異国の魔術師こわい

※ほんのり百合風味 キス描写有

 目の前で妖艶に微笑む美女に梓は堪らず頬を真っ赤に染めてしまう。年相応に恥じらう梓の姿を見た美女は更に笑みを深めると彼女の顎に指を添えて腰にその腕を回すと更に距離を詰めてしまった。

 事の発端は数十分前に遡る。特に何の予定もなく、カルデア内の廊下をぶらぶらとしていた梓はよく見慣れた白銀の美しい長髪が曲がり角に吸い込まれていくのを見かけた。
「あの髪はマーリンだよね」
 特に用事はないけど、暇だし話し相手にでもなってもらおう。そうと決まると足取りは極めて軽くなり、あっという間にマーリンの後を追いかけて角を曲がる。
「マーリ、」
 しかしそこに居たのは彼よりもずっと背の低い華奢な女性だった。
 こちらの存在を認識した女性は少し驚いた表情を浮かべると、白衣を翻えらせ、コツコツと靴音を響かせながら梓に近付くとすぐに人好きのする笑顔を見せた。
「ふぅん……キミが彼の……」
「あ、あのっ! 同性とはいえ些か距離が近いと言いますか……!!」
(どことなくマーリンと似た声をしているような……)
 梓の言葉には耳を傾けず、まじまじと観察するように眺め回してくる女性に彼女は戸惑いの声を上げる。しかしそんなことはお構いなしに彼女は梓の全身をくまなく確認すると満足げに口元に弧を描いた。
 そして梓をさり気なく壁際に追い込むと顔の横に手を突いて逃げられないようにしてしまう。
「私とちょっと遊ばない?」
「遊ぶ……?」
 何を思ったのか、女性は突然顔を近づけてきたかと思うとそのまま唇を重ねてきたのだ。驚きのあまり目を見開いて固まる梓に構うことなく舌を差し込んでくる彼女に梓はようやく我に返った。
「な、な、な……!?」
 唇を押さえて後退ろうとする梓を見てくつくつと喉を鳴らして笑う美女。美女は何をしても様になるなぁ……と頭の片隅で考える一方で名も知らぬ女性にキスされたという事実を受け入れられずにいた。
「マーリン!!」
 第三者の怒号と強く腕を引かれたことでハッと意識を取り戻した梓はそのまま力任せに引き寄せられ、後ろから抱き締められる形で誰かの腕の中に収まった。見上げると見知った端正な横顔があり、視線を上げると翡翠色の綺麗な瞳とかち合った。
「アーサー?」
「どうして君が此処に居て、梓……マスターに触れているんだい?」
 普段よりも低い声でそう言うとアーサーは梓を抱き寄せたまま背後の女性を一睨みした。アーサーの言葉を受けた女性は心底愉快だと言わんばかりに目を細めるとクスクスと笑い出す。
「久しぶりだね。あの時見送って以来かな」
「質問に答えてもらおうか、マーリン」
「マーリン?!」
 まさかの人物の登場に梓が驚愕の声を上げれば、彼女は梓の反応を楽しむかのように笑みを深めた。
「初めまして、カルデアのマスター。そこに居る異国の騎士王から彼がどういう立ち位置に居るの聞いているとは思うけれど……」
 服の裾を摘み上げ、カーテシーをする彼女。その姿は何処かのお姫様に見えてしまいそうな程優雅だった。
「私はマーリン。簡単に説明をすると彼の師に当たる人物だ」
「……えぇっ!?」
 梓は素っ頓狂な声を上げて思わず目の前のマーリンと名乗る女性の顔を凝視した後、未だ自分を抱き締め続けているアーサーの顔を見る。彼はゆっくり梓の身体を解放すると困ったような笑みを浮かべて頬を掻いた。
「ごめんよ。黙っているつもりはなかったのだけれど……」
 あまりにも申し訳なさそうな顔をするアーサーに梓が何も言えずにいるとマーリンは二人の前に回り込み、梓の手を取った。
「アーサーの師匠だとは知らず……ごめんなさい」
 深々と頭を下げた梓に対してマーリンは優しく微笑むと彼女の手を握る手に力を込める。
「謝る必要なんてないさ。それに、キミが私のことをどう思っていても構わない」
 その言葉に僅かな引っ掛かりを覚えた梓が頭を上げると深い紫色の目がこちらを真っ直ぐに見つめていた。まるで全てを見透かすかのような目に梓は息を飲む。
「マーリ、」
 柔らかな感触が唇に触れると同時に視界いっぱいに広がった白銀に梓は再び固まることとなる。
「……ん、ッ……」
 いつの間にか腰に回されていた手がするりと臀部を撫でる感覚にぞくりとしたものが背筋を走る。どうにかして離れようともがくがびくりともしない。それどころか口付けが深くなるばかりで思考が蕩けそうになる。
「マーリン!いい加減にしないか!」
 顔を真っ赤にしたアーサーが強引にマーリンを引き剥がすと、ようやく解放された梓は大きく肩で呼吸を繰り返した。
「おやおや、妬けるねぇ。私の弟子は随分と嫉妬深くなったものだ」
 クツクツと喉を鳴らすマーリンにアーサーは眉間にシワを寄せると彼女を鋭く睨み付ける。だがマーリンはそれを気にした様子も悪そびれた気配もなく、梓の耳元に口を寄せると囁くように言葉を紡いだ。
「──また後でね」
 そう言い残して立ち去ってしまったマーリンに梓はただ呆然とすることしか出来なかった。
「梓、大丈夫かい?」
「う、うん……何とか……」
 心配そうに覗き込んでくるアーサーにぎこちない笑顔を向けると、彼はホッとしたように表情を和らげた。そして服の袖を梓の唇へ持って行くとそれで口元をゴシゴシと拭い始める。
「見知った気配を感じて急いで来たつもりだったのだけれど……まさかマーリンまでこちらの世界に来るなんて」
「……アーサー?」
 何か考え込むような仕草を見せる彼に梓が首を傾げるとアーサーはハッと我に返ったようで慌てて梓から手を離した。それから気まずそうに視線を逸らすと小さく咳払いをする。
「本当にすまない。梓には嫌な思いをさせてしまったね」
「そんなことないよ。だって助けに来てくれたんでしょ?」
「それは……そうだけれど……」
 心底すまなそうにしているアーサーに梓は苦笑を浮かべる。
「それにしても驚いたなぁ。アーサーの師匠が女性だったなんて」
「こちらの世界のマーリンに慣れていたら驚くのも無理はないよ」
(そういえばさっきから私の事をずっと名前で呼んでくれてる……)
 普段マスターと呼ぶ事の方が多いアーサーにしては珍しい事もあるものだと梓が考えていると彼はふわりと微笑んだ。
「梓が無事で良かった」
「っ!?」
 その瞬間梓の顔がボンッと音を立てて赤くなる。そんな彼女の変化に気付いていないのか、アーサーはそのまま言葉を連ねていく。
「前にも言ったように梓は僕の大切な人だからね。だからこそ、他の人に触れられているのは見ていて良いものではないよ」
 熱を持った顔を隠すかのように俯いた梓の頭をアーサーの大きな手が優しく撫でる。
「これからは極力……いいや、必ず君の側に居るようにするよ。何があっても、どんなことがあろうとも梓の事を守れるように」
 梓はその言葉を聞いて目を丸くすると、顔を真っ赤にしたままアーサーを見上げた。
「だから安心してくれて構わないよ」
 優しい笑みを向けてくる彼の姿に胸が高鳴るのを感じる。その感情が何なのか、何と呼べのかいいのか知らない梓は戸惑いながらも目の前の騎士王の胸に甘えるように擦り寄った。

(このまま抱きしめても良いのだろうか……)
 恥ずかしがり屋な梓がこうやって自分に触れてくれているなんて、実はマーリンが見せる幻術なのではないかと思いながらそっとその背中に腕を回す。触れ合ったそこから伝わる確かな温もりを、そっと彼は噛み締めていた。

極夜