面倒な事になった気がする


※アプリ基準。夢主=指導者(成人)

 グラウンドに響く女性の声に俺と凪は動かし続けていた脚を漸く止めた。額から垂れてきた汗を腕で拭っていると、こちらに歩いてきた指導者から青色のタオルを差し出される。
「お疲れ御影。これ使って」
「サンキュ」
 指導者もとい紫月からタオルを受け取りそれを首に巻いていると突如、彼女から悲鳴が上がった。
「紫月さん俺のはー?」
「凪のも用意してあるから離れて重い……」
「紫月が潰れるぞ、やめとけ」
 渋々といった様子で紫月から離れた凪にタオルを手渡している彼女は少し前からこの青い監獄で指導者に着任した紫月だ。
 サッカーの経験はおろか知識すらない彼女が指導をすると聞いた時はこんな馬鹿な話があっていいのかと思ったが、今の所特に大きな問題も無く順調に回せているようだった。というかむしろ順調過ぎるくらいである。
 それはひとえに彼女の教え方によるものなのだろうが、一番はその人柄の良さだろう。
 紫月はとにかく面倒見が良い。初めて会う人間に対しても物怖じすることなく話し掛けて気さくに接する姿はとても好感が持てるものだった。
(あの凪が紫月の組んだメニューには文句を言わず真面目に取り組んでるんだもんな)
 事前に用意されていたスポーツドリンクを飲みながらグラウンドの端にいる二人の様子を窺うと、楽しそうに笑い合う姿があった。
「紫月さんにこの前教えてもらったアプリいいね。休憩中ずっとやってる」
「よかった。また凪が好きそうなのがあったら教えるね」
「ん。期待してる」
「任せておいて」
(まああいつらは大丈夫そうだよな)
 紫月の指導方法については少し不安だったがどうやら問題なさそうだと胸を撫で下ろした御影はふう、と息をつく。
「休憩中にごめんね。少しいい?」
 凪との会話を切り上げたらしい紫月が申し訳無さそうに眉を下げて近付いてくる。何の用だろうかと思いながらも立ち上がって彼女を出迎えると、早速手に握られた端末を操作しだした。
「これは御影の最近のデータ」
 画面の中にはここ数週間の記録が記されていた。
「何か変わったところとかあった? 些細なことでも構わないんだけど」
「んー……そうだな……」
 自分の身体のデータを見ながら暫く考えてみるが、特段これと言って思い当たる点はない。首を傾げながら口を開く。
「強いて言うならスタミナついたかなって感じだけど」
「そっか、それなら良かった」
 安心したように微笑む紫月に御影もまた笑みを浮かべたが次の瞬間、今度は紫月の口から今まで聞いた事もない声が漏れ出ていた。
「紫月さん俺は?」
「直ぐ凪のデータ出すからちょっと待って……このままだと私、死んじゃう」
「凪やめろって。マジで紫月が潰れ死ぬぞ」
 身長190cmの大男に体重を掛けられて倒れそうになる寸前の紫月を支えてやると、不機嫌そうな舌打ちが御影の耳に聞こえてきた。それと同時に凪のデータを表示し終えたらしい紫月が彼の名を呼んだ。
「凪はこんな感じ。気になる点はそうだな……」
 画面に顔を突き合わせながら二人は表示された数値を確認していく。
(なんだアイツ……機嫌でも悪いのか?)
 凪からの舌打ちを不思議に思った御影は紫月の横で白銀の瞳を瞬かせている凪をこっそりと顔を覗き込んでみた。しかし普段から感情の起伏が読みにくい凪の考えを知る事は出来ず、ただその鋭い眼差しに睨まれただけで終わってしまった。
「うん、わかった。ありがとう紫月さん」
「どういたしまして。もし何か気になる事があったら遠慮なく言って。私で良ければ力になるから……っと、ごめんね絵心さんからだ」
 ポケットに入れていた携帯を弄り出した紫月の背中を見つめる御影の横にいつの間に陣取ったのか。凪もまたそんな紫月の背中を見つめながらスポーツドリンクを口にしていた。
「俺さ、最近気になるんだよね」
「ん? 何がだよ」
「紫月さんの事が」
「…………はぁ!?」
 思わず大声で聞き返してしまった御影に対して、凪はまるでそれが当然の事のように落ち着き払った様子だった。
「ちょっ、お前! 急に何を言ってんだよ!」
「別に急じゃないよ。俺前から紫月さんに興味あったし」
「はあああ!?」
 突拍子も無い凪の言葉に再び大声を上げてしまった御影だったが、周りの視線を集めていることに気付いた彼は咳払いをして何とか誤魔化した。
 グラウンドの端まで聞こえる程に叫んだのだ。それは無理もない。
「あのな凪。紫月は社会人なんだぞ? いくら指導者とはいえ流石にそういう目で見るのはマズイだろ」
 御影は慌てて凪に釘を差した。この手の話があまり得意ではない彼にとっては早く話を打ち切ってしまいたかったのだろう。
 凪は相変わらず落ち着いた態度のままこう言い放った。
「だから何? 関係ないじゃん」
 凪の意外な反応に御影は戸惑った。凪ならば「確かに」とでも言いつつ納得するものだとばかり思っていたからだ。
「あのなあ……そうじゃなくて……」
「だってさ、気になったものは仕方ないでしょ。我慢する必要ある?」
「いや、それは……」
「そもそも、好きって気持ちに年齢とか関係無いと思うけど」
 凪の言っていることは正論である。
 しかし御影とてまだ若く、そういった方面に関しての経験が少ない分、上手く返すことが出来なかった。
 黙り込んだ御影を他所に凪は再び口を開く。
「というわけでこれから紫月さんにガンガンアピールしてくつもりだから」
「は……? はああ!? ちょっと待てよ!」
 とんでもない宣言をする凪に御影は驚きの声を上げた。
「なんでそうなるんだよ!」
「好きな人には振り向いてもらいたいものでしょ?」
 御影の言葉など気にした素ぶりもなく凪はさらりとそう答えると、再びグラウンドの中央へと戻って行った。
(……マジかよ)
 凪が紫月を恋愛対象として見ていた事に衝撃を受けた御影だったが、今の話を思い出して頭を抱えた。
 今までの言動や行動から考えれば恐らく彼は一途に彼女を想い続けるのだろう。凪の性格上それはとても面倒臭いものになりそうではあったが、それよりも厄介なのはその相手となる紫月自身なのだ。
「なんかもう既に心配なんだけど……」
 凪が本気で彼女にアプローチを始めたら一体どんな結果が生まれるのだろうか。それを想像しただけで頭が痛くなってくる。
(あいつも災難だな……)
 紫月の方を見ると未だに携帯を片手に会話をしているようだ。そして、もしも相手が男性であれば……。
「紫月さんまだー? 自主練付き合ってくれるって言ってたじゃん」
 紫月の腰にしがみついて駄々をこねる凪を見て御影は深くため息をつくしかなかった。


prev next
[back]
極夜