まるで夫婦のような


「朔太郎さん、朔太郎さん」
鈴が鳴るような高らかで清廉な声に呼び止められた。
足を止めて振り向くと紫月が息を切らせて僕に微笑みかけている。

「そんなに息を切らしてどうかしたの?深刻な事態でもあった?」
「私にとって深刻な事態ではないのですが朔太郎さんにとっては深刻な事態です!なので今すぐ後ろを向いて下さい!」
紫月に言われるがまま背中を向けると直後、布の擦れる音が鼓膜に響く。

「また着物の帯が曲がっていましたよ。直ぐに結び直しますので……よし、っと」
「あ、ありがとう」
「ですがまだ、これ以上に深刻な事態があるのです!なので少し屈んで下さい!」
上着の袖を強く引かれ今度は紫月と向かい合う。
熟した蜜柑のような色味の瞳と視線が交われば目を細めて微笑みかけてくれる。彼女の指示通りに屈むと細くて白い指が自分の首元に伸びた。

「ボタンを掛け違えていらっしゃいますし寝癖もついています。折角素敵な装いをなさっているのですから身嗜みにも気を付けませんと」
目と鼻の先に居る彼女から漂う甘く心地の良い香りにまだ日も高いというのに思わず生唾を飲んでしまう。

「うーん寝癖、中々直らない……朔太郎さん?惚けて如何なさいましたか?」
高く結い上げた亜麻色の髪を靡かせ小首を傾げる紫月になんでもないよ、ありがとう。と俯きながらお礼を述べて距離を取る。
もし、彼女とあのまま距離間を保っていたら……。

「(口付けて、しまっていたかもしれない)」
「寝癖の方は少々不安が残りますが、あとは問題なしです!今日は朝から冷えていますのでクリームシチューを拵えて朔太郎さんのお帰りを待っていますね」
「君が作る料理はどれも美味しいから楽しみだな。それじゃあ行ってくるよ」
いつものように綺麗に微笑んで僕を見送る君が僕の劣情に気付く日は果たして来るのだろうか。
パタパタと忙しなく駆けていく紫月の足音に一抹の寂しさを感じながら僕もその場を後した。


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極夜