幼馴染と俺


「玲王お疲れ。放課後、暇だったりしない?」
 机から引っ張り出した教科書を鞄に詰め込んでいた御影玲王に声を掛けてきたのは、幼馴染である紫月であった。
「おー。今日は特に何もないな」
 スマホを開き、予定を確認した玲王からの返答に紫月は花開くような笑顔を見せた。
「やったぁ! じゃあ買い物付き合って!」
 両手を合わせて懇願する姿に玲王は口元を綻ばせる。
 紫月はクラスでも人気があり、男女問わず慕われている女子生徒だ。その証拠にこうして休み時間ごとに彼女に話しかける生徒は多く居る。しかし彼女が今この瞬間だけは、自分にだけ構ってくれているという特別感があった。それは優越にも似た感覚で玲王の胸を満たすには充分過ぎるほどに。
「おういいぜ。買いたいもんの目星はついてるのか?」
 そんな気持ちを隠すように軽く了承すると、紫月はさらに表情を明るくした。そのまま小走り気味に近づくと、そっと耳打ちするように顔を寄せてくる。
 玲王が反射的に背筋を伸ばすが彼女は気付かずに言葉を紡いだ。
「新しい服と靴が欲しいんだよね。一緒に選んでくれない?」
「俺が?」
「うん。私一人だと迷っちゃいそうだし」
 玲王の脳内でファッションビルに並ぶマネキンが着た服を、紫月が纏っている姿を想像してみる。悪くはないが、自分の好みだけで決めてしまうのも気が引けた。彼女が本当に気に入るものを見つけてあげたいという気持ちが玲王の中で強く主張をしている。
「私の優柔不断さを玲王も知ってるでしょ? お願いします!」
 再度手を合わせる彼女を前に断る選択肢はないに等しかった。それに彼女の頼みごとならばどんなことでも引き受けてあげたくなる自分が居るのも確かだ。
 玲王は心の底から湧き出るような幸福を感じながら微笑む。
「紫月が選びきれない時は任せとけ」
「ありがと玲王! 早く行こ行こ!」
 玲王の腕を引いて教室を出て行く二人の背中を見送りながらクラスメイト達は思う。またあの幼馴染がイチャイチャしている、リア充め爆発しろ……と。
 勝手なことを言いつつも彼らは羨ましさを隠しきれずにいた。

* *

「タイミング良くセールやってるお店があって良かった〜やっぱり玲王はセンスがいいね!」
 鼻歌を歌いながら玲王の横に並んで歩く紫月の手には買ったばかりの紙袋がある。中には先程購入した靴が入っている。
「そうか?」
 道中のカフェで買ったコーヒーを片手に持ったまま玲王は首を傾げた。
 彼の目から見ても紫月が選んだものはシンプルなデザインではあるが上品さがありとても似合っていると思った。それ故に彼女の意見を尊重した結果だが、どうやら満足してくれているらしい。
「もちろん嬉しいよ、ありがとう。次は……わ、見て玲王! この服すっごく可愛い!!」
 近くのゴミ箱に空になったカップを捨てていると、目の前にあったショーウィンドウを見た紫月が立ち止まる。視線を向けるとそこにはマネキンに着せられたオフショルダーのトップスが置かれていた。スカート部分はチュールレースになっておりふんわりとした印象を受ける一着だ。
「さっきの靴選びの時にも思ったんだけどさ、最近お前の中でこの色が来てんの?」
 菖蒲色の美しいそれを指差し尋ねると、紫月は大きく目を見開いた後少し照れた様子を見せた。
「玲王が私の誕生日とかにこういう色味の物を度々贈ってくれる影響かな。最近気付いたら紫系の物を手に取ったりしてることが多いかも」
 紫月は自分でも自覚していなかったことを指摘され更に頬の色を深めていく。その姿に玲王もまた愛おしさが溢れ出てしまいそうになるのを感じていた。
「玲王の髪と同じ色だね」
(今更気付いたのかよ……相変わらずこいつは鈍いな)
 その言葉を何とか飲み込み、玲王は誤魔化すようにショーウィンドウを覗き込んだ。
「気になってるなら中に入って試着すりゃいいじゃん」
 玲王の言葉を聞き、我に帰った紫月は勢いよく振り返って彼を見る。その顔に浮かんでいた感情は喜びと羞恥が入り交じっていた。
「良いの? さっきの靴選びの時みたいにまた時間かかっちゃうかもしれないよ?」
 恐る恐るという風に投げ掛けられた言葉に対し、玲王は鼻で笑うと自分より幾分も下にある紫月の髪をぐしゃりと撫でた。
「別に気にしねぇから行ってこいよ」
 玲王としてはこの後に待ち合わせている約束があるわけでもないため問題はなかった。ただ純粋に彼女が楽しんでいる姿を見ていたかったのだ。
 そんな思いで答えてみれば、当の本人は驚いたように目を瞬かせてから満面の笑みを浮かべた。それは玲王がこの世で最も好んでいる笑顔であり、見つめていたいという衝動を抑えることは容易ではなかった。
「ありがとう。じゃあ行ってくる!」
 元気の良い声が返ってきた直後、紫月の姿が店内へと消えていった。
「よし。ここで待つか」
 ガラス張りになっているため外から中の様子が確認出来る。これならば彼女が出てきた時すぐに見つけられるだろうと思いながら近くの壁に寄りかかる。
 そのままスマホを取り出し時間を確認していると、メッセージの通知が届いていることに気付く。差出人は──。
「凪か」
『服選びは順調? 紫月から玲王と出かけてるとは聞いたけど、まさか買い物に付き合ってるとは思わなかったな』
 そんな内容に玲王はふっと表情を緩めた。相手が紫月でなければ誰からの頼みであろうと受けてはいないだろう。それを知ってか知らずか玲王のことを気にかけてくれる友人に彼は目を細める。
 返事をしようとして文を打ち込んでいた最中、不意に影が落ちる。顔を上げるといつの間にか戻ってきた紫月が立っていた。
「玲王ぉ……」
「お、おう。どうした?」
 眉を下げ情けない顔をする彼女に玲王は慌てて手を振る。しかし彼女はそれに構わず玲王のシャツの裾を掴むと口を開いた。
「服が選びきれないの。二着までは絞れたんけど……」
 ポケットにスマホを捩じ込みつつ玲王は紫月の頭を撫でた。
「俺が選んでやるからもう一回行ってこい」
「良いの? 本当に?」
 玲王の服から手を離した紫月が今度はその腕を掴んだ。
「良いから。ほら」
 急かすように声をかけると嬉しそうに安堵の息をついた紫月は再度店の中へ入っていった。玲王は華奢な背中を追いながら自分の服を握っていた小さな手の感触を頭の中で反覆させる。
(何だよ今の。可愛すぎんだろ……くそっ)
「はぁ……いつもこうやって無意識に人を惑わせてくるからタチが悪い」
「玲王ー?」
「今行く」
 紫月の声に応えながら玲王は止めていた足を再び動かす。「ちょっと待っててね」と言って試着室の奥に消えた紫月を待つこと数分。玲王はカーテン越しのシルエットが動いたことに気づき顔を上げた。
 胸元に刺繍が施されたクリーム色のニットトップスに淡い紫色をしたロングスカートを纏った姿はまるでモデルのような立ち姿をしているように見えて思わず見惚れてしまう。
「似合ってない、かな?」
 鼓膜を揺らす不安そうな紫月の声にはっとし、玲王は慌てて首を振った。
「似合い過ぎなんだよ……綺麗だ」
 本心からの玲王の賞賛に紫月の顔にはみるみると朱が走る。鏡の前でくるりと回ってみせるその姿もまた美しく、玲王はただその姿に釘付けになるばかりだった。
「いっそ二着とも買っちまったらどうだ? 金が足りないなら──」
「『俺が出してやる』は禁句ね。さすがの私もそこまで甘えられないよ。玲王の気持ちだけ受け取っておくね」
 それに、と言葉を続けて紫月は微笑む。その笑みはとても大人びていて、どこか艶やかさすら感じさせた。
「玲王には幼馴染として日頃甘やかしてもらってるし、これ以上負担をかけたくないの」
 その瞬間玲王の心臓は大きく脈打った。同時に今まで生きてきた中で感じたことの無い感覚に襲われていることにも気付いていた。
「あ、あー……お前、大丈夫なのか?」
 苦し紛れに出たのはそんな言葉だった。
「ん? 何が?」
「俺の記憶が間違ってなけりゃ、さっきの靴とこの服の金額合わせたらお前の一ヶ月の小遣い全額飛んでいくんじゃねえか」
「……あっ!」
「やっぱり忘れてたか……」
 玲王は肩を落とすと大きな溜息をつく。紫月はというとすっかり顔を青ざめさせてしまっていた。
「どっ、どうしよう玲王。あ、でも『俺が奢ってやる』もナシだからね。またお小遣い貰ってから来よう……」
 先程の妖艶さなど微塵も感じさせないほどに焦っている様子で話す彼女の姿を見ている玲王はおかしくて仕方がなかった。そのまますごすごと試着室の奥に消えていく紫月の背中を見送った玲王は近くに居た店員に目配せした。

* *

「付き合ってくれてありがとうね、玲王」
「俺も楽しめたしお互い様だろ」
 靴の入った紙袋を大切に両手で持ちながら満足げに呟いた紫月に玲王は笑みを浮かべる。
 あれから二人は様々な店を巡りながら互いの服を選びあった。玲王が見繕ったものもあれば紫月自身が見立ててくれたものもあり、充実した一日を送ることが出来たと紫月は大きく伸びをしながら感謝の気持ちを述べる。
「玲王のお陰ですっごく楽しかった。また時間ある時に付き合ってもらえたら嬉しい」
「ま、暇な時なら付き合ってやるよ」
 紫月はすぐに満面の笑みを見せた。そんな彼女を見てやはり玲王は見惚れてしまっており、自身の頬が赤く染まっていることを自覚しながらそっぽを向く。
「そろそろ帰るぞ。もう遅いし家まで送る」
 照れを隠すように玲王が歩き出すと紫月もそれに合わせて隣に並んだ。そのまま他愛もない会話を交わしているうちに紫月の家の近くへと差し掛かる。
「今日は本当にありがとね。それじゃまた学校で。お休みなさい」
 そう言って紫月は自宅の門を潜ろうとしたが玲王は何故かその場を動かなかった。不思議に思いつつ振り返ると彼は迎えに来ていた車から大きなビニール袋を取り出し、それを紫月に手渡した。
「紫月が気に入ってた服と小物を適当に詰めといた。俺が紫月に着て欲しくてやった事だから遠慮せずに受け取れ」
 渡された袋の中身を確認するとそこにはあの店で見た服が確かに入っている。それに気付いた途端紫月の瞳からは大粒の涙が流れ落ちていた。
「要らないお節介だったか?!」
「ううん、違うの。玲王にここまでしてもらえてるなんて思ってなくて、嬉しすぎて……」
「俺が好き好んでやってることなんだから気にすんな」
「……うん。ありがとう」
 涙を拭いながら笑う彼女に玲王はそっと手を伸ばすと、そのまま紫月の頬を撫でた。
「幼馴染の私に対してこうなんだから将来の恋人や奥さんは相当甘やかすんだろうなぁ」
「お前が恋人に立候補してくれてもいいんだぞ」
 数回瞬きを繰り返した後、まだ涙の跡が残る顔のまま彼女は笑ってみせる。
「玲王に対して失礼が過ぎるでしょ。もし立候補するなら、もっと自分を磨いて玲王に相応しくなってからかな」
 その答えに玲王はふっと口角を上げた。
「そいつは楽しみにしておかないとな」
 二人の関係は幼馴染。けれど、これから少しずつその形を変えていくことになるだろう。それはきっと二人にとっても悪いことではないはず。
 そんな確信を胸に玲王は車のドアを開ける。
「じゃ、そろそろ行くわ」
「うん。気を付けてね」
 ひらりと手を振った彼女を視界の端に捉えながら、玲王はゆっくりと踵を返す。しかし数歩歩いたところで不意に立ち止まり後ろを振り返ると紫月に向けて小さく微笑む。
「玲王?」
「今度出掛ける時、その服着てこいよ」
 それだけ告げた今度こそ玲王は車に乗り込むとエンジン音を響かせて去って行った。紫月はその車が曲がるまでずっと見つめていたが、曲がり角の向こうへ消えたことを確認した後、玄関の扉に手をかけた。
「おかえりなさい。あら、また玲王君から?」
「ただいま。うん、また玲王に買って貰っちゃった」
 紫月の返事に母親はニヤリと笑いながら尋ねる。
「今度は何を買って貰ったの?」
「服とアクセサリー」
「本当に玲王君は紫月のことが大好きねぇ」
 しみじみと語る母親の言葉を聞いた紫月は一瞬、きょとんとした表情を浮かべた後、花のような笑みを浮かべる。
「私には勿体ない幼馴染だよ玲王は」
 そう呟く彼女の声はとても柔らかく、幸せそうな色を含んでいた。


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極夜