引いて駄目ならば押すしかない

こちらの続き
今回もマーリンが出てます

「おはよう梓。寝癖がついているよ」
「おはよう。ごめんアーサー直してもらってもいい?」
寝起きの彼女はいつにも増して無防備だ。
今さっき起きましたという空気を纏ってベッドに腰掛けている梓は半分ほど開いた瞼を擦りながら、ぼんやりと異世界の騎士王を見上げた。

「今日はいつもの鎧じゃないんだね。この服もとても似合ってて、素敵だと思う」
「今日は特に予定もないし、偶にはこういう格好でも構わないかと思って。君に褒めてもらえるのは嬉しいね。隣、失礼するよ」
黒色のシャツに黒のベストという彼にしてはラフな装いが存外珍しいのかはたまた気に入ったのか穴が開くほどアーサーに視線を注いだ梓は顔を綻ばせ、素直に本心を伝えた。
一言断りを入れたアーサーが梓の隣に腰を下ろすと彼の重みの分だけベッドのスプリングが軋む。
恐らく肯定であろう返事をもらったアーサーは壊れ物に触れるかのように優しい仕草で梓の髪に触れる。
手櫛で直ればいいのだけれど……というアーサーの思いとは裏腹に彼女の頑固な寝癖は一向に直る余地を見せない。

「困ったな……梓?」
「あああああの!どっ、どうしてアーサーさ……アーサーが私の隣に座っておられるのでしょうか!?そしていつから部屋においでになられて……おはよう、ございます……」
夢と現をさ迷っていた梓の意識が確立された途端、悲しい程ベッドの端に寄って蚊の鳴くような声で二度目の挨拶をする梓にアーサーは困り顔のままで微笑した。

「梓が起きて間もない位かな?きちんとノックをして君に入室を促されてから入ってきてはいるからそこは安心してほしい」
「その辺りの記憶が全くなくて……何か変な事を口走ってなかった、ですか?」
「今日の僕の格好を素敵だと言って愛愛しい笑顔を向けてはいたけど、あとは──梓?」
「ごめんなさい。着替えとか気持ちの整理をしたいから退出してもらってもいい……かな」
耳まで真っ赤になった顔を両手で覆った梓にアーサーは首肯し、彼女の部屋を後にした。

梓という少女に召喚されて数ヶ月。
召喚されたあの日から彼女との距離は縮まっているようで、実際のところ殆ど縮まっていないというのを彼自身よく分かっている。
名前を呼べば悲鳴を上げて後退り柱を介して要件を問われ、確認を取ろうと背後から肩を叩いた時は錆びたブリキの玩具のようにぎこちなく首を動かした後、そのまま固まってしまったり──。
あの場に居合わせた"この世界の"花の魔術師から梓が異性に対して免疫がないに近しいと聞いてはいたが、ここまで深刻だとはあの時思いもしていなかった。
先のように寝起きの時に訪ねると異性に対する警戒心諸々が薄れているのか砕けた言葉で話してくれるし、こちらの事をアーサーと呼んでくれる。
加えて今朝のように彼女に触れたとしても悪態をつかれる事も無い。

「……ここまでくると梓は僕の事を毛嫌いしているんじゃないかとすら思えてしまうな」
自虐的な笑みを浮かべた彼はその考えを取り払うように首を振る。
そう決めつけてしまうのは時期尚早ではないか。自身には強力な味方が居ることを思い出した蒼銀の騎士は靴音を広い廊下の中に響かせた。

***

「来る頃だと思っていたよ。内容は──梓の事だね、分かっているとも!」
自身の悩みを含め全てを見通していると言いたげな菫色の瞳を細めたマーリンはアーサーが顔を見せるなりゆったりとした服の袖から小瓶を取り出した。

「愛の妙薬ではないから安心してくれ。これは……そうだなぁ真実薬のようなものさ」
「彼女に悪影響を及ぼすなんて事は……」
「梓というマスターを失って一番に困るのは私と君を含め彼女と契約している英霊とここの機関だ。梓を私が泣かせたという噂が流れると後が恐ろしいからね、その辺は安心してほしい」
部屋の片隅に存在する椅子に腰を下ろし、肘置きに置いた手を顎に添えながらマーリンは断言した。
無限に咲き続ける花の香りだろうか、やや薄暗い彼の室内に充満している心地の良い匂いをアーサーは肺いっぱいに取り込む。

「すまないマーリン。恩に着るよ」
「君と梓がすれ違う様は見ていて面白いけれど、最近は哀愍の気持ちが勝ってきてね。相性の方は間違いないだろうに」
相性の部分に引っ掛かりを覚えながらマーリンの部屋を退出したアーサーの背中を見送って「ああ、そう言えば」とさもわざとらしく魔術師は口を開く。

「一回にどれ位の量を使えばいいか、だとか多量摂取した場合どうなるか伝えるのをすっかり忘れてしまっていたけど……まあ構わないかな」


詰めた分だけそれ以上距離を置かれ、離れたら離れた分だけ距離があく。
可能であればゆっくり梓と距離を縮めて、隣ではにかむ彼女を慈しみたい──と思っていたアーサーにとって花の魔術師に頼り、このような薬品に縋る事は自分の中でも納得のいっていない所が大きいのだがそれ以上に彼は梓というマスターと密な間柄になりたいいう思いを日に日に募らせていっていた。

一緒にタイムシフトして欲しいと懇願してきた彼女に同行し、特異点での死線を戦い抜くうちに梓の事をもっと知りたい、親睦を深めたいと思ってしまうのは至って普通の事だろう。

「そういえばどれだけの量を使用すればいいか聞きそびれてしまったな。一度封を開けると効力が消失する物かもしれないし、とりあえず全部入れてしまおう」
昼飯からそこまでがっつり胃に物をいれるはずもないし、少し早い午後のティータイムはどうだい?と声を掛けても何ら怪しまれはしないだろう。
梓と自身を隔てる壁のように存在している扉を三回ノックして入室の許可を持つ。
彼女に気付かれぬようポケットに小瓶を忍ばせて。

***

訪問者がアーサーだと分かった瞬間顔を強ばらせた梓だったが、彼の提案と運ばれてきた紅茶の匂いによってそれはぎこちない微笑に変化した。
彼女が紅茶を飲み干しているのを無意識のうちにじっと見つめていたらしい。
紅茶を啜りながらアーサーを見上げている梓は視線を右往左往させながら空気を震わせた。

「早く飲まないとアーサー……のも冷め、ちゃうよ」
これまたぎこちない梓の声を聞いて彼もまたティーカップに口をつけた。

「アーサーが入れてくれる紅茶はいつも美味しいね。種類ごとに蒸らす時間とか変えて……るの?」
「茶葉によって適した湯の温度や蒸らし時間は変わってくるからね。そこはいつも気を付けているよ」
備え付けの小さな流し台で二人分のティーカップを洗い終え、いつもの定位置……ベッドに座っている彼女から少し離れた椅子に腰掛けたアーサーは目を細め頷きかけたところで何処と無く熱を帯びた瞳でこちらを見つめてくる梓に視線が釘付けになってしまう。

「きっとアーサーは私の召喚に応じた事を後悔してるよね。未熟な所を見せて幻滅されるのが嫌で避けていると思われかねない事も日常的にしているし……でもね、どんな時も私を信頼して背中を預けてくれるアーサーには感謝してているし、分不相応だと充分に分かってるけど、初めて会ったあの時から私は貴方のことが好き」
「好き……?梓が、僕のことを?」
「一介の魔術師から好意を寄せられて一番困るのは英霊であるアーサーだと分かっていたからこの気持ちは墓場まで持って行くつもりでいたの。だけど明日もこうやって貴方と二人、とりとめもない話が出来るなんて分からない。だから伝えられるうちに私の想いを伝えておかなくちゃ、って」
とんでもない誤解を今までしていたようだ。
今までの梓の行動が自身の感情に蓋をし、意中の相手に見苦しいところを見せたくないからだと分かったアーサーは椅子から立ち上がると彼女の真隣に腰を下ろし、陶器のように白い柔肌に手を添えた。

「僕の視界の中に梓が映っていないと不安な気持ちになってしまう。……この言葉の意味分かってくれるかい?」
頬に添えられたアーサーの手に自身の手を重ねた梓は極上の微笑を浮かべ、静かに瞳を閉じる。
暗闇の中で愛しい人が己の名前を呼んでいることに至高の幸福を感じながら、梓は彼の口付けを受け入れた。

***

──例えるのであれば綿あめ、或いは雲のようなフワフワとした意識の中に梓は居た。
先程まで見ていたビジョンはこんな風に互いに想いあえていたら良いのに、なんていう私が見た理想のまやかしにしか過ぎない。

ズキズキと痛みを発している体に疑問を抱きながらゆっくり瞼を開く。
そういえば私の頭の下にある固い物は何だろう?枕にしてはちょっと固すぎる……。
ここまで考えが行き着いたところで自分を見つめている翡翠色の瞳とばっちり視線が絡まってしまった。

「おはよう梓。君は寝顔も愛らしいね」
「……な、ななななっ!?」
どうして片思いしている相手が目の前に居て更に同じベッドに横たわっているの?!
よくよく見ればアーサーも自分も衣服を纏っていないし、痛みの発生源を考えると夢だと思っていたことは全て現実でしたという自分にとって大変幸せすぎる結論に行き着いてしまうのですが。

「普段の梓も勿論可愛いけれど、素直な梓は更に可愛くて素敵だと分かった事だし……」
端正な顔が近付いてきて梓が何かを言う前に彼の唇が重ねられる。

「昨日無理をさせ過ぎてしまった自覚はあるし、今日はゆっくりしてて欲しい。僕に出来る事なら何でも言ってくれ」
昨夜というワードに朧気ながら脳内で再生される彼との行為に深くシーツを被った梓とその瞬間に自身がつけた彼女の首筋に咲く赤い花を捉え、満足そうに笑う騎士王。

「(気持ちのすれ違いに気が付く事が出来て本当に良かった。後でマーリンにお礼を言わなくては)」
「(アーサーが部屋に来てくれて一緒にお茶を飲んだまでの記憶はしっかりとあるんだけど。アーサーに直接その後の事を聞いた方が早いかな?……よし!)」
着替えを終えたアーサーにシーツを被ったまま、ぼそぼそと疑問点を挙げ返ってきた言葉に梓が間もなく顔を真っ赤にして固まる事を知っている花の魔術師は、薄暗い自室でいたずらっぽく笑っていた。

極夜