犯罪者にはなりたくない!
全ての始まりは十数年前にまで遡る。
その日、まだ幼いながら両親から頼まれ一人で留守番をしていた私の瞳に飛び込んできたのは、鮮やかな赤紫の髪を揺らしながら牡丹色の瞳を瞬かせている幼子の姿だった。
(誰だろう)
私の家の敷地の前でどっかりと腰を下ろしている彼(いや、彼女?)は将来絶対有望になると幼心に思いながら屈んで目を合わせる。
「名前は?」
返事は無い。
「何処の子かな」
やはり返事は無い。
「……このチョコ要る?」
「うん!」
牡丹色の瞳が一心に見つめている○ンパンマ○の形を模したそれを彼女(お目目くりくりで可愛いし、女の子で間違いないだろうと判断した)の前に突き出すと今まで興味なさげだった瞳がキラリと輝き始める。
みんなア○パン○ン好きだよね……と考えながら口いっぱいにチョコを頬張っている幼子に再度問いかける。
「お名前は?」
「ひょーま!」
「え、男の子?」
まさかの展開だ。まさか男の子だったとは! ……いやでも言われてみれば確かに顔立ちは可愛らしいけど中性的な雰囲気があるような気がしてくるので私は極めて単純だと思う。
「おねえちゃんありがと!」
「ひょうま君は自分のお家分かるかな?」
ひょうま君からゴミを受け取りつつそう尋ねると彼の目が見開かれていく。
「ぼくおうちかえるのやっ!」
涙を浮かべながら抱きついてきた彼にどうしたものかと思案する。一度関わってしまった以上このまま放っておくわけにもいかないし……。
「ここに居たのね豹馬!」
目の前に現れた女性は私を見るなりぺこりと頭を下げた後、こちらを見上げてくる豹馬君の頭に手を置き、困ったように眉尻を下げる。
「うちの息子が迷惑を掛けたようでごめんなさいね」
「いえ、迷惑という程では……」
(男の子だったんだ。びっくり)
自分の家の前に居座られていただけなので特に問題はないのだけれど、女性は更に申し訳なさそうな表情をして言葉を続ける。
「本当に感謝してるわ。少し目を離した隙にこんな所に居たんだもの。ほら帰るわよ」
「おねえちゃん……」
大きな牡丹色の瞳を潤ませながら此方を見る少年と再び視線を合わせ、柔らかなその髪を撫でてやる。
「次はお母さんと一緒に遊びにおいで」
「……っ、うん!」
即座に涙を引っ込め、満面の笑みで大きく首肯してくれた彼を見送るべく手を振れば、振り返してくれるものだから何とも愛らしいものである。
「本当にありがとうございました。えっと……」
「紫月です」
「また紫月ちゃんが良ければ豹馬と遊んであげてくれないかしら? この子同年代の友達が少ないみたいなの」
「私で良ければ是非!」
そんな事から私は千切豹馬君と顔見知りになった。
翌日、本当に彼がお母さんを伴って家に遊びに来た時は驚いたものだが、それ以降も頻繁に遊ぶ仲になっていった。
そして時が経ち私が中学生になる頃には家族ぐるみの付き合いにまで発展し、両親共々豹馬君の事を愛しく思うようになっていった。
一人娘で兄弟が居ない私としても親としても豹馬君という存在はかけがえのないものになっており、放課後は毎日のように我が家で夕飯を共にしたり、休日になれば千切家の皆さんと遊園地や動物園に行ったりとまさに絵に描いたような幸せな家族そのものであった。
* *
時を現代に戻そう。
私は社会人の仲間入りをして数年が経過し、真の多忙さというものを味わっていた。
サービス残業は当たり前で終電を逃すことはしょっちゅう。休日出勤なんて日常茶飯事。会社と自宅との往復だけで日々が終わっていく生活を繰り返していた。そんな私の日々の潤いは──。
「豹馬君!」
「ん? ああ。おかえり紫月さん。今日も一日お疲れ」
家の近くの公園のブランコに腰掛けている赤紫色のロングヘアーを見つけ、駆け寄って声を掛けると直ぐにスマホをポケットに捩じ込んだ彼は手を上げて微笑んでくれた。
「今日は日が落ちる前に帰ってこられたな」
「豹馬くーん聞いてよ〜。上司が今日も朝から無理難題を押し付けられてさぁ!」
そう叫びながら抱きつく私を豹馬君は優しく背中をさすってくれる。
ああ、この温もりだけが私にとって唯一の癒し……時を経て身長が伸び、体格が良くなっても私にとっては可愛い弟、ひいては家族のような存在なのだ。(中学に上がった頃からお姉ちゃん呼びをしてくれなくなったのは正直少し寂しい。彼も思春期だし仕方がないと言えばそれまでなんだけど)
「いつもこの公園で私の帰りを待っててくれてるけど良いの?」
「何だよ急に」
牡丹色の瞳を瞬かせ、怪しむような目つきでこちらを見つめてくる。この表情は昔のままだなと思いながら口を開く。
「豹馬君高校生でしょ。学校帰りに友達と寄り道とかしたいだろうし、こうして私に時間を割くより他の事をした方が良いんじゃないかと思ってさ」
「別に俺が好きでやってる事だから。紫月さんが気にする必要はないって」
「そうだけど……でも!」
私の声と重なるようにしてくう、とお腹から切ない悲鳴が聞こえてきた。
「……冷蔵庫の中にある物でちゃちゃっと作っていい?」
「紫月さんが作ってくれる物ならなんでもいい」
お互いに気恥ずかしくなりながら立ち上がり歩き始める。鞄の中に入っていた鍵をたぐり寄せて玄関を開けると豹馬君も続いて中に入ってくる。
「先にリビング行ってて。着替えてから私も行くから」
「分かった。母さんから預かって来た食材しまっておけばいいか?」
「ありがとう。助かる」
「どういたしまして」
ひらりと片手を振って出ていく彼を見送り、自室に戻ってクローゼットの扉を閉める。
スーツを脱ぎハンガーに掛けてから私服を手に取り、それに腕を通していく。
(豹馬君がここまで世話を焼いてくれるとは思ってなかったなぁ)
豹馬君は現在高校三年生。ついこの間まで小学生だったとは思っていた彼はあっという間に私の身長を抜き去り、声変わりも済ませてしまう程に成長しているのだ。
「あんなに格好よく成長してるのに浮ついた話を一切聞かないのは何故なのか」
昔、二人で遊んでいる時に顔を赤らめながら手紙を握りしめ、こちらに向かって駆けてくる少女の姿を見かけたことは一度や二度ではない。しかしそれに対する豹馬君の反応といえば。
『いらない。というかすっげー迷惑』
一切興味無さげである。しかも呆然としている彼女には一切見向きもせず「紫月お姉ちゃん、行こうぜ」と手を引かれた時に背中に刺さる視線と言ったら……今、思い出すだけでも恐ろしい!
「そういう事に関心が無いのかな……うーん、勿体ない」
「何か手伝うか?」
エプロンに袖を通しながら廊下を歩いていた時に突然響いてきた声にビクリと肩を揺らしながら振り向けば、豹馬君が心配そうな面持ちで佇んでいた。
「あ、ありがとう。じゃあお味噌汁作ってくれる? ほうれん草のおひたしたしとあともう一品は私が作るから」
「りょーかい」
「……本当に大きくなったよね。もうすっかり大人っぽくなっちゃって」
野菜を切って鍋に放り込む大きな手を眺めつつそう呟くと豹馬君はふっと笑みを溢した後、包丁を動かす手を止めることなく口を開く。
「まぁな。紫月さんの背も追い抜いたし」
「本当だよね。私がヒール履いてもまだ頭一つ分豹馬君の方が高いし。悔しいなぁ、こんなに差が出ちゃうなんて」
つま先立ちになりながら依然高い位置にある彼を見上げる。……相変わらず綺麗なお顔だこと。
「俺はまだまだ成長するつもりだから。そのうちもっと高くなるかも」
「これ以上大きくなるなんてやめてよ、圧が凄くなるじゃない」
軽口を叩いて笑い合う。こういう関係になれるのも昔からの仲だからこそだと思うと嬉しくて仕方がない。
「ほうれん草のおひたしと豚の生姜焼きね」
お皿を用意し、盛り付けしていく。我ながら美味しそうだ。
「相変わらず紫月さんは料理上手だな」
テーブルの上に並べられたものを見て豹馬君が感嘆の声を上げる。料理には自信がある方なのでこれぐらいは朝飯前だと腕を組みながら鼻を高くする。
豹馬君はそんな私を見て目を細めて白い歯を覗かせた。この笑顔を見るのも私の楽しみの一つであり、癒しなのだ。
『いただきます』
二人で手を合わせ箸を持つ。口に運んで一拍置いた後、互いに頬を緩ませた。自分で言うだけあって中々の出来である。
「紫月さんはさ、彼氏作んないの?」
おひたしに箸を伸ばしていた手が止まる。唐突な質問に私は相当変な顔をしていたように思う。
「どうしたの急に」
「彼氏の一人や二人居るのかなと思って」
豹馬君の言葉を聞きながらご飯を口に運ぶ。 明日は梅ご飯にでもしようか。
「豹馬君もご存知の通り毎日サビ残は当たり前で休日出勤だってしょっちゅうだからね。彼氏が居ても会う時間もまともに取れないし、そもそも出会いもないの。だから今のところ予定は無いかな」
「仕事辞められないのか? いつ体を壊すんじゃないかって聞いてるだけでハラハラする」
眉根を寄せている豹馬君を宥めるために豹馬君の頭をぽんぽんと撫でる。大きくなっても優しいところは全く変わっていない。
「辞めたいけどそう簡単に辞めさせてくれないんだよね。うちの社長、気に入らない事があると直ぐにクビを切れとか言い出す人で常に人員カツカツと言いますか……」
「マジかよ。ブラックにも程があるだろ」
呆れたと言わんばかりに溜め息を吐き出す豹馬君に苦笑を返す。実際何度も転職を考え会社を変えようと思ったことはある。けれど結局、あの上司の下で働き続ける事を選んでしまうのだ。
「……紫月さん」
「ん? なに」
空になった茶碗の上に箸を置こうとしたその時、私の手の上に大きな掌を重ねられる。
「豹馬君?」
不思議に思い牡丹色の瞳を見つめれば豹馬君の真剣な表情が映った。
「今、幾つかのチームから声が掛かっててさ。卒業と同時にサッカーチームに所属しようと思ってる」
「そうなの? 凄いね、流石は豹馬君」
素直に称賛の拍手を送る。マイペースな性格とはいえ勉強だけでなく運動も出来る文武両道で(しかもイケメンときたら)スカウトされない方がおかしいと思う。
「だからさ、」
珍しく口籠っている彼に首を傾げる。何かを言いかけてやめたりする事は今まで全くなかった訳でもないのだが、今回はどうしたのだろうか。
「卒業したら俺と一緒に住まないか」
「……はいっ?!」
驚きと動揺から思わず声を張り上げたせいで近くに居たらしい猫がにゃあと鳴きながらどこかへ行ってしまった。まあそれは良いとして。
「何時までも家に居るわけにもいかないし、チーム所属とセットで一人暮らしをするって家族で話し合って決めてさ」
「うん、それは分かったけどなんで私と暮らそうと?」
「はあ……やっぱり紫月さんは鈍いよな」
わざとらしく大袈裟に肩を落とされる。え、一体どういうことなの。豹馬君が何を言おうとしているかさっぱり分からず頭にハテナマークを飛ばしまくっていた私に豹馬君は意を決したかのように言葉を放つ。
「一緒に暮らしてくれって言った時点で気付けよ」
「ご、ごめん」
「俺と付き合ってくれって言ってるんだけど」
「えぇぇ?!」
いやいやいやいやいや! ちょっと待って欲しい。頭が追いつかないぞ。
豹馬君から告げられたまさかの言葉を脳内で復唱する。いくら幼馴染みとは言え相手は未成年、現役の高校生だ。そんな感情を抱くこと自体宜しくないし、一歩間違えば犯罪者になってしまう。
(でも嫌じゃないのは何故だろう?)
「そもそも紫月さんって警戒心が薄いんだよ。幼馴染とはいえ男の俺をホイホイ家に上げるし。その辺自覚した方が良いぞ」
言い終えてからこちらに身を乗り出し、顔を傾けながら近付いてくる豹馬君の顔は端正な造りをしている……ってそうじゃない!
この距離はまずいと本能的に感じた所で時既に遅し。あっという間に押し倒される形となり、畳と彼の体によって身動きが取れなくなってしまった。私の顔の横に手をつき覆い被さるように豹馬君が上に乗っかってくる。
「ちょ、豹馬君……!」
慌てて制止の声を上げ、抵抗しようと振りかぶった腕は瞬く間に纏め上げられてしまう。
「紫月さんの中では俺はいつまでも小さくて可愛い弟みたいな存在なのかもしんないけど男なんだぜ。そういう対象に見られるかもしれないって考えたことはなかったのかよ」
耳元で吐息混じりに囁かれ体がぞくりと粟立つ。目の前にいるのは男の人なのだと強く意識させられ、頬がじわじわ熱を帯びていく。こんな豹馬君は知らない。
「──ねえ、紫月さん」
低く甘い声で名前を呼ばれ鼓動が早鐘のように鳴り響く。私の心臓はもう爆発寸前である。
「好き、大好き。愛してる。昔からずっと紫月さんの事だけが好きだ」
真っ直ぐこちらを見つめながらの告白に私は目を逸らすことが出来なかった。そのまま近付いてくる顔と頬を滑る豹馬君の柔らかな髪がくすぐったくて身を捩るも、がっちり掴まれたままの両手のせいで上手く逃れることが出来ない。
唇が触れるか触れないかの距離にまできたところでピタリと止まる。豹馬君の荒くなった呼吸が直接かかり、恥ずかしさで死にそうだ。
「お願いだから『私も』って言ってくれ。でなきゃ止まれない」
懇願するように発した後、ぎゅっと抱き締められ密着する。豹馬君の体温を感じ、その心地良さに思わずほう、と溜め息を溢した私は大きな背中におずおずと手を回した。
「え、マジで?」
豹馬君の動きがぴたりと止まり、驚きに満ちた声が降ってきた。羞恥心で今すぐに消えてしまいたい気持ちになりながらこくりと縦に首を振れば「うおお……」と喜びを噛みしめているかのような叫び声と共に再び強く抱きすくめられた。
「やばい。すっげー嬉しい……」
ふにゃりと顔を緩ませているであろう豹馬君の姿がありありと想像出来て私もつられて笑顔になる。
「紫月さん覚えてる? 俺と初めて会った時のこと」
「勿論。あの時の豹馬君は本当にかわ……」
可愛かったよねと言いかけて開いた唇を塞がれちゅっ、と軽く吸い付くようなキスが落とされる。
「今の俺を見てもそう言えるか?」
「ん、ッ」
先程とは比べ物にならないぐらいの深い口づけにくらりとする。
舌先でノックされ、応えるように口を開くと直ぐに豹馬君のそれが侵入してきた。歯列をなぞられる感覚にもどかしさを覚え、もっと、と言うように自分からも積極的に舌を差し出す。
口の端から飲み込めなかった唾液が零れ落ちるのも気にせずに互いの口内を貪り合う。口内を蹂躙していた熱いものが引き抜かれたと思うと首筋を強く吸われびくりと肩が跳ね上がった。
「駄目だよ、跡付けちゃ」
「嫌だ」
「明日も仕事なのに……」
「見えない所に付けるから大丈夫」
何が大丈夫なんだ、とツッコミを入れる前に再度唇を塞がれてしまった。何度も角度を変えながら繰り返されるそれに頭がぼんやりしてくる。
(……待って。私、このまま流されてしまったら捕まるのでは?)
私を組み敷いている相手は紛れもなく未成年。もしバレたら間違いなく警察のお世話になること間違いなし。そうなってしまえば両親に合わせる顔がなくなってしまうではないか。
「豹馬君、ちょっと落ち着いて」
「悪いけどそんな余裕ない」
「私と豹馬君の未来のために一旦落ち着こう。ね?」
「なんでここで未来の話が出てくるんだよ」
意味分かんねぇと漏らした不機嫌そうな豹馬君から逃げるべく、ぐい、と押し退けると案外あっさり離れてくれたのでこれ幸いとばかりに急いで身を起こし僅かに乱れていた衣服を整えると、未だ寝転がったままの豹馬君を見下ろした。
「ここで一線を越えてしまうと私が犯罪者になってしまうんですよ」
「…………は?」
たっぷり間を置いた後、呆けた表情でこちらを見上げてきた豹馬君があまりにも予想通りの反応だったので私は苦笑した。
「なんでそこで笑うんだよ。……はあ。なんか色々考えてた俺が馬鹿みたいじゃん」
起き上がり頭を掻く豹馬君の顔は心なしか残念そうに見える。
「とりあえず紫月さんはもう少し危機感持った方が良い。高校卒業するまで辛抱するから安心しろよ」
「そっか。じゃああと数ヶ月は我慢しなきゃいけないね」
「紫月さんを犯罪者にするわけにはいかないからな」
真面目くさった様子でそう言う豹馬君に思わず笑みが溢れてしまう。なんだかんだ言いながらも私のことを心配してくれているのは痛いほど伝わってくる。だからこそ私も素直になれるのだけれど。
「キスまでなら許してあげる」
「それって……!」
私の提案に目を輝かせる豹馬君に「それ以上は卒業してからね」と念を押してから頬にそっと唇を寄せれば、すぐさま同じように返された。
「俺、本気だから。高校出た後は覚悟しとけよ」
「分かった。楽しみにしてる」
宣戦布告を受けたような気分になった私は負けじとにっこりと微笑むのだった。
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極夜