ハッピーバレンタイン!

※立香君が作中不憫な目に遭ってます

「やっと見つけ……今年も凄いね」
「さっき貰ったチョコを部屋に置いてきたところなんですが、皆優しいですよね」
つついっぱいの菓子達を前に眉を顰めている立香の瞳はいつもと変わらない優しい色を帯びている。
今日まで戦ってきた英霊達から実直な想いを目に見える形で贈られて、嬉しくないはずもないだろうと考えた梓の眉も自然と垂れ下がっていく。

「大量のお菓子を抱えてる立香君にこの場で押し付けるのは気が引けちゃうな。もし今から部屋に戻るなら、そこで渡させてもらってもいい?」
「梓さんに俺の部屋まで来てもらうのは心苦しいですが、正直それが一番助かります……」
「部屋に行く傍ら誰からどのお菓子を貰ったのか聞きたいなぁ」
甘味の山々と立香の顔を見比べ、目を光らせる梓の顔は年相応の少女の物だった。
一際異彩を放つチョコレートを指してきた梓にこれは──と説明を始めた少年の隣で真摯に話を聞きながら立香の自室目指し、二人はゆっくりと歩き始めた。

***

「では改めて……ハッピーバレンタイン!」
「毎年ありがとうございます!俺のだけじゃなく職員の人にも渡し歩いてたと聞いたんですが、かなり大変だったんじゃないですか?」
「気遣ってくれてありがとう。お菓子作りは私の趣味みたいなものだし、作ってる間はとっても楽しかったから大丈夫!」
部屋に到着し荷を下ろした立香にジンジャークッキーを手渡し、颯爽と立ち去ろうとした梓の手首を掴んだのは他でもない立香だ。

「お客人に何も振る舞わないというのも失礼ですし、少し待ってて下さい」
そう言って背中を向けた少年に首を傾げながら待っていると少々歪な形をしたショートブレッドと共にコップに注がれた珈琲の香りが鼻腔を擽る。

「こういうのを作るのは初めてなのでお口に合うか分かんないですけど……」
「立香君の手作り!?初めてでこれなら花丸だよ、いただきますっ!」
サクサクとした軽い食感の後にバターの芳醇な香りが口いっぱいに広がって、咀嚼するのが惜しいとすら思えてしまう。
あっという間に一個を平らげた梓のエメラルドの瞳が真っ白な皿に積まれたショートブレッドを捉える。

「これで良ければ今から包みますし部屋で王様と一緒に食べて下さい。恋慕を抱いてない相手とはいえ梓さんが異性と時間を共有している事を知ったら……考えるのは止めよう」
勢い良くショートブレッドに飛びついて咀嚼、そして嚥下する事に夢中になっていた梓の耳に彼の言葉は届いていなかった。
サファイアブルーの瞳が翳っている事に漸く気が付いた梓は指先についたカスを皿の上でパラパラと払い落としながら、心配そうに彼を見上げる。

「みるみる顔が青ざめていってるけど大丈夫?体調が優れない時に長居するのも悪いし、そろそろお暇しようかな」
「すみません……残りは自室でどうぞ。日頃の気持ちを沢山込めておきました」
「ありがとう。立香君もお大事にね?」
立香から手渡された大量のショートブレッドを胸にルンルン気分で踵を返す。

長きに渡って自分に従ってくれている彼には一番最後に、一際手間を込めた菓子を贈ろうと作る前から決めていた。
渡した時、どんな反応をしてくれるだろう?今まで見たことがない一面が見れるかもしれない。
そんな淡い期待を胸に自室の扉に手を掛けると同時に向こう側から扉が開かれて、梓の体が向こうに居る男性に飛び込んだ。

「……随分と遅い帰還だな」
眉間に深く刻まれた皺と浮かび上がっている青筋を見た梓は今までの経験を元に即座に男性──ギルガメッシュと距離を取ろうとした。
当然ながらそれをギルガメッシュが許すはずもなく、そのまま抱え上げられベッドに投げられた梓から悲鳴が上げる。

「自身が誰の物か自覚をしていながら渡すのが一番最後とはいい度胸をしている……そうは思わぬか梓よ」
「ひぃっ!違うの話を聞いてギル!貴方のは他の皆の違ってて……」
「覆水盆に返らず、という諺を知っておろう。過ぎたる事に幾ら言葉を並べ、言い訳をしたところで何の意味も成さぬぞ……加えて他の男の香を纏って我が前に姿を現すか」
ただでさえ深く刻まれていた皺が更に深くなったのを目撃した梓は蛇に睨まれた蛙よろしく、カチンと固まってしまった。
いつの間にか奪われていたショートブレッドが宙に舞い落ちていくのを、梓はただ眺めている事しか出来なかった。

私が帰ってくるまで開いちゃ駄目だからね!とキツく言いつけられていた冷蔵庫が無性に気になって、冷蔵庫の取っ手に手をかけたギルガメッシュはその先に広がる光景に目を細め、滅多に見せることのないやや間抜けた表情を浮かべた。
生クリームと苺でデコレーションされたケーキの上には黄色の華々が咲き誇り、華と同様にチョコレートで作られた赤い蝶が羽を休めている。
ショートケーキの下段にあるグラサージュケーキも上段に負けず劣らずなデコレーションを施されており、冷蔵庫内の光を反射しながら鎮座していた。

「ギルの綺麗な金髪とその赤い瞳をイメージしてみたの。……最後までチョコと生クリームどちらにするか悩みに悩んで両方作っちゃいました!」
「我をイメージしたケーキ……浅慮な梓なりに考えた方ではないか」
「本当!?」
床で横たわっているショートブレッド達に陳謝して暗くなっていた梓の顔が目に見えて明るくなる。
先程ベッドに投げ飛ばされたのもすっかり忘れて、そのまま勢いよく身体を起こした梓は鼻歌混じりに冷蔵庫からケーキ達を机の上に連れ出してくる。

「生クリームとチョコどっちがいい?」
王が静かに指差したケーキを残しもう一方には大変申し訳ないが再び冷蔵庫の中に帰っていただく。
照明の光を照り返して輝くグラサージュケーキを前に包丁を取り出し切り始めた梓の顔は綻びっぱなしだ。

「少量だけど洋酒入りのトリュフも作ったからそっちも後で摘んで……ってもう食べてる。美味しい?」
「梓が作った菓子に我が不満を漏らした試しがあったか?」
「出会って間もない頃、思い上がるなよ雑種という言葉と共に……あ、でもあの時も口ではそう言いながら食べてくれてたね」
目を三日月型にして満面の笑みを浮かべている梓を眺めていたギルガメッシュはフンと鼻を鳴らすと、どっかりと豪華な椅子に腰掛けた。

「今後我以外の男と二人きりになる事があれば……流石の梓もどうなるか分かっていよう?」
いつになく低くドスの効いた声に肩を震わせて、直後何度も首を縦に振る梓に王は目を伏せる。

「私の傍にずっと貴方の姿が居てくれるよう願いを込めて……ハッピーバレンタイン、ギル!」

極夜