一文豪と司書である前に
「(…………あ)」
自然な所作で繋がれていた手がふとしたきっかけで離れてしまった。
その事実に名残惜しさを感じて先程まで確かに織田と繋がれていた右手を見つめながら惚けている紫月の胸を、一抹の寂しさが占拠する。
微かに残る織田の温もりを確かめるように手を開閉していると背中を向けて消えてしまった織田が大きく手を振りながら、紫月の元に帰ってくる。
「ほらほらおっしょはんも一緒に行きまっせ」
「私も付いて行っていいのですか……?」
「付いて行ってええも何も……とにかくワシから離れたらアカンよ?」
再び繋がれた手に破顔しながら頷いた司書の手を引いて目と鼻の先にある、レンガ造りの暖かみを感じる小さな店の扉を開く。
カランと鳴る鐘の音と、店奥に佇む白髪の老婆の優しい声が紫月の鼓膜を鳴らす。
「お兄さんは先日の……あら、今日は可愛らしいお嬢さんを連れていらっしゃるのね」
「おばちゃんこんにちは。この子がこないだ話してた……ちょーっと待っててな」
店主であろう老婆が目尻を下げ目を細めてこちらを見つめてくるものだからどうかしたのだろう?と思い首を傾げながら見つめ返していると、また手を離した織田がお茶目っぽく唇に手を当てウインクを飛ばしながら老婆と距離を詰めた。
内緒話のように声を潜めて会話を始めた二人は一旦置いておいて、とりあえずこのお店がどういう商品を取り扱っているのだろうと店内に一歩踏み込む。
和柄の布が用いられた雅さを感じさせるシュシュから銀色の蝶がアクセントになっている簪。
少し離れた場所には色、大きさ共に様々なブレスレットまで鎮座している。
種類の豊富さに息を呑み、膝を曲げて商品一つ一つをじっくり鑑賞していた紫月を呼んだ織田に頭を上げると自身がいる場所よりも更に奥で手招いている織田と視線が絡んだ。
彼の前には日陰にも関わらず美しく咲き誇る紅い花とその花より幾らか色彩が薄く彼の花を際立たせるように控えめに咲く花々で形成された髪飾りが静かに、しかし凛と佇んでいる。
「腰に巻かれている布に描かれている花と雰囲気も合いますし、美男子な作之助さんにぴったりだと思います!」
「なんでやねん!男のワシがこんなん付けとったら気色悪いやろ……ええからおいで」
商品に体をぶつけて落としてしまわないよう気を付けながら織田の元に駆け寄る。
ええ子やなと漏らし紫月の肩に手を置いた織田はそのまま彼女の体を180度回転させた。
首を動かし何事かと問おうとした紫月を制した織田に大きな二つ返事をしながら正面を向く。
先程から耳に届く清廉なこの音の正体は一体何だろう?と思っていると頭部──綿密に言うと髪に違和感を覚える。
「どうや!ワシの目に狂いはあらへんかったやろ〜」
「あらまぁ本当ね。まるでそのお嬢さんの為にこさえられたようだわ」
勝手に話を進めていく織田に「あの、えっと……」ともごもごと言葉を発していると腰を下ろしていた老婆がこちらに手鏡を差し出している。
「ご自分でもご覧になってちょうだい」
「えっ!どうして私が付けてるんですか!?こんな綺麗で高価そうな髪飾り私には不相応です……」
「……な?言うてた通りの返しをしてきたやろ」
「よくお嬢さんの事を見ていて、そして愛しておられるのね」
愛している。老婆から出された単語を聞いてその言葉を意味する為に固まっていた脳が再び機能すると同時に、紫月の頬は髪飾りにあしらわれた花に負けず劣らず赤く色付いていた。
本日二人が出掛けていた理由も逢い引き……今風に言うなればデートであり司書と織田は恋人同士であるのだからそう指摘されても何も間違ってなどいないのだが、変な所で慣れていない彼女は熱い頬を隠すように両手で頬を覆った。
「お金はこないだ来た際に先払いさせてもろてるし、このまま貰うて行くわ。おおきに〜」
「(この髪飾りだけ他の商品と違って値札が置いていないからおかしいと思っていたけど、先払い…!?)」
「良かったらまた二人でいらっしゃい」
店先まで出て二人を見送ってくれる老婆に会釈をすると髪飾りがしゃん、と清廉な音を奏でる。
疑問に抱いていた音の正体が判明し、瞠目させている紫月の手……ではなく腰に腕を回した織田から聞こえる鼻歌と髪飾りの音を聞きながら元居た道へと戻る。
「前に一人この辺ぶらついとった時、おばちゃんを助けたのが縁であの店を知ってな。喧騒から離れた場所にあるさかいゆっくり店内見て回れるし、ええ品がぎょうさんあるし文句無しやろ?」
「おばあさん自身も穏やかで大変お人柄が良さそうだなと思いましたが……いえいえそうではなく!!」
「あそこ居ると恋人らしい事殆ど出来へんやん。せやから偶にはこうやって……恋人らしいことさせてや」
耳元で囁かれた言葉に肩を跳ねさせる紫月を笑いながら肩に手を置いて距離を縮める。
彼が何をしようとしているのか気付いた司書が固く瞼を閉ざした事を笑っているのを暗闇の中で感じた直後、唇に柔らかなものが触れた。
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極夜