知らない顔、知らない感情2


 ロドスに集ったオペレーター、良く言えば同胞。私と彼女の間柄を説明するのは、これで事足りる。
 それ以上でなければそれ以下でもなかったはずなのにここ最近気が付くと生きる事を諦めたルネッタさんの顔を、巨大な火の玉が彼女へ迫るその瞬間の出来事を私は思い出してしまうのです。

「パッセンジャーさん」
 今まさに思い浮かべていた女性の声が真横から聞こえて、パッセンジャーの心臓が大きく跳ね上がった。振り返るとそこには眉を八の字に下げながら、困り顔を浮かべているルネッタが男を見上げていた。
「珈琲が冷めてしまいますよ」
 いつもの様にミルクと砂糖がたっぷり入ったカフェオレに息をふうふうと吹きかけてそれを一口飲み込むと、彼女はカップをソーサーの上へと置いた。
「やっぱりパッセンジャーさんが淹れて下さる珈琲が一番美味しいです」
 そう言って微笑む彼女に釣られてパッセンジャーも少しだけ頬を緩ませる。目敏いルネッタの事だ、パッセンジャーが思案に耽っていたこともきっとお見通しなのだろう。それでも何も言わずに傍についてくれていることに感謝しつつ、パッセンジャーも目の前に置かれたカップに手を伸ばした。
「……近頃よく夢を見るのです」
「夢、ですか?」
 話の続きを促すように金色の瞳を向けてくるルネッタに何と切り出したものかとパッセンジャーは一瞬黙り込んでしまう。
「夢を見ている間、人間は眠りが浅くなっているんだと以前誰かから聞いたことがあります」
 そこで一旦言葉を区切ったルネッタは双眸をパッセンジャーの目──より僅かに下へと向ける。
「薄くですが、クマが出来てますね」
 指摘されて近くに伏せられていた鏡を掴んで己の顔を映す。そこにはいつもより幾分も青白く、目の下にクマを作った男の姿があった。
「大丈夫ですよ。少しばかり眠れていないというだけで、寝不足というわけではありません」
 心配をかけまいと口の端を上げて笑ってみせたつもりだったが、どうやら逆効果だったらしく、ルネッタは更に表情を曇らせて俯いてしまった。

 パッセンジャーよりも大分小さく、貧相な体躯をした少年──エリオット・グラバーが死人を抱きしめ、涙を流している。それを見たパッセンジャーは即座に「これは夢だ」と判断し、目を伏せた。
 無力で非力な自分に憤っているのか、それとも誰かを失った悲しみに打ちひしがれているのか。そんな事は今のパッセンジャーには分かりもしないが、ただ一つ言えることは今の彼とは違い人としての感情を持ち合わせ、悲しむ事が出来る少年に対し羨望にも似た気持ちを抱いているということだけ。
(あれが抱えているのは恐らく……)
 視界に飛び込んできた白衣にパッセンジャーの表情はみるみる険しくなっていく。土を踏みしめる音が無音であった空間に響き渡り、エリオットは音のした方──パッセンジャーへと視線を向けた。
少年が顔を上げた事により、彼が腕に抱いていた人物が男の前に晒され……ようとした其の瞬間、乾いた風がパッセンジャーとエリオットの間に吹き荒れたと思うと、火球が少年の体を飲み込んだ。その刹那に見えたものは先ほどまで腕に抱き留めていた存在が、赤黒く変色していきながら燃え尽きていく光景。しかし炎が消え去った後に残された物を見てパッセンジャーは息を飲む。
 自身が羽織っている物と同じデザインの上着、美しい白銀の髪、普段であれば彼女の動きに合わせて揺れている同色の耳と尻尾。
「何故……」
──ヒュ、と喉奥から掠れた空気の音が鳴る。無意識のうちに零れ落ちた言葉は酷く震えていて、自分でも聞き取りづらいものだったように思えた。
 よくよく地面を凝視すると彼らが居る場所は焼け焦げ、大地には無数の亀裂が入り、隆起している。それはつい先程までこの場所で戦闘が行われていたことを鮮明に物語っていたが、不思議な事に彼らの周囲に人影はなく、辺り一面には死体どころか肉片すら見当たらない。エリオットの腕の中にいる女性が纏う服の色だけが黒々と変色しており、その事実が何よりも残酷なものとしてパッセンジャーの視界にいや俺しに飛び込んでくる。
 あの日、あの瞬間に死に絶えたはずの感情が、記憶が蘇ってくるような気がして、パッセンジャーは咄嵯に頭を抱え込むようにしてその場にしゃがみ込む。
 呼吸が上手く出来ない、苦しい。酸素を求めて喘ぐ口が開閉を繰り返す。まるで溺れているようだ。
「パッセンジャーさん!!」
 突然の衝撃にパッセンジャーの意識が現実へと引き戻される。肩を揺さぶられていることに気が付いた彼が荒い息を吐きながら顔を上げると、そこには眉根を寄せてこちらを見つめるルネッタの顔があった。
「良かった、目が覚めたようで。酷く魘されていたので心配してました」
 そう言って微笑みながら肩から滑り落ちた毛布を掛け直した彼女の姿にパッセンジャーの胸中に安堵感が広がる。
「私は……」
「わたしと話してる最中にパッセンジャーさんは眠ってしまわれたんです。今新しい珈琲を──」
 立ち上がろうとするルネッタの手をパッセンジャーは無言のまま掴んで制止する。
「パッセンジャーさ、」
 そのまま腕を引かれるとバランスを崩した身体は呆気なく彼の胸の中へと倒れ込んだ。パッセンジャーに抱きしめられる形になり、思考が追い付かず固まってしまった彼女の背中に回された男の腕の力は強く、息苦しくなるほどだったが、ルネッタは大人しくパッセンジャーからの抱擁を受け入れ、彼に身を委ねていた。
「もう少しだけ……このままで」
 鼓膜に直接囁かれるような低い声色と背中に感じる大きな手の感触にドキリと心臓が大きく跳ね上がる。ルネッタは思わず目を閉じると顔を真っ赤にして身を強張らせてしまったが、パッセンジャーの言葉に応えるようにゆっくりと両の手を動かしていく。恐る恐る男の腰あたりに腕を回すと、少し躊躇いつつもルネッタはおずおずとパッセンジャーの大きな体躯を抱き返した。
「──わたしはここに居ます」
 ぽつりと小さく紡がれたその一言は静寂な空間によく響く。耳の奥底に残る言葉の意味を理解したパッセンジャーの肩が大袈裟なほど、大きく揺れたのを彼女は見逃さなかった。ゆっくりと顔を上げれば目の前にある男の表情は普段とはまるで別人のように弱々しく、それでいて悲痛に満ちたものへと変貌していた。初めて見るパッセンジャーの表情を前にルネッタの心に動揺が生まれ、不安げに視線が泳ぐ。しかし、すぐにそんな気持ちを打ち消すように彼女の唇から柔らかな笑みが零れる。
(大丈夫。パッセンジャーさんは一人じゃない)
 ただただ無言でルネッタはパッセンジャーをかき抱く。そして、彼もそれに答えるかのように再び腕に力を入れた。

(やっと腑に落ちました。私はライアさんの事が……)
 腕の中にある確かな温もりと規則正しい心音を感じつつ、己の心を満たす想いの名をパッセンジャーはようやく理解した。
「……ライアさんにずっと言いたかった事があるのですが……聞いていただけませんか?」
「はい?……何でしょうか」
 顔を上げた男と至近距離で視線を合わせ、僅かに頬を赤く染めたライアだったが、真剣な眼差しの男の様子に何か重要な話だろうと居住まいを正すと男の方へと向き合った。
「私は、ライアさんの事をお慕いしています。……愛していると言った方が適切かもしれませんね」
 直ぐに向けられるアイスブルーの瞳は熱を帯び、どこか懇願するような雰囲気を含んでいる。予想だにしなかった言葉にライアの白い肌が一瞬のうちに朱に染まっていく。
「あ、え、っと……わ、わた……」
 ──わたしもパッセンジャーさんの事が好きですよ! と返そうとしたのだが上手く言葉が出てこなかったライアの口から意味のない母音だけが発せられる。その様子にパッセンジャーは目を細めるとくつくつと愉快そうに喉奥で笑い始めた。
「……申し訳ございません。ライアさんを困らせてしまったたようですね」
 謝罪の言葉と共にパッセンジャーが一歩後退るとその分だけ距離を詰めてきたライアが腕の中へと飛び込むようにして抱き着いた。そのまま甘えるように胸板へと頭を擦り寄せる彼女に男は静かに両手を伸ばすと、そっと壊れ物を扱うかのような手付きで小さな身体を抱き留めた。
「……嬉しいです、すごく。夢なら覚めないで欲しいと願うほどに」
 胸元に押し付けられた顔のせいでくぐもった彼女の声が聞こえ、それが更に庇護欲を刺激していく。この場には彼ら以外誰もいないという安心感からだろう。いつもであれば絶対に見せないライアの姿を目の当たりにしてパッセンジャーの心臓がどくりと跳ね上がった。
「パッセンジャーさん? ……ひゃっ」
 パッセンジャーの様子を不審に思ったライアが身体を離し顔を上げる。が、次の瞬間、彼は両腕を使って彼女の小柄な身体を思い切り引き寄せると、彼女の肩口に顔をうずめた。驚いたライアは素頓狂な悲鳴をあげるものの、パッセンジャーの行為を拒否することはなかった。
「もう暫くこのままでいても構いませんか」
 ライアの華奢な背中を片手で優しく撫で上げながらパッセンジャーは耳元でそう呟いた。こくりと小さく首を縦に振るライアに気を良くしたのか、男の口許は弧を描くように緩んだ。
「貴女への愛を自覚してから、抑えが効きません」
(今はまだこれで十分だと思えるのですから私は随分と幸せなのでしょうね)
 パッセンジャーは苦笑いを浮かべると抱きしめる力を少しだけ強くする。すると彼女はそれに応えるかのように彼に寄り添うと、その胸に顔を埋めて目蓋を下ろした。


prev next
[back]
極夜