臆病者の話

マスター→アルトリアの片想い百合
甘さ控えめ(報われない)

騎士王の翡翠色の瞳が大きく見開かれ舌打ちが漏れるのを確かに梓は聞いた。
目の前に迫る海魔の風貌の醜悪さに木偶の坊と化した少女の脚に触手が絡みつく。
それによって漸く我に返った梓の形のいい唇が英霊の名を形作った。

「アルトリアたすけて……!!」
海魔の体液で全身が濡れゆく恐怖から助けを乞う梓の声は震えて今にも掻き消えそうになっていた。
マスターのそんな姿にアルトリアは唇を噛み、その身に纏う魔力を目に見えて増大させていく。
何百もの光の玉が彼女の剣に集っていく光景の美しさに梓は思わず息を呑んだ。

「……宝具の開帳ですか?あれがどれ程の魔力を要するか梓も良く知っているでしょう。梓の体に負荷を掛けるわけにもいきませんし貴女の指示がない限りは発動しません」
アルトリアが頑なに宝具を展開しない理由を軽い気持ちで問うた時に返ってきた答えに自身の心臓が跳ねたことと、彼女の優しい微笑を思い返していた梓の体がふわりと宙を漂う。
赤い外套を纏った弓兵の逞しい胸板に頭を預け何がどういう事かと困惑している間にも話は進んでいるようで。

「梓は救出した。思う存分見舞ってやるといい」
「────エクスカリバー!」
振り下ろされた聖剣から迸る光の帯が海魔の全てを飲み込んでいく。
光が消え去った後に残ったものは静寂のみであった。

***

「本当に、良いのでしょうか?」
「マスターである私がいいって言ったからいいの!それにアルトリアも久しぶりに宝具を開帳して疲れたでしょ?」
「梓がそう言うのであれば……失礼します」
重厚な鎧を脱ぎ捨て藍色のハイウエストなスカートとシンプルなシャツに身を包んだアルトリアはおずおずと梓の膝上に頭を乗せた。
私を救ってくれたアルトリアにお返しがしたい。して欲しい事はない?と首を傾げ問いかける梓から視線を逸らし頬を赤らめたアルトリアは蚊の鳴くような声で膝枕を所望した。
そんな事で良いの?遠慮は要らないよと問い返す梓にアルトリアはただこくりと頷くだけであった。

後頭部で結っていた髪を解き完全にリラックスモードに移行しているアルトリアの美しいブロンドの髪を梳くと擽ったそうに身を捩じらせる。

「今日は梓を危険な目に遭わせてしまい申し訳ありませんでした」
「アルトリアは私をちゃんと助けてくれた。何も謝る必要はないよ」
「結果論としてはそうですが貴女の恐怖に染まった瞳を思い出すと忍びないのです。私がもっと周囲に目を配っていればあのような事には──」
「全部良い方に終わったし今はゆっくり休んで疲れを取る!ねっ?」
「……ありがとう梓」
アルトリアの表情が綻んだことに胸を撫で下ろし梓も表情を和らげる。
自身と同じ衣装を纏っているアルトリアに対し唐突に親近感が込み上げてきて小さく声を漏らして笑っていると、何かありましたか?と言いたげな表情のアルトリアと視線が重なる。

「ああごめんね。服がお揃いなのが嬉しくて、つい」
「突然笑い出すので何事かと思えばそういうことでしたか。この格好で出歩いたら姉妹に見られたり……などはしないでしょうね。すみません思い上がっているようです」
「アルトリアと姉妹なんておこがましいと思うけど、そう見られていたら私も嬉しいな」
姉妹というワードにチリチリと痛みを訴える心に見て見ぬふりをしてそう返す。
アルトリアは満足そうに、そして幸せそうにまた礼を述べた。

「アルトリアが好きよ、大好き」
「私も梓が好きですよ」
梓は己の言う好きと彼女の"好き"が根底から異なっていると分かっている。
そうじゃないと首を横に振って否定したい衝動をぐっと押さえ付けて梓は笑顔を取り繕う。
違うと否定したところでアルトリアが梓の感情を察してくれる確率は遥かに低い。先まで好きと述べていたのに、なにか気分を害する発言をしてしまっただろうか?とアルトリア困らせてしまうのが関の山だ。

彼女を困らせてしまう好意など灰燼に帰してしまえ。笑う梓と対照的に心は歔欷していた。

極夜