一緒にいたしましょう」
「、うん!」

おずおずと私の背に腕を回すお嬢様から鼻をすする音が聞こえた。
その顔はきっと見られたくはないでしょうから、意識してお嬢様がいつも見ている窓の景色に目をやった。

三階から見える景色は屋敷の塀を越え、一つ向こうの青々とした山まで見ることができた。
下には庭師により綺麗に手が加えられた庭があり、その真ん中に位置する噴水からは弧を描きながら水が噴いている。


そこからさらに奥に目を移せば、わずかに銀色が見えた気がした。