触れていいのは彼女だけ


 ぱしん、と乾いた音が部屋に響き、パッセンジャーは思わず目を見開いた。今まさに自分に触れようとしていた女性オペレーターに冷ややかなアイスブルーの目を向けたパッセンジャーは、低く咳払いをする。
「失礼致しました。他人から触れられるのは些か苦手でして」
 遠回しに自分に触ってくれるなと伝えればきっと何も言ってこないだろう。踵を返そうとしたパッセンジャーの背中に女性の金切り声が刺さった。
「な、ならどうして! どうして彼女は良いんですかっ?!」
 パッセンジャーは溜息を吐きそうになるのを堪えながら背後の女性に向き直り、大袈裟に肩を竦める。彼女というのは恐らく、いいや間違いなく日頃自分と共に居るフェリーンの女性──ルネッタのことだろう。
 パッセンジャーは小さく首を傾げてみせた。
「私が彼女に特別な感情を抱いているとお思いですか?」
「だってそうでしょう? あの子と貴方の距離感は明らかに他の人とは違うわ!」
 興奮気味に捲したてる女性の言葉を聞き流しながら、パッセンジャーはどうしたものかと考える。
 正直なところ、パッセンジャーにとって彼女の存在は前々から非常に扱いにくいものだった。ルネッタと自分は恋仲であると伝えてしまえば話は早いのだが、それを知った彼女がルネッタに危害を加えないとも限らない。
(ルネッタさんの笑顔を守ると約束した手前、困りましたね)
 彼女の笑顔を守る為であれば、どのようなリスクも負う覚悟は出来ている。しかし、だからといってルネッタを危険に晒すような真似も出来ない。
 パッセンジャーは少しの間思案した後、女性に視線を合わせた。
「……確かに私は彼女と特別な関係ではありますが、それは貴女が想像するようなものではなく、あくまでも仕事上のパートナーとしてです」
「そ、そんなこと信じられません! だったら何故あんなにも親密そうなんですか!?」
「お言葉ですがその質問には答えかねます。これ以上の問答は無用ですね」
 有無を言わさず会話を打ち切り足早にその場を去ろうとしたその時、プシュッという空気音と共に部屋の扉が開かれ、そこに見慣れた女性が立っていた。
「ルネッタさん」
 パッセンジャーの姿を見つけるなり駆け寄ってきたライアは第三者の存在に気が付くと、目を瞬かせた。
「パッセンジャーさんが中々戻ってこられないので様子を見に来たんですが……お邪魔でしたか?」
「いえ、大丈夫ですよ。ご心配をお掛けして申し訳ありません」
 パッセンジャーは微笑むとルネッタの手を取り歩き出す。その際チラリと後ろを振り向くと、先程の女性はポカンとした表情を浮かべたまま立ち尽くしていたが直ぐ我に返りこちらに向かってきた。
「ちょっと待ってください! まだ話は終わっていませんよ!」
 追いついてきた女性の声にパッセンジャーは眉根を寄せて振り返ると、静かに口を開いた。
「これ以上話すことなど何も無い筈ですが?」
 冷たく言い放つパッセンジャーに対し、女性の顔色が怒りに染まっていく。
「ふざけないでちょうだい! 彼女のような人が貴方の恋人だなんて納得できるわけがないじゃない!!」
 ヒステリックな叫び声を上げる女性を見てパッセンジャーは大きな溜息を吐き出すと、面倒臭そうに髪を掻き上げた。
「恋人ではありませんと言ったはずです」
「じゃあどうしていつも一緒にいるの?!」
「あの……差し出がましいかもしれないのですが」
 二人のやり取りを見ていたルネッタが遠慮がちに手を挙げると、パッセンジャーは優しく笑みを向ける。
「どうされましたか?」
「発言させていただいて構いませんか?」
「勿論。構いませんよ」
 こほん、と咳払いを零したルネッタはパッセンジャーと女性の間に立つと穏やかな口調で話し始めた。
「パッセンジャーさんはわたしの大切な方なので、あまり責めるようなことはしないでいただけたら嬉しいです」
「えっ……」
 まさかラルネッタからそのような言葉が出てくるとは思わず女性だけでなくパッセンジャーまでもが驚きの表情を見せる。するとルネッタは恥ずかしそうに頬を赤らめながらパッセンジャーの腕を掴むと、自分の腕を巻き付けた。
「この方の隣にいる時が一番安心するんです。パッセンジャーさんは優しくて頼りになりますし、とっても素敵な人なんですよ」
「ルネッタさん……」
 嬉しさ半分、照れ臭い気持ちが半分といったところだろうか。パッセンジャーは少しばかり困惑しながらも幸せそうに笑うルネッタを見つめる。
「……そうですか」
 女性はそう呟くと何かを悟ったのかそれ以上は何も言わず、二人に背を向けた。
「失礼しました」
 パッセンジャーとルネッタに頭を下げた女性はそのまま廊下を走り去っていった。
「ごごご、ごめんなさい! その場の勢いとはいえ、パッセンジャーさんの腕に触れてしまいました……!」
 パッセンジャーから勢いよく離れたルネッタは顔を真っ青にして謝り倒す。
「気になさらないで下さい。それにルネッタさんからあんな言葉を聞けて、とても光栄ですよ」
「本当ですか? パッセンジャーさんの迷惑になっていなかったら良かったです」
「そんなことありません。寧ろ役得でした」
 パッセンジャーの言葉にルネッタはキョトンと首を傾げる。その様子にパッセンジャーは苦笑いを浮かべた。
(まぁ、そうでしょうね)
 ライアは自分の容姿に全くと言っていいほど興味が無い。故に今の言葉の意味も理解していないだろう。
「実はちょっとだけ外から二人のやり取りが聞こえていたんです。パッセンジャーさんはやっぱりモテるんですね……」
「そんなことありませんよ。私の事を心の底から好いている人など居ないでしょう。居るとすれば、それはルネッタさんだけです」
「……そうでしょうか」
 不安げな表情を浮かべているルネッタの手を取ったパッセンジャーは、そのまま彼女の指先に唇を落とす。
「パッセンジャーさ……ん?」
「私が愛しているのは貴女だけです」
「どうしていつもそう、急にそんな言葉を……!」
 突然の告白にルネッタの頬が赤く染まる。パッセンジャーはその様子を満足気に見つめると、ゆっくりと彼女の身体を抱き寄せた。
「迷惑でしたか?」
「迷惑なわけないです! わたしもパッセンジャーさんが大好きです……」
 ぎゅっとパッセンジャーの背中にしがみ付いたルネッタ恥ずかしさを誤魔化そうと必死に話題を探す。
「そ、そうだパッセンジャーさん! この後お時間ありますか? もし宜しかったら一緒に珈琲でもどうかなって思ったんですが」
「勿論喜んで。私の為に時間を割いて下さってありがとうございます」
「わたしがパッセンジャーさんと一緒に過ごしたかっただけなので、お礼なんて言わないで下さい」
「……ふっ。分かりました。では、参りましょうか」
 どちらともなく指を絡め合い手を繋いだ二人は、顔を見合わせて微笑み合うと肩を並べて歩き出した。


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極夜