貴方の苗字を下さい
「……なあおっしょはん、ワシらの関係って何やろね」
「私は恋人だと思ってま、すよ……?」
あまりに唐突に投げられた問いかけに盛大に顔を顰めながらも返ってきた言葉に織田は目を細めた。
「私の頭が都合よく記憶を改竄していなければですけれど……そういう間柄でなければ口付けをしたりそれ以上の事はしないと思います。少なくとも私は」
「うんうん。紫月とワシの気持ちが同じっちゅーことが分かった上で言わせてな……おっしょはんの人生全部ワシに下さい」
紫月を前に恭しく片膝をついた織田に目を白黒させながら肩を掴んで立たせようとする少女の前に、シンプルながら眩い光を放つ指輪達が姿を現す。
「ほんまはちゃんと段階を踏んで婚約指輪を贈った後に結婚指輪を渡したかったんやけど必要経費の問題で……うぐっ!?」
織田の顔面を非常に柔らかい何かがぶつかる。
それが紫月の胸部である事と、そこからゆっくり緋色の瞳を向けた先にいる恋人が涙ぐんでいたのだからたまったものではない。
緩やかな拘束から抜け出て彼女の涙を拭ってやろうと立ち上がった織田の耳に今にも消え入りそうな紫月の声が響いた。
「本当に良いんですか?私が作之助さんと同じ苗字になっても」
「嘘でこんな事言う男やないって紫月が一番よう知ってるやろ?」
「──私に作之助さんの苗字を下さい」
手の中の紺色のボックスに輝く指輪は無駄にならずに済んだようだ。
何より最愛の女性に一世一代の大告白を断られてしまったらと、返答を聞くまで気が気ではなかった織田は優しく紫月を包み込むと涙跡を拭ってやり細い手首を掴んだ。
「作之助さん?」
「挙式に必要なモンと言えばドレス!おっしょはんのドレスを見繕いに行きまっせ〜!ちゃんと館長には話通しとるさかい安心してじっくりドレス選ぶついでにワシのタキシードも……」
「何を仰っているのですか!作之助さんのタキシードは私が責任を持って、色男の名に恥じぬ物を選ばせていただきますっ!」
自分が纏うドレスより俄然やる気になっている紫月に苦笑をしながら、そんな彼女だからこそ自分はここまで好きになったのだと再確認した織田は手首から指を離し恋人の指に自身の指を絡めた。
「ほんなら行きまひょか」
***
前日まで豪雨だと予報され、昨夜まで空にかかっていた分厚いグレーの雲は何処へやら。
快晴の二文字がよく似合う空の元、司書友達に囲まれ幸せそうに談笑している紫月を見つめながら、織田は自身の格好──淡い水色のタキシードとその下に羽織った蒼色のベスト。
そのベストと同色の蝶ネクタイを人差し指でぐいっと引っ張り溜息を漏らした。
慣れない格好だからか息苦しさと同時に堅苦しさのようなものを感じるが、視線の先に居る彼女が纏っている純白のドレスと長い髪を結束ねている髪飾りを見ていると自然と頬も緩んでしまう。
──この式を終えれば正式に紫月の姓は織田となり、自身の配偶者となるのだ。
これ以上の幸福がどこに存在するのだろう。
「作之助さんそろそろ……」
服の裾を控えめに引いてきた紫月に返事をして部屋を後にする。
彼女のウエディングドレスの裾を引いて歩くのは友人ら三人のようで、一瞬だけ立ち止まった織田は新婦同様目を丸くしている友人に極上の笑顔と共に言葉を紡ぐ。
「苗字が変わってもこの子と仲良うしたってな」
『はい!!』
三人同時に良い返事を貰えた事に「ええ友達を持ったなぁ」と返せば紫月は幸せそうにはにかんで、しっかり頷いてみせた。
『今日という日を迎えられたのは皆様のお力あってこそです。これから力を合わせて苦難を乗り越え、喜びを分かち合い希望に満ちた素晴らしい家庭を築いていくことをご列席下さった皆様の前で誓います。未熟なふたりではありますがこれからも末永く見守って下さると幸いです』
今の私達があるのは帝國図書館に属する方のお力あってこそだから、誓約の言葉にはその方達への感謝の気持ちを込めたい。だなんて実に彼女らしい考えだ。
彼女の人柄に更に惚れ直しながら左手の薬指に指輪を通すと、拙い動作で織田の指に指輪を通した紫月が小さく息を吐いているのが見えて小さく笑ってしまう。
美しい顔を隠してしまっているベールを上げると既に目を閉じている紫月の姿があって、先より大きな笑い声が漏れる。
織田の笑い声に目を押し開いて僅かに憤っている様子の彼女の顎に指を這わせると急いで目を閉じ、肩筋を張る新婦の柔らかな唇を奪った。
誓いの口付けの後も滞りなく式は進み、教会から退場したふたりの両脇を紫月の友人と文豪が盛大な拍手とライスシャワーで見送る。
「……作之助さん」
歓声でかき消されてしまいそうなほど小さな声もきちんと拾い上げるのがこの織田作之助という男なのだろう。
優しい眼差しで言葉の続きを待つ織田の腕に手を通した紫月は先程友人達に見せた以上に幸福を含ませた笑顔を浮かべている。
「幼少期からの夢だったジューンブライドを叶えて下さったのが作之助さんで本当によかったですし、何より幸せです」
彼女の言葉に衝動的に唇を奪った織田に歓声と「もっとやれー!」と煽る男の声が響く。
その男には後で一言いってやるにしてその言葉、聞き届けてやろうではないか。
本日三度目の口付けに会場内が一層湧いた。
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極夜