本当は誰より気付いて欲しかった


(髪は一つに結い上げてしまおう)
 鍋を作ると言って背を向けた坂口先生に気が付くと私も手伝いますと声を掛けていた。声を掛けられた当人は特に困った素振りも見せず、事前に用意されていたらしいエプロンを投げ渡しながら「サンキューな」と口の端を綻ばせるものだから速まる胸元と赤く色付いた頬を気付かせてなるものかと俯いて渡されたエプロンを身につけながら、手首に通していたヘアゴムに指をかける。
「ん……?」
 不意に距離を縮めてきた坂口先生に唇が戦慄くのを感じながら震える声で「どうかしましたか」と尋ねると落ち着いた蒼の瞳が私の右耳に注がれている事に気が付いた。
「ピアスあけてたんだな。今気が付いた」
「は、はい。少し前にあけたところです」
 漸く落ち着いてきた痛みと熱を急に思い出して右の耳朶に触れる。坂口先生を連想させる色味だと思って選んだピアスは今も照明の光を浴びて鋭い光を放っているのだろう。
「何かこの色、俺みたいだな……と、嘘だからそんな風に睨むなって。またピアス買うのに付き合ってやるし」
 断じて睨んだ訳でなく思い浮かべていた本人に言い当てられて恥ずかしかっただけなのだけれど、ここで否定して更に追求された時の上手い躱し方が浮かばないので口ごもっていると嬉しいお誘いを受けてしまった。
「シンプルなのも良いが休みの日とかは大ぶりで可愛いのもつけたくなるだろ」
「はい!!……あ、えっと」
 ご最もな言葉に全力で頷いてしまったのが恥ずかしくて私はまな板に向き直って少しぬるくなったほうれん草に手を伸ばす。今日はボロが出過ぎているし仏滅かもしれない……いや、でも憧れの坂口先生と話が出来て更にピアスの事まで気にかけてもらえたので大安? 結局のところプラスマイナス0かもしれない。
「ホール安定したら教えろよ。約束だからな」
 出された小指に自分のを絡めると坂口先生が眩いばかりの笑顔を浮かべるから、私もつられて微笑した。


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極夜