君のぬくもり


喧騒の絶えない食堂の片隅で朔太郎は一人、溜め息を零した。
純白の皿の上に盛られたケーキのクリームは人の群れと元々の部屋の暖かさですっかり蕩け、あんなに艶艶として美味しそうだった苺も今では水分を失って萎れているように映った。
鼻腔に刺さる濃厚な酒の香りに蒼白気味だった顔からいよいよ血の気が引き、これ以上は耐えられないと判断した彼は手近なテーブルに皿を置くと席を立った。

「気持ちは嬉しいけど、あれだけ大人数が居る空間に長時間居るのは流石に……」
朔太郎が足を運んだ先は人っ子一人居ない静寂に包まれた中庭であった。
頬を撫ぜるひやりとした風が今は心地よくて蒼玉の目を閉じて風の音に耳を澄ませる。
地面を踏みしめる、第三者が現れた事を示す音にゆっくりと朔太郎はその瞳を開いた。

「食堂から出ていく所が見えたので……今日は特別冷えていますし、こちらをどうぞ」
ゆっくりとした足取りで姿を見せた紫月は手にしていた深い藍色の羽織を被せた後、同色の細く長い襟巻き──マフラーを彼の首に巻くといつもの柔らかい微笑を口元に浮かべた。

「紫月ありがとう。だけど自分の分は持って来なかったの?」
「朔太郎さんの後を追う事が頭を占めていてすっかり失念してました……ですが私は大丈夫です!微塵も寒く、しゅ!!」
「そこまで余裕はないけど……良かったら入る?」
腰掛けていたベンチを叩き紫月に隣へ来るよう促した朔太郎はそのまま腰を落ち着けた彼女の肩に上着の左側を掛けた。
ぴったり肩を寄せ合って沈黙していた二人だったが甘えるように紫月の頭部が朔太郎の肩に擦り付けられ、朔太郎は半ば反射的に紫月の色素の薄い髪を撫でた。

「君のほっぺ赤いね。そろそろ戻ろうか」
「先程食堂からケーキ2切れと紅茶を拝借してきたんです。なので私の部屋で改めて朔太郎さんの誕生日をお祝いさせてくれませんか?」
誰でもないこの図書館、否自分の世界の中で数少ない特別な人に分類される紫月からの申し出に朔太郎は無意識のうちに首を振っていた。
すっかり冷えきってしまった互いの手を絡めてさくさくと落ち葉を踏みしめながら紫月の部屋を目指す。

「朔太郎さんをイメージしたプレゼントも用意しているので楽しみにしていて下さいね!」
「それは嬉しいな。僕もお返しを考えておかなくちゃ」
穏やかに微笑み合う男女の影が今、ひとつに重なった。


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極夜