はぐれ者

命令が下れば女子供であろうと躊躇わず刀を振り下ろした。
我が子の命だけは!と嘆願する女を先に黙らせ骸になった母に縋り、咽び泣きながらこちらを罵倒してくる童も無表情で斬り捨てた。
それだけがわしの存在意義、わしを必要としてくれるあの人の為と信じて──。

投獄された薄暗い牢の中で、僅かに聞こえてくる雨音に以蔵は目を伏せる。
人斬りに相応しい末路だと、民衆を恐怖のどん底に陥れた人間が幸福な結末など迎えられるはずがないと初めて人を殺めた時から腹を括っていた事だ。
……それでももし、万が一輪廻転生を経て第二の人生を歩めるのであれば──。

「もう、裏切られとうはない。わしのことを最期まで信じくれちゅう人間と共に歩んでいきたいもんじゃ」
看守の叫び声に重い腰を上げる。
地面に降り注ぐ豪雨は今まで己が殺めた者共の涙かもしれんのぅ……と考えた以蔵は自嘲気味に笑った。
土砂降りの雨は以蔵にも容赦なく降り注ぎ、瞬く間に彼の熱を奪っていった。

***

返り血を浴びても気付かれにくく、後処理がし易いという理由で愛用している黒のコートはたっぷり雨水を吸い込み、頬を濡らした雨粒がくすんだ緑の袴を更に濡らす。
鈍痛を訴える頭を抑えながら記憶の糸を辿ろうとして、指先に感じたぬるりとした鼻の奥まで刺さる嗅ぎ慣れたものの匂いに片方の口端を上げる。
──詳細は不明瞭だが己が背を預けている巨岩に頭をぶつけ、それによって負傷。
左目の激痛は流血が目に入り込んだ為であろうと考えた以蔵は残る右目を押し開き、天を仰ぐ。

「なんでわしゃ生きとるんじゃ……」
脳の片隅に存在する真っ白な衣に身を包んだ自身の姿と下ろされる鋭利な刀。
対して今以蔵が着ている衣類は投獄される前に纏っていた色褪せた襟巻きに裾が所々破れ、残念な事になっている袴。
雨に当たりすぎては風邪をひいてしまう、その前に雨宿り出来る場所に移動せにゃ──。
次に起こすべき行動を脳は提唱しているのであとは行動に移すのみなのだが、何故だか体は全く動いてくれなかった。

「このまま野垂れ死ねば誰かを信じて裏切られちゅう事もない……」
罪人が二つも願いを欲する時点でまず間違いだったのだ。
そんな罪人の願いを聞き奉ってくれた不確かな存在に今ばかりは感謝の念を抱く。
このまま再び意識を手放してしまえば──。

「そこに隠れとる奴、早う出て来んかい。……それともわしに斬り殺されたいがじゃ」
「ごご、ごめんなさい!決して隠れてるつもりはなくて、深手を負って気を失っているようだったので出ていくタイミングを見計らってました」
姿を見せた女……否少女の姿に以蔵は黄色がかった橙の瞳を見開く。
女の右半身だけ土砂を被ったのではないかと思うほどに土で汚れていた。
えへへ……と頭を掻き愛想笑いを浮かべていた少女の右頬も例に漏れず、ばっちり泥が付着している。

「ぬかるみに足を取られたんか。間抜けな奴じゃなぁ……」
「連れの方とはぐれてしまい、血相を変えて探し回っていた最中に起きたハプニングなので決して間抜けじゃないです!それにこんな視界不良に陥る程の雨なら──貴方、人間じゃないですね。はぐれサーヴァントですか?」
「さーばぁんと?何じゃそれは」
今度は少女が目を丸くする番だった。
一切の汚れもないきらきらと眩い眼差しを受けた以蔵は無意識に襟巻きへ手を伸ばし、それを上にずり上げた。

過去に自分が捨て去ったものを目の前で振り翳されている。
純朴で他人を疑うことなど知らない、淀みの欠片すらない瞳。
直視する事さえ憚られ、以蔵は無意識に名も知らぬ少女から視線を逸らした。
それをどう解釈したのかは分からないがザアザアと降る雨の中、水溜りを踏みしめ以蔵と距離を詰めた少女の手が冷えきった以蔵の手に触れた。

「もし貴方が良ければ私にお力添え下さいませんか?こんな悪天候の中巡り会ったのも何かのご縁でしょうし」
「──この岡田以蔵、今この時からおまんを守る刃になっちゃる。わしを裏切るような態度を少しでも見せたら……覚悟せぇよ」
「はい!……って待って下さい!!」
契約とやらを交わしたお陰か先程までの気怠さが嘘のように霧散していき、傍らに転がっていた愛刀に手を伸ばし立ち上がった以蔵の肩を押して再びその場に座らせた少女にギロリと鋭い瞳を向ける。
ひっ!と小さな悲鳴を上げた彼女は激痛が走り続けている以蔵の左目に、ポケットから取り出した柔らかな布を宛がった。

「怪我をされていたのに気付かず、すみません。血はもう止まってますが帰ったら急いで治療しましょう」
「わしの事を気にかけちゅう時間があるなら早う行くぜよ。……おまんの名は」
「紅月梓です。これからよろしくお願いしますね、以蔵さん」
「末永く仲良う出来るかどうかは梓次第じゃが……まあええ」
差し出された小さな手を掴んだ瞬間人斬りとして名を馳せた男、岡田以蔵の第二の人生が色付き始めた。

極夜