四人、肩を並べて
「うう……今日は一段と風が冷たい」
頬を掠めた風にぶるりと体を震わせ、首元に巻いていたマフラーに触れた紫月は反射的に両手で二の腕を摩った。
半歩先に佇んでにこやかに笑いながらビニール袋を持っている織田と太宰に頭を下げて、荷物を受け取ろうと手を伸ばした司書の手が虚しく空を切る。
その状況が把握出来ず、目を大きく見開き首を傾げている紫月に青年二人は顔を見合わせると織田が口を開いた。
「おっしょはんにこの荷物は重いやろ」
「安吾が何の為に俺らを付けたのか考えて、さ!申し訳ないと思うなら帰ってからこの具材を捌く安吾の手伝いをしてやってくれよ」
「これ以上風通しのええ場所に居ったら美青年の彫刻が出来上がってまうし、はよ図書館に帰ろか〜」
「(美青年の彫刻……?)織田さんと太宰さんに甘えさせていただいた分、帰ったら坂口さんのお手伝い頑張りますね!」
二人に歩み寄ると彼らもまた、止めていた脚を前に踏み出す。
背の高い彼らが意図的に冷たい北風から彼女を守っている事に、当人はきっと気付いていないだろう。
容赦なく吹き荒れる風に乗った雪が陽光を浴びてキラキラと反射する度に目を奪われ、時折躓きそうになりながらも何とか耐えている紫月に織田と太宰は背中を向けたまま、また顔を見合わせて今度は溜息を吐き出した。
* * *
年末年始が近付き帝国図書館も施錠が施され、一般人は出入り禁止になっていた。
最後の書類に捺印をした紫月は火が踊る暖炉を見つめながら、それが乾くのをのんびりと眺め待っている。
最初から年末年始は図書館で迎える事を決めていた紫月は早々に実家の両親に手紙を送り、先日その返事を受け取ったところだ。
長らく顔を見れず二人共とても心配している、次の休暇にはわたし達に元気な姿を見せてほしい。
何か困った事があれば気兼ねなく連絡をするように──など愛娘を気遣う母の言葉にじんと心の奥が暖かくなるのを感じ、次の休みには何としても帰省しようと決意を秘めた紫月の体を突如冷風が襲った。
「お、やっぱりここだったか」
「坂口さん?一体どのようなご要件で……さささ寒い!お話はちゃんと伺いますので、ひとまず扉を閉めて下さい!」
ひっきりなしに入り込んでくる十二月の風が瞬く間に室温を下げていく。
室内ということもあり比較的軽装をしていた紫月が掛けていた上着に手を伸ばし始めたところで、ようやっと冷風の波が止んだ。
「悪かったな。早速本題に入るが、今晩いつもの面子で安吾鍋を囲む事になっててな。他の奴から誘いが掛かってないなら、お前も来ないか?」
「また皆さんと一緒にお鍋を食べられるんですか!?」
「オダサクと太宰も問題なし。あとは当人の返答次第だったんだが……うし、決定だな」
白い歯を見せてわしゃわしゃと紫月の頭を撫でた坂口は瞬く間に踵を返して、司書室から出て行こうとしてしまう。
反射的に彼の服の端を掴んだ少女の手を掴んで目線を合わせた坂口は幼子をあやすように、今度は優しい手つきで頭をひと撫でした。
「実はまだ買い出しが終わってなくてだな。俺は出汁作りに専念するから代わりにオダサクの太宰の三人で頼めるか?」
「買い出しなら私一人で大丈夫ですよ」
「大の大人三人分の鍋の材料だぞ」
「し、死ぬ気で頑張れば何とか……」
「大荷物による視界不良で転倒。本格的に寒くなってきた夕時に二度目の買い出しは嫌だろ」
二度目の買い出しを脳内でイメージしてみたのか、呻き両手で体を抱きしめた紫月は小さくそれでいて確かにはっきりと頷いてみせた。
「よしよしいい子だな。二人を呼んでくる間に仕度の方、頼んだぜ」
坂口の背中を見送った紫月は撫でられた頭に触れて破顔した。
彼らと食事を囲めるのは勿論嬉しいが、それ以上に無頼派の三人が自分の事を気にかけてくれていた事がこの身に代えがたいほどに幸せなのだ。
「浪花の美男子と太宰クンがお迎えに上がりました」
「まるでオマケみたいな言い方……ま、俺は大人だからぜーんぜん気にしないんだけど!」
数分足らずで迎えに来てくれた二人を防寒対策ばっちりの厚着で出迎えた紫月はすらりと背の高い二人に挟まれ、図書館から外へ飛び出たのだった。
* * *
「今回、鍋に入れる食材はお高い物が心なしか多かったですね?」
「今年最後の安吾鍋だから奮発すんぞー!って安吾が言ってたからな。偶にならそういうのも良いんじゃない?」
「せやせや!食べ納めやで?最後くらいパーッといこうや!」
躊躇いなくカゴに放り込まれた食材の値段に白目を剥く、を店内で何度繰り返しただろう。
袋にたんまり入った食材の合計金額を見ても動じず、淡々と支払いをしていた青年二人が日常生活で恐ろしいと感じたのは後にも先にも今日が初めて……だと思いたい。
帰ってきた館内のどこからか漂ういい匂いに目を閉じ嗅覚を研ぎ澄ます。
防寒着を司書室に掛け終えた紫月はエプロンを片手に、坂口が居るであろう食堂に向かうとよく知った眼鏡の青年が手を上げて挨拶を返してくれる。
「寒い中あんがとな。疲れてるだろうし少し休んでから手伝ってもらえると助かる」
「荷物は織田さんと太宰さんが持って下さいましたし、私は元気そのものですよ!野菜の方切っていきますね」
「分かった。じゃあそっちはお前に任せたぜ」
先の買物の話題を含みながら、他愛ない談笑と共に鼓膜を揺らすリズミカルな包丁の音が心地いい。
「何も知らない人間が今の俺らを見たらどう思うだろうな」
「仲睦まじい兄と妹でしょうか?」
「兄と妹、ね……よし、俺も今から野菜を手伝うか。早くしないと腹を空かせた太宰とオダサクが急かしに来るぞ〜」
どこか含みのある坂口の声に紫月が唇を開こうとした途端、まな板の上に安置されていた野菜が逞しい腕に奪われた。
「飢えた獣さながらの目でアイツら急かしに来るから」と茶目っ気たっぷり、ウインク混じりに話題を変えた坂口の話を真に受けて固まった紫月に「嘘だぞ、半分くらいは」と彼が言うまで彼女は微動だにしなかった。
それから数分後、坂口が話していたように小腹を空かせた織田と太宰が現れ、予め余分に作っていたつまみを提供した坂口の背中越しに三人の会話を聞きながら紫月はその風景を微笑ましそうに見つめていた。
* * *
安吾鍋が食卓に並んでから食材が尽きるまで、実に早かった。
いただきますの挨拶をして箸を伸ばした時には鍋の中身はほぼ死滅。
太宰と坂口の両者が肉で争っている間に横から「ワシがもろてまお」と言って目当ての具材を掠め取った織田は漁夫の利だろう。
いつにも増して食欲と気力増し増しな無頼派に呆然としていた紫月の手から皿を奪って野菜、肉、豆腐、その他諸々で彩った織田は現在も膠着状態の二人を見つめながら「ほんでこれがおっしょはんの分な」と手渡してくれる。
「織田さんありがとうございます」
「太宰クンと安吾もおっしょはんの頼みなら一時休戦して盛ってくれるやろから……あ、コラ安吾!ワシの皿から取った豆腐返さんかい!」
「甘いなオダサク、こいつに良いところを見せ……それは俺が狙ってたら肉だぞ、太宰!」
「ふっふっふ……隙を見せたら負け、ってね!いっただきまーす!」
山盛りだった鍋も具材も空になり夕飯を終えた太宰と織田は一足先にコタツに入って大晦日の特番を観始め、紫月は坂口と後片付けに取り掛かっていた。
「お前の分だけ最初から弾いといて良かったぜ」
「あんな苛烈な鍋争奪戦は初めて見ました……」
「だろうな。もうこれで終わりだから先にあいつらに混じってこい」
紫月から皿を受け取った坂口の頼もしい背中に礼を述べてから、寛いでいる織田と太宰に声を掛けコタツに足を入れる。
周囲に充満する柑橘類の匂いを胸いっぱいに吸い込んでいると、柔らかくて甘酸っぱい物が口の中に放り込まれた。
「俺が選んだみかん甘くて美味くない?さっすが俺!」
「ワシが選んだみかんの方が絶対甘いやんな!?目利きなら負けへんで!」
「どちらも同じくらい甘いですよ……って聞いてない」
織田からも渡されたみかんを味わっていたほんの僅かな時間で再び別れを告げた平穏と静寂を懐かしみながら目利きトークで白熱している二人から視線を外し、テレビを見やる。
紫月から比較的近い場所に腰を下ろした坂口に再度感謝の気持ちを述べながら、実直に思った言葉を連ねていく。
「本年も残すところ僅かですがありがとうございました。大晦日に皆さんと鍋を囲めて私、とても幸せです!来年の大晦日も今年みたいに楽しく年を越せたら嬉しいです」
「俺達のやり取りを賑やかと言って笑ってくれるお前なら来年も再来年も大歓迎だ。俺も、勿論あいつらもな」
坂口の"あいつら"に反応した織田と太宰が同じタイミングで口を止めて、こちらを見る。
赤、青、黄。
三色の瞳を受けた司書がはにかんで紡いだ言葉に青年達は顔を見合わせて、首を縦に振る。
テレビに表示された時刻がもう間もなく、0時を示そうとしている肌寒くも暖かい大晦日の出来事。
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極夜