予行練習

やや背後注意

「おかえりマイロード」
 自室の扉をくぐった先には至って普通、当たり前といった様子でマグカップを持ったマーリンが手を振っていた。
「……ただい、ま」
 悪態のひとつ……と言わずふたつ、みっつ浮かんでいた筈なのにマーリンの笑顔を見た瞬間、それらはどこかへ消え去って気が付けば私は出迎えてくれたマーリンにそう返していた。返事を聞いた花の魔術師は目を細めて喜びを露わにすると、薄らと紫色がかったマグカップをどこからともなく取り出しそれにティーポット内の液体を注ぎ始める。
「さっき食堂で見つけて拝借してきたのさ。梓もそこに座るといい」
 仮にもこの部屋の主は私なんですが……とまた湧いて出た言葉を飲み込んでマーリンの真向かいに腰を下ろす。湯気が立ち上っているマグカップの仲を覗き込むと、青色の液体が照明の光を反射してキラキラと輝いていた。
「変わった色の飲み物だね」
「何という名前だったかな……ああ、大切な物を忘れるところだった」
 再び異空間から何か……輪切りにされたレモンを取り出したマーリンはそこから一切れレモンを取ると、私のマグカップに果汁を垂れ落とし初めた。するとどうだろう、先程まで鮮やかな青色だったそれは瞬く間に紫色へと色を変えていくではないか。
「思い出したぞう。バタフライピーだ」
「ばたふ……?」
「冷める前にどうぞ」
 ニッコリと微笑まれてしまうと私は何も言えなくなってしまう。惚れた弱みをひしひしと感じながらマグカップを口に運ぶと、口内に広がる酸味と甘味に思わず頬が緩んでしまう。
「美味しい……」
「それは良かった。砂糖や蜂蜜を入れても良いみたいだね」
「私はこのまま飲む方が好きかな」
「では次回からはそうしよう」
 次もあるんだ……と小さく呟いた声はマーリンには聞こえなかったようで、彼は自分の分の紅茶にも同じようにレモンを入れていた。それを飲む姿を見ながらふと思い出した事があり、疑問をそのまま口にする。
「どうして私の部屋に居るの? 何か約束……は、なかったよね」
 いつになく真面目な顔付きになったマーリンに梓は息を呑む。
「梓に秘密裏に聞いておきたい事があってね。今、時間は大丈夫かい?」
「うん。大丈夫だけど……」
 梓に向き直り、自分より一回りほど小さな手を握りしめたマーリンはその双眸を彼女に向けたままゆっくりと話し始めた。
「キミは処女で間違いない?」
「…………はい?」
 質問の意味が分からずに固まる梓を見てマーリンは眉根を寄せて首を傾げる。
「キミはまだ未通女かどうかという事を尋ねたんだけど」
「未通女って……あれが未経験の女性の事だよね。なんでそんなことをいきなり聞こうと思ったの?」
「勿論梓を抱くためだよ」
 ……なんてストレートなんだこの人は。予想していなかった答えに梓は目眩を覚えつつ、どうにか冷静になろうと深呼吸を繰り返す。しかし目の前の魔術師はそれを許そうとしなかった。
「その歳でまだ清らかな乙女のままだと知った時は感動すら覚えたものだ」
「待って待って、話が飛躍し過ぎてる!」
「梓が焦るなんて珍しい。もっとよく見せておくれ」
 テーブルに身を乗り出して顔を近づけてくるマーリンに梓は思わず後退ってしまう。
「ち、近いよマーリン!!」
「キミの顔が見たいんだよ、梓」
「〜ッ!!」
 恥ずかしさのあまり勢い良く立ち上がったせいか椅子が後ろに倒れてしまい、ガタンと大きな音を立てて床に転がった。慌ててそれを起こそうとするがそれよりも早くマーリンが元の位置に戻してくれる。お礼を言うべきか迷っている間にマーリンは立ち上がり、梓の背後に回るとその両肩に手を置いた。
「梓、こっちを向いて」
 耳元で囁かれるとゾクっと背筋が震えて、そのまま身動きが取れなくなる。マーリンの手つきがいやらしくて、振り払おうとすればするほど意識してしまう自分が居たたまれない。
(私がそれに弱いの知ってて、わざとやってるんだ)
 恨めしげに睨みつけるもマーリンは気にした様子もなく、むしろ嬉々として距離を詰めてくる。
「話を戻そう。どうしてキミが未経験か尋ねた理由はちゃんとあってね。実は……」
「実は?」
「大きいんだよね、私のが」
 瞬きすること数回。必然的に梓の目線がマーリンの下半身に向けられる。黒のゆったりとしたズボンに包まれているそれを否が応でも想像させられて、カッと頬に熱が集まっていくのを感じた。
「そ、それが……どう関係あるの」
「梓が怖がらないよう出来るだけ優しくするつもりだけと、やっぱり慣れというのは大切だからね。そこでまずは私とのセックスに慣れてもらう為にも、予行練習をしておきたいと思って」
 言い終わると同時にマーリンは梓を抱きすくめると、背中に回していた手をするりと下腹部に滑らせる。薄い布越しに感じる手の感触に梓は身を捩るが、マーリンは逃さないと言わんばかりに腕の力を強めた。
「ちょっ、と……マーリン!」
「ここに私のが入ると思うと興奮してくるだろう?」
「ひゃ……! だめ、そこは……あっ……」
「梓」
 吐息混じりの声で名前を呼ばれれば、抵抗しようという気力はみるみると萎んでいき、気付けば梓の口からは甘い声が漏れ出ていた。
「……いい子だね。梓」
「まぁ、りん……?」
 下腹部を這っていた指が遠のいていく感覚に寂しさを覚える暇も無く、今度は胸を包み込むように触れられると梓はビクリと体を震わせた。
「最初は胸への愛撫だけで達する事が出来るようになろうか。さっきの反応を見る限り素質はあるようだし、今から楽しみだ」
 梓を解放したマーリンは先程見せた綺麗な笑顔を貼り付けたまま、部屋の扉へと向かって歩いて行く。
「それじゃあ明日からよろしく頼むよ」
 部屋から出ていくマーリンの背中を呆然と見送っていた梓は自分の身に何が起きたのか理解出来ず、しばらくその場から動けなかった。

極夜