君と迎える朝


浮上した意識と共に感じた肌寒さに目の前にある温かな何かに擦り寄る。
すべすべしていて微かに動くそれに疑問を抱いた紫月が恐る恐る開いた目の先に広がる光景──男性の厚い胸板に口を両手で塞ぎ、昨夜の事を振り返る。

「紫月さえ良ければ今日泊まっていきなよ」
「精市くんはいつも唐突だね!?」
「着替え、日用品どちらも予備は置いてるし……」
温かくて柔らかな香りに包まれる。
よく知った彼の香りに目を瞑っていると熱い吐息が紫月の耳を掠めた。

「最近お互いに忙しくてゆっくりする時間すら持てなかったから、たまには恋人らしいことをしたいな」
彼の言うことは最もであるし、紫月自身幸村に会えず日々一抹の寂しさを募らせていたのも事実だ。
彼の腕の中で首を縦に振った紫月に幸村は大層嬉しそうな顔をした。

「そうと決まれば今日の夕飯の材料を一緒に買いに行こう。ほら、早く」
仲良く手を繋いで買い物から帰宅。
危なげなく夕飯を作り終えて完食し、紫月が食器を洗って幸村がそれを拭く。
家主より先にお風呂をいただくのは……と断りを入れる紫月に顎に指を置き思案する仕草をした幸村は目を細め、事も無げに「じゃあいっそ一緒に入る?」なんて言ってのけた。
脱兎の如くお風呂場に飛び込んで湯船に浸かった紫月は彼の言葉を反芻する頭を冷やすようにぱしゃんと湯船を顔を浴びせ、深い息を吐いた。

「お先にいただきました〜」
「おかえり。逆上せていないか心配で見に行こうと思ってたところだったんだ。髪、ちゃんと乾かさなきゃダメだよ?」
近くにあったタオルを手に取って紫月の髪を拭く幸村の手は割れ物を扱うように繊細で、優しい。

「このまま乾かすね」
「精市くんのお風呂が遅くなるし、大丈夫……」
有無を言わさずドライヤーのコンセントを差し電源を入れた幸村は最初から紫月の意見を聞くつもりはなかったようだ。
髪の間をすり抜けていく指に若干の擽ったさを感じながら背後から聞こえる彼の微かな鼻歌に耳をすました。

**

「紫月が百面相するところは今も昔も変わらず面白いね」
くすくすと笑い混じりに聞こえる心地よい恋人の声に紫月は先程まで確かに静かに寝息を立てていたはずの恋人に視線を向けた。

「さ、さっきまで確かに寝て……」
「ずっと起きてたよ。紫月の寝顔も堪能したし、狸寝入りをしている俺に何をするのかなと思ってたんだ。……もしかして昨日のこと思い出してた?」
今まさに昨晩の行為の事を考えていましたなんて口が裂けても言えるはずもなく、火照った顔を隠すようにぴったりと幸村の胸元に擦り寄った紫月の髪を撫でながら彼は一度閉ざした口を再び開く。

「考えが顔にすぐ出るところも変わらないね可愛い。ところで腰は大丈夫かい?ご無沙汰だったから……」
「本音を言うと痛いけど、私も久しぶりに精市くんと触れ合えたから嬉しかったよ」
「君は本当に優しいね。朝食は俺が作ってくるから紫月はゆっくり休んでて。完成したら迎えに来るから」
迎え……?と首を傾げながら衣類を纏った幸村の背を見送った紫月ものそのそと緩慢な動きで着替えを始めた。
着替えを終えてぼんやりしている紫月の鼻腔に飛び込んでくる香ばしい匂いにお腹が切ない音を発するのと同時に扉から幸村が顔を覗かせる。

「ただいま。その様子だと歩くのも辛いだろうし、失礼するよ」
突然の浮遊感に形容し難い声を上げる紫月を軽々と横抱きにした幸村はそのまま台所まで運ぶと片膝をついてゆっくりと彼女を下ろした。

「あり合わせの材料で作ったから大した物ではないんだけど……」
「こういうのは気持ちが大事だっていつも言ってるし、嬉しいよ。精市くんの愛がこもった朝ご飯いただきます」
目を細めて紫月の隣に腰掛けた幸村も彼女に倣って箸に手を伸ばす。

「お互いの家を行き来して泊まるのも悪くないけど、もう同棲し始めてもいい頃合だと思うんだ」
「いいの?」
「そろそろ将来の事も見据えていかないとね。そうと決まれば早速紫月の荷物を取りに行こう」
紫月のご両親にも改めて挨拶をしなきゃいけないなぁ。なんて言葉を並べている間に朝食を平らげた幸村は穏やかに微笑んでいる。

「生半可な気持ちで今まで紫月と交際を続けてきたわけじゃないから」
紫月が返事をするより早く流し台に食器を下げに行った幸村をよそに紫月は顔を赤らめて金魚のように口をぱくつかせていた。


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極夜