貴女は貴女
白のテーブルに置いたカップの中ではゆらゆら珈琲が揺れ、馨しい香りがパッセンジャーの鼻腔を擽っている。
「作戦に参加するので暫く不在にします。帰ってきたら沢山お話しましょうね!」
口数が多くない自分と積極的に、飽きずによく話してくれる。それはルネッタが人見知りしない性格だからか、それとも自分に懐いてくれたからなのかは分からない。
ただ彼女の言葉には裏表がなく、とても素直な気持ちで接してくれていることは分かる。そんなルネッタだからこそ、自分も少しだけ気を許しているのかもしれない。
「分かりました。お気を付けて」
「約束ですよ? パッセンジャーさん」
そう言って差し出された小指に自分の指を絡めるべきか否か。少し悩んでから、パッセンジャーは手を伸ばす。するとルネッタも嬉しそうな顔を浮かべて、絡めた小指に力を入れてきた。
「行ってきます!」
元気良く手を振りながら部屋を出て行くルネッタの背中を見送ったのは明朝。今回の作戦の詳細をドクターから聞いたわけではないが、そこまで大規模な戦闘ではないだろう。ルネッタのような一見普通の女性でも戦う術は身に付けており、今まで死線を潜り抜けてきたオペレーターなのだ。自分が心配するようなことは何もないと断言出来る。
(そろそろルネッタさんも帰ってくる頃合いでしょうし、準備をしておきましょうか)
パッセンジャーが淹れるミルクと砂糖がたっぷり入った珈琲が大好物の彼女のために美味しいものを用意せねばと思いつつ、自室へと向かおうと長い脚を動かし始め――ようとしたところで、慌ただしい足音が聞こえてくる。どうやら廊下を走る音らしいのだが、一体誰がこんな時間に走っているのかと視線を向けた瞬間、勢いよく扉が開かれた。
「パッセンジャー!」
「……そんな息を荒らげてどうなさいましたか、ドクター」
「あぁ良かった! まだ居てくれて」
ぜぇぜぇと肩で呼吸をするドクターを見て、思わずパッセンジャーは眉根を寄せてしまう。彼は普段、こんなにも慌てている姿を見せることはないのだ。それがここまで取り乱しているということは余程のことがあったに違いない。
「何事ですか?」
「ルネッタが……」
ルネッタの名前が出た途端、パッセンジャーの顔が僅かに強ばる。しかしすぐに表情を取り繕うと、「それでルネッタさんがどうなさったのですか?」と尋ねた。
「実際見てもらった方が早いだろう」
ドクターに促されるまま彼の後を追うようにして歩きだす。辿り着いた先は医務室で、そのベッドの上に横たわっていた人物の姿を見た途端、パッセンジャーは小さく目を見開いた。
「……ルネッタさん」
混じりっけのない、真っ白な服に身を包んでこちらをぼんやり見つめているルネッタの姿に、パッセンジャーは違和感を覚えた。自分で言うのもおかしな話だが、普段の彼女であれば姿を視認するなり駆け寄ってくるというのに、今の彼女はただ静かに天井を眺めているだけで、一切の反応を見せようとしない。まるで人形のようなルネッタの姿を目の当たりにして、パッセンジャーはドクターに目をやった。
「……どういうことですか、これは」
「他のオペレーターを庇って、敵の攻撃を受けたんだ。幸い命に関わるような怪我ではなかったけれど……頭を強く打ってしまったらしくてね」
「頭を?」
パッセンジャーは恐る恐る近付いていく。一歩ずつ踏み締めるようにして歩を進めていき、ようやくベッドサイドまで辿り着くと、そこで立ち止まった。
「話はドクターから伺ってます。パッセンジャーさん、ですよね? 初めまして」
「ええ。初めまして」
「ルネッタと申します。これから同じロドスのオペレーター同士、よろしくお願いしますね」
柔らかな笑みを浮かべて挨拶をしてくるルネッタの言葉を聞いて、唖然とした顔を浮かべているパッセンジャーにドクターは説明を付け加えた。
「ロドスに加入した後の記憶を失ってしまったみたいなんだ。恐らくは一時的なものだと思うけど、だからと言って放っておくわけにはいかない。経過観察も兼ねて暫く彼女の面倒を見てほしいんだけど……。頼めるかな?」
「勿論です」
即答したパッセンジャーにほっとした様子でドクターは礼を述べる。そんな彼に淡く笑んでみせると、パッセンジャーは改めて彼女を見た。するとルネッタは嬉しそうに目を細めて微笑み、パッセンジャーに向かって手を伸ばした。
「初めてお会いした方に触れたい、なんておかしいですよね」
不思議そうな顔をしながらも伸ばしてきた手を取ってくれたパッセンジャーを見て、ルネッタは更に嬉しそうに笑う。
「──記憶がなくとも貴女は貴女ということが分かり、安心致しました」
その言葉を聞いたルネッタはぱちりと瞬きをしてから、どこか照れ臭そうにはにかむ。以前、彼女が自分によく見せてくれていたそれと変わらない反応。
「ふふ、パッセンジャーさんのことがもっと知りたくなってきました。落ち着いたらゆっくりお話ししましょうね」
「……はい。喜んで」
握られた手にぎゅっと力を込めると、ルネッタも握り返してくれる。この温もりさえ忘れてしまったとしても、自分が傍に居れば思い出させることが出来るかもしれない。そんな希望を抱いて、パッセンジャーは口元を緩めた。
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極夜