異国の騎士王と魔術師と

 こちらにも聞こえるような声量で少女──マーリンは目の前の騎士王に対して露骨に嫌そうな声を漏らした。彼女の後ろに居た少女はアーサーの姿を確認するとぱっと顔色を明るくして、何処か安堵したような表情を浮かべた。
「一番厄介な人物に見つかってしまったなぁ」
 肩を竦ませやれやれ、といった様子のマーリンに溜息をついたアーサーは花の魔術師の腕を引くと、マスター改め梓に人の笑顔を向け、彼女の耳に届かないような声色でマーリンに問い質した。
「梓と何処へ出掛けるつもりだったんだい?」
「嫌だなアーサー。そんな怖い顔をしなくともいいんじゃないかな? 彼女に男遊びを教えるつもりなんてないさ」
 眉間に皺を寄せたアーサーに(梓が絡むと普段以上に沸点が低いな)と苦笑しつつマーリンは答えたが、自分の言葉が足りなかった事に気付くと付け足すように続けた。
「一着しか水着を持ってないと聞いたからね。一緒に選ぼうって話になったんだよ」
 それにあの水着、愛らしさも何もあったものじゃないだろう? と続けたマーリンにアーサーは一瞬考え込むような仕草を見せた。
「本当に彼女は自分の意思でついて行くと言ったかい? 人のいい梓の事だから無理矢理君に付き合わされているんじゃないか?」
「そんな事はしないよ。私だってそこまで非道ではないし、人を見る目くらいあると思っているけどね」
 まあ確かに彼女が断らない事も計算に入れてはいたけれど、と続けたマーリンの言葉を聞きながらアーサーは再び溜息をつくと、今度は梓の方へと向き直った。
「私は大丈夫だから、ね?」
 碧眼と視線を合わせずに紡がれた梓の言葉に本日三度目の溜息をアーサーが吐いた所で白い手が彼女の腕に伸びた。
「マーリンお兄ちゃんと三人で行けなくなってしまったのはとても残念だけど、安心して欲しい。私が梓に似合う水着をしっかり選ぶって約束してきたからね!」
「お手柔らかにお願いします……」
 現時点で明らかにマーリンに押されている梓を見て再びアーサーは溜息息をつきそうになるのを堪えると「分かった」と言って空いている方の梓の手を握った。
「僕も同行しよう。レディ二人だと不安だし、護衛も兼ねてね」
「いいの? アーサーの言葉は嬉しいけど、無理はしてない?」
「無理なんてしていないさ。折角の機会なんだ、色々な事を知っておいた方がいいと思うからね」
 梓に有無を言わさずそう告げるアーサーにマーリンは意気揚々と歩き出した。
「ああそうだ、アーサー。私の水着選びに口出しはしないように頼むよ」
「……努力はしよう」
 何とも言えない空気が流れそうになったところで、梓が慌てて声を上げた。
「私、早くマーリンに水着を選んでもらいたいな!!」
 その言葉を聞いたマーリンは赤紫の瞳を瞑って彼女にウインクを飛ばすと、今度こそ目的の場所に向かって歩みを進めた。

***

 目の前に立ち塞がる女性、女性、女性。
「お兄さん、わたしと遊びましょうよ〜!」
「このあと皆でカラオケ行こうって言ってるんだけど来なーい?」
「ちょ、ちょっと待って下さい……」
 水着売り場までの道中、ふいにマーリンと梓が消えた──マーリンお得意の魔術か! と弾き出された答えに一歩アーサーが踏み出した瞬間、まるで彼が一人になるのを見計らっていたかのように現れた女性達によって囲まれてしまったのだ。
「困ります。僕には連れが居るんです」
「つれないこと言わないで〜」
「こっちの方が絶対楽しいって!」
「いえ、本当に僕は……」
 何とか彼女達の誘いを断ろうとしているものの、どうにも上手くいかない。
 元々人当たりの良い性格をしている上に金髪に碧眼、彼の持つ甘いマスクのせいでナンパされやすい傾向にあるのだが、今回はいつもよりしつこいようだ。
(女性を邪険に扱うのは気が引けるけど、梓の身に何かあってからでは遅い……)
 心積もりを決めたアーサーは、そっと一人の女性の肩に手を置くと、出来るだけ優しく微笑みかけた。
「僕の彼女がヤキモチを妬くかもしれないし、遠慮しておくよ」
 そう断りの言葉を続けようとしたその時だった。
「アーサーごめんねー。待たせちゃって」
「マーリン!?」
 突然背後に現れたマーリンに驚きの声を上げるも当人は特に気にした様子もなく、なに食わぬ顔でアーサーの腕に自分の腕を絡めると、彼の耳元に唇を寄せた。
「梓の水着は無事決まったよ。直ぐに来るから心配しないで」
「君は自分が何をしたか分かって……!」
「まあまあ。梓に似合うとーっても可愛いのを選んできたから、それで許してくれないかな?」
「それとこれは……」
 マーリンの言葉にアーサーは言葉を詰まらせた。梓の水着姿は是非見たい。しかし、先程まで自分の居ない所で勝手に話を進められていた事に納得がいっていないのもまた事実である。
「後で水着を選んでる最中の時の梓の様子を事細かに話してあげるから、それで──」
「アーサー!」
 少し離れた場所からこちらに駆けてくる小さな足音と声。その声の主を確認すると、アーサーの顔色は途端に明るくなった。
「マーリンも先に行っちゃうし、心細かった……。あれ? どうかした?」
「いいや、何でもないよ」
 不思議そうな顔をする梓に笑いかけると、アーサーはゆっくりと息を吐いた。
「梓って着痩せするタイプなんだね。知ってた?」
 コホン、とわざとらしく咳払いをしマーリンは視線を逸らすアーサーの耳に口を近づけると、愉快げに囁いた。
「キミもまだまだだね」
「荷物は僕が持つよ、貸して」
 マーリンの言葉を右から左に聞き流し、アーサーは両手一杯に抱えている紙袋の一つを手に取った。
「大丈夫だよ。これくらい自分でも持てるし、重い物はないから」
「梓」
 真っ直ぐに自分を見つめる碧瞳に気圧されたのか、僅かに頬を赤らめながらも彼女は素直に首を縦に振った。
「それじゃあ行こうか」
 歩き出したアーサーの後を追うように、マーリンと梓は肩を並んで歩く。
「私としては最初に着ていた白の水着も良かったと思うんだけどね」
「確かにあれは可愛かったけど、露出が……」
「そうかい? キミも若いんだから、もっと自分に自信を持ってもいいんじゃない?」
「マーリンはもう少し恥じらいを持った方がいいよ。あれ布地少なくて殆ど紐だったし……」
 梓の呆れ混じりの苦言をさらりと受け流すと、「それより」と言ってマーリンは口を開いた。
「アーサーのあんな顔を見られるなんてね。急に梓が消えてそんな不安だった?」
「梓は僕が守るべきマスターであり、大切な人でもあるからね」
「相変わらずお熱いね」
 ちらりとアーサーの方を見たマーリンの表情は普段と変わらない穏やかなものだったが、何処と無く愉快げな雰囲気を纏っているように見えた。
「さあ梓。今から海へ繰り出そうじゃないか。アーサーも勿論、来るだろう?」
 いよいよ愉快さを隠さなくなったマーリンは悪戯っぽく微笑むと、梓の手を引いて走り出す。突然の出来事にバランスを崩した梓は思わず転びそうになるが、なんとか体勢を立て直しホッと胸を撫で下ろした。
「大丈夫かい?」
「平気。ありがとうアーサー……もう、マーリン!!」
 慌てて追いかけて来たアーサーに礼を言いつつ、マーリンを追いかける梓だったが、不意に立ち止まるとアーサーの方に向き直り、彼の手を掴んだ。
「梓?」
「……ここ人が多くて迷子になりそうだったから……」
 そう早口に捲し立て、直ぐに手を離そうとする梓だったが、アーサーはそれを許さなかった。
「僕は構わないよ。……男性除けにもなるだろうしね」
「え、なあにアーサー?」
 ぼそりと呟かれた言葉を聞き返す梓であったが、アーサーはただ微笑みを浮かべたまま何も答えなかった。
「梓、アーサー! まだかい?」
「今行くよ! 行こうか、梓」
 しっかり繋がれた手に戸惑いつつ梓は小さく笑みを溢すと、そのまま彼に引かれるようにして駆けていった。

***

「梓? どうかしたかい?」
 じっとこちらを見つめたまま、固まっている梓にアーサーは尋ねた。
「あ、いや! 何でもないの!」
「だけど、顔が真っ赤だよ?」
 アーサーからの指摘に口ごもって視線を外す梓の頭を優しく撫でながら、彼は穏やかに問いかけた。
「何かあったなら遠慮なく言って欲しい。僕は梓の力になりたいんだ」
(アーサーの水着姿に見惚れてただけ、なんて絶対に言えない……!)
 頬に集まった熱を冷ますようにパタパタと手で仰いでいた梓だったが、アーサーの一点の曇りもない瞳に根負けしたのか、やがてぽつりと話し始めた。
「その、あの、水着を着てるアーサーが凄く格好良くて……それで見蕩れてたというか……」
「君にそう思って貰えて嬉しいよ」
 嬉しそうに笑うアーサーにつられて梓も目を細めて照れ臭そうに笑い返した。
「梓もよく似合っているよ。誰にも見せたくないくらいにね」
……今、アーサーは何と?
 自分の聞き間違いでなければ、独占欲丸出しの発言が聞こえたような気がするのだが……。
(これだからブリテンの王様は……!)
 ううう……と呻きながら俯いてしまった梓に不思議そうな表情を向けていたアーサーだったが、おもむろに自身が羽織っていた白のパーカーに手を掛けるとそのまま梓に差し出した。
「これを着ておいて」
 日焼け対策かな? なんて深く考えずパーカーに袖を通していた梓だったが、ふわりと香ったアーサーの匂いにどきりと胸を高鳴らせた。
「マーリンの選んだ水着は確かに可愛いのだけれど、ちょっと露出が多いからね」
「まだ控えめなのを選んだつもりだったんだけ、ど……」
「──僕以外の人に極力見せたくはないかな」
 さらりと告げられた一言に顔を真っ赤にした梓が口をパクパクさせていると、アーサーはくすりと笑って彼女の耳元に唇を寄せた。
「梓の白い肌を他の人に見られるなんて耐えられないからね」
 続けてそう囁いて顔を離すアーサーを見て、梓は無意識に彼の服を強く握り締めていた。
「梓?」
「ず、ずるい。アーサーはいつも余裕たっぷり……」
 すっかりむくれる梓に苦笑しつつ、アーサーはそっと彼女を抱き寄せた。
「そんなことないよ。僕だって今、ドキドキしているよ」
 そう言うアーサーの言葉通り、どくんどくんと大きく脈打つ鼓動を感じ取った梓は安堵した様子で微笑むと、少しだけ彼との距離を詰めた。
「……私と同じくらい速いかも」
「だろう?」
 二人はお互いの顔を見合わせると、どちらからともなく吹き出し、暫くの間楽しげに笑い合っていた。
「おーい! 二人とも遅いよ!!」
「手を。ここも人が多いからね」
 男性をはべらせているマーリンに苦笑いを浮かべながらアーサーと梓は手を取り合って夏の海に駆け出していく。今日という一日はまだ始まったばかりだ。

極夜