異国の騎士王こわい

「あ」
 ばちん、と視線が交わったと分かるなり彼は翠玉色の目を細めてそれはもう美しい笑顔を浮かべて、ゆったりとした足取りでこちらに歩み寄ってくる。
「やあマスター。両手いっぱいに聖晶石を持っているね。僕でよければ運ぶのを手伝おうか」
「え、あの、いや……ありがとうアーサー。私は大丈夫だよ。これくらいどうって事……」
 どこへ向かおうとしていた異国の騎士王に知られたくなくて、何とか断ろうとしていた私から聖晶石をひょいと取り上げてしまうアーサー。そんな何気ない動作にさえ、どきりと胸が弾んでしまうのだから本当に始末が悪い。
「遠慮しないで。僕は君のサーヴァントなのだから、もっと頼ってくれても構わないんだよ?」
 そう言ってまた優しく微笑むものだから、私の心臓はますます早鐘を打っていくばかりだ。
 こんなにも素敵な人が自分の声に応じてカルデアに来てくれた事が未だに信じられなくて夢みたいだとも思うし、嬉しいけれど同時にとても申し訳なくもあるのだ。だってこの人は、本来なら私が召喚できるような英霊ではないはずなのに――。
「……梓? どうかしたかい?」
「え!? あ、ううん! 何でもない!」
 いきなり名前で呼ばれてドキッとしちゃった、なんて口が裂けても言えるはずもない。不思議そうな顔をして首を傾げたアーサーに対して慌ててぶんぶんと首を振りながら誤魔化すように笑えば、アーサーもまた柔らかく笑ってくれてほっとする。
「僕の勘違いでなければなんだけど、新しい英霊召喚でも試みるつもりだったのかな?」
「ああ、うん……まぁそんなところかな」
 歯切れの悪い返事と露骨なまでに視線を外した態度では肯定しているようなものだが、実際その通りなので仕方がない。
 現在我がカルデアにはアーサー以外に凡人類史側の円卓の騎士達も来てくれているのだが、彼らだけでは戦力的に心許ないのでもう少し戦える仲間を増やしたいと思っていたのだ。
「そうか……。それじゃあ僕も一緒に行ってもいいかな?」
「もちろん大歓迎だけど、見ていても楽しいものじゃないと思うよ?」
「構わないよ。偶にはゆっくり梓と話したいからね」
(またそうやって無意識に殺し文句を言う……)
 さらっとそういう事を言ってしまうあたりが天然タラシという奴なのか、それともこの人本来の性質によるものなのか分からないけどとにかくずるいと思う。顔が良い上に性格まで良いとか反則が過ぎる。天はアーサーに二物どころか三物四物いや、もっと与えている気がする。
「迷惑……だったかな? 無理強いするつもりはなかったんだけど……」
「そっそんなことない! 全然無いです!! むしろ光栄っていうか嬉しくて舞い上がりそうだっていうか!!」
「本当かい? ふふ、良かった。それじゃあ行こうか」
 ぱあっと表情を明るくさせたアーサーに手を差し出されれば、断る理由などある筈もなくおずおずとその手を取って歩き出す。
 こうして手を繋いでいるだけでドキドキしてしまうのだから我ながら単純だと思うけれど、それでもやっぱり好きな人と触れ合えたら嬉しいし幸せを感じてしまうのだからしょうがないじゃないかとも思う。
「それで一体誰を呼ぶつもりなんだい?」
「んー……候補はいくつか考えてみたんだけど、とりあえず一番相性の良さそうな英霊を呼び出してみようと思ってるよ」
「確かに召喚時の運要素が大きいとはいえ、やはり縁のある相手の方が馴染みやすいだろうしね」
「そういう事。だからね、今ちょっとだけ緊張してるんだ」
 ははは、と苦笑いを浮かべた私を見てアーサーは何を考えたのか繋いだままの手に力を入れるとぎゅっと握り締めてきた。突然の事に驚いて隣を見上げれば彼は柔和な笑顔のままじっと見つめてくる。
「……大丈夫だよ、梓。君は一人きりなんかじゃない。これから先どんな困難が立ち塞がろうとも、必ず僕達が力になる。決して諦めずに前を向いていればきっと道は必ず開けるはずだ。僕はそれを証明するためにここに居るのだし、その為の力なら惜しむつもりはないからね」
「……うん、ありがとう。頼りにしてるね、アーサー」
 そんな風に話しながら歩いているうちに召喚室へと辿り着く。既に準備万端で整えてあった聖晶石を手に取り、召喚の為の詠唱を開始しようかと口を開きかけた時、不意にアーサーが「待って」と制止をかけた。何だろうと不思議に思いながらも大人しく口を閉じて待つ。すると彼は少し考え込むような素振りを見せた後、ゆっくりとこちらへ向き直った。
「――王として、君を守る英霊として、こんな考えをもってはいけないと分かっているけれど……どうか、聞いてほしい」
 真剣な眼差しで見つめられ思わず息を呑む。
「さっき廊下で会う前から梓が近々英霊召喚を行うだろうと何となく察していたし、それによって召喚されるであろうサーヴァントについて予想もついていた」
 これが噂に聞く直感というものなのか……なんて考えつつ、私は無意識のうちに眉を寄せて困惑していたのだろう。そんなこちらの様子に気付いたアーサーは安心させるように微笑みながら私の頬に触れ、まるで壊れ物にでも触れるかのように優しく撫でながら静かに語り始めた。
「君が今回英霊召喚を行い、縁を結ぶのは僕と同じ『セイバー』クラスの英霊なんだけれど……」
 そこで一旦言葉を区切ったアーサーは、何故かとても言い辛そうに視線を彷徨わせていた。
 一番最初に私の声を聞き届け、今日まで何度も助けてくれたアーサーの負担を少しでも減らせたら、と考え英霊召喚に至った所も少なからずあるのだが、どうやらそれが逆に彼の負担になっているらしい。
「ごめん、アーサー。私のせいで気を使わせちゃったみたいだね」
「違うんだ梓。これは僕のわがままさ」
「わがままって……?」
 首を傾げるとアーサーは目を伏せ、困ったように笑ってみせる。その表情が何だか泣き出しそうな子供のように見えたものだから、つい心配になってそっと手を伸ばしてみればアーサーの方からも距離を詰めてきてそのまま抱き寄せられてしまった。
「梓が僕の身を案じてくれているのは分かっている。僕も君の気持ちはとても嬉しいし、君のためになれる事は何でもしてあげたいと思っているよ。でも、だからこそ僕以外の英霊に君を奪われる事が耐えられないんだ」
(……それってもしかしなくても嫉妬してくれてる?)
 一瞬自分の都合の良い妄想が聞こえたのかと思いきや、現実はそう甘くない訳で。次の瞬間にはアーサーの腕の中から解放されていた。
「いきなり女性を抱き寄せるなんて失礼だったよね!? 本当にすまない!」
「いや、別に気にしないけど……むしろ役得っていうか……」
(アーサーの体は温かくて良い匂いがしてた……)
「え?」
「あ、いや!こっちの話!! それより続き聞かせてもらっても良い?」
「あ、ああ。つまり僕が言いたいのは梓が他の男に奪われるくらいならいっそ……と、そういう事を考えてしまった未熟な僕を許して欲しいという事だったんだ」
「……んんん!?」
どうやら自分の都合の良い妄想ではなかったようだ。横目でアーサーを見やると頬を上気させ、口元を手で覆いながら「言ってしまった……」と呟いている。
「それってどういう意味? 最近流行りのブリテンジョーク?」
「言葉通りの意味だよ。僕は、君が好きだ。だからこそ、これから召喚されるであろう『セイバー』クラスの彼には負けたくない」
「……っ!」
「勿論、梓の意思を無視してまで何かするつもりはないよ。ただ、もしも彼が君に不貞を働いたりするような事があれば遠慮なく言って欲しい。その時は、全力を以て彼を排除させて貰う」
 冗談ではなく本心だと分かる声音と瞳の色を前にして、私はごくりと喉を鳴らす。
「……アーサー」
「うん」
「私、まだアーサーの事好きかどうか分からない。だけど、アーサーが私の為に行動してくれるっていうのは凄く嬉しかった。だから、ありがとう。私も出来る限り頑張るね」
「梓……ありがとう」
 お互いに笑い合った後、私はアーサーのエメラルドの瞳を見つめながら口を開いた。
「英霊召喚は止め!」
「どうしてだい!? 梓の気持ちは尊重すると──」
「アーサーが私の気持ちを尊重してくれたように、私もアーサーの気持ちを尊重したいと思ったの」
 そう告げるとアーサーは何とも言えない複雑な表情を浮かべた後で、小さく溜息を吐いてから苦笑する。
「参ったな。まさかこんな形で君に一本取られるとは思わなかった」
「そこはきっとお互い様だよ」
 どちらともなく顔を見合わせ、ふっと吹き出すように笑う。
「君を守るため、これまで以上に死力を尽くすと誓うよ」
 目の前で片膝をつき、恭しく頭を垂れてみせたアーサーに思わずドキッとした。騎士王として名高いアーサー王に傅かれる日が来るだなんて想像すらしていなかったけれど、今この瞬間だけは彼だけの姫になったような気分を味わえたような気がして、少しだけ誇らしい気持ちになる。そんな風に考えてしまうのも、きっと今までアーサーの人柄に触れてきたからだろう。
「これからも私と一緒に戦ってね、騎士王様」
「喜んでお受けします。我がマスター」
 差し出された手を握り返し、ゆっくりと立ち上がるアーサーを眺めているうちに無性に照れくさくなってしまって頬が熱くなるのを感じた。そんなこちらの様子に気付いたアーサーは少しだけ意地悪そうに微笑む。
「どうかしたのかい、梓?」
「いや、その……。なんかこういうの恥ずかしいなぁとおも……」
 頬に当たる柔らかな感触に驚いている間にアーサーの顔が離れていく。
「ごめん。梓の顔があまりにも可愛くて、つい」
 顔から火が出るというのはまさに今の自分のような状態を指すのだろう。
 何か言い返さなくてはいけないと頭では分かっているものの、脳内に浮かぶのは目の前にあるアーサーの整った顔と先程のキスの記憶ばかり。結局何も言えずに俯いたまま黙っていると、翠玉色の双眼が不安げに見下ろしてくる。
「梓?」
「あ、あの……その、えっと……」
「ごめんよ。流石に嫌だったよね」
「いや、全然! むしろ嬉しいっていうか……ナンデモナイデス」
 これ以上追及されたら間違いなく墓穴を掘る事になる。それだけは避けねばと必死に思考を回転させ、どうにか話題を変える事にした。
「アーサーが作ったマカロニグラタンが食べたいな!」
「え?」
「ほら、前に作ってくれたでしょう? あれまた食べたいな〜って思って」
 我ながら苦しい言い訳だとは思ったが、アーサーは特に疑う様子も無く笑顔で頷いてくれた。
「……そうか。分かった、すぐに用意しよう」
「やった! 楽しみにしてるね!」
「ああ。腕によりをかけて作るよ」
(危なかった……。でも、アーサーがあんな事してくるなんて意外かも)
 いつも紳士的な振る舞いをする彼の意外な一面を見たようでドキドキしてしまう。
(でも、ちょっと強引なアーサーも悪くない……かな)
 手を差し伸べて待ってくれている異国の騎士王の姿に胸が高鳴ったのは言うまでもない。
 まだ恋と呼ぶには程遠いかもしれないけど、それでも確かに芽生えた感情を胸に抱きながら私はアーサーの手を取った。
「これからもよろしくね、アーサー」
「勿論だよ、僕の可愛い人」
「んんん!!!」
 勢いよくアーサーの方を見ると言った側であるはずの彼の顔が耳まで真っ赤に染まっていて、私までつられて頬が熱くなってしまう。
(アーサーと居ると心臓が持たない…!)
 そんな私の内心とは裏腹に繋がれた掌からは確かな温もりが伝わってきて、何だかくすぐったかった。

極夜