初詣と初願い


図書館に勤務する職員と転生した文豪の無病息災は勿論の事。有碍書の浄化が昨年以上に捗りその真意に近付けますように。
……更に欲を出すなら末永く作之助さんの側に居れるよう、努力致しますのでお力をお貸し下さい。あとは────。
湧き出る願いに釣り合うようお札を賽銭箱に投げ入れ必死に願掛けをしている紫月のすっかり冷えきった肩を、同行者が叩く。
一心に願っていた紫月はそこでやっと我に返り、深緋の瞳を見つめ返した。

「神さんへのお願い事も程々にしといて図書館に帰りまひょか。そこ、段差あるさかいワシに掴まっとき」
慣れていない振袖で身動きが取りづらい紫月がいつもよりも更にゆっくりとした足取りで、歩幅も小さくなっている事に神社へ赴く前から気付いていた作之助は大変紳士的であった。
足元にはいつも以上に気を配り、転倒の恐れがありそうな場所では自身の腕に彼女の腕を絡ませ、道中は必ず左側を歩いてくれる。
段差を無事通り過ぎ最後の階段を降り終えた事に安堵しながら作之助を見上げ、礼を述べると紫月の髪を華やかに彩っている牡丹の髪飾りがシャンと鳴った。

「……折角着付けてもろたんやし、脱ぐ前に悪代官ごっこでもしよか?」
「よいではないか〜っていうあれですよね?作之助さんがしたいのであれば……喜んで、お付き合いさせていただきます」
紫月の顔がカッと赤く色付いたのは人混みを抜け出して、改めて北風を浴びたからではないと知っている作之助は「アレいっぺんしてみたかったんよなぁ」と零しながらあの独特の笑い声を周囲に響かせている。

視界には障害物など何一つないのにどちらからも手を離そうとせず、ぴったり寄り添って帰路を辿る。
二人とも和装で初詣へ行こうと言い出したのは確か、作之助だった気がする。
牡丹の花があしらわれた薄茶色の襟巻きにチェック柄の着物を白い帯で締め、その上から漆黒の上着を羽織った作之助を横目で見た後、自身が纏っている着物の袖をくいっと持ち上げる。
シワひとつない赤い布地には大小幾重もの牡丹が咲き誇り、帯色は作之助と同じ清廉な白。
牡丹の花を用いた髪飾りだけでなく、帯飾りが作之助が付けている物とよく似たデザインだから咄嗟に「お揃いですね」と漏らした紫月に「恋人なんやし、偶にはお揃いしたってバチは当たらへんやん?」なんて言って首を傾げ即答した作之助の一言で新年早々赤面し、暫くの間俯いていたのはまだ記憶に新しい。
道すがら互いに何を願ったのか、参拝後に引いたおみくじの結果で盛り上がっている間に図書館に到着してしまった。

「悪代官になる前に書き初めは絶対せなあかんな!」
「書き初め……ですか」
目に見えて眉を顰め、そっぽを向いた司書の頬をツンツンつつく作之助は紫月の表情の理由を大体ではあるが予想しているのだろう。

「ワシがちゃーんと見とくし墨が振袖に飛んだり、硯をひっくり返すような事はならへんって」
「ど、どうして私が今までしてきた事をご存知なんですか?!」
「どっちもやらかしてたん?おっしょはんって、かなりおっちょこちょいやんなぁ……いや知っとったけど」
ひとまず先に書き初めに必要な物の準備をしてしまおうと筆、書道用半紙、硯、墨を筆頭に作之助はてきぱきと道具を集め始める。
過去の嫌な出来事が脳裏を過ぎりこの着物も悲惨な未来を辿ってしまわないかと不安を拭いきれず、表情を曇らせたままの紫月の袖を襷掛けにした作之助は安心させるようにポンポンと肩を数回叩く

「何も心配する事はあらへん。ワシを信じてくれんかな?」
「ありがとうございます。でも何を書こうか決まっていなくて……作之助さんはもう決まっておられるのですか?」
待ってました!と言わんばかりに筆を取った作之助は縦に長い用紙に三文字を刻んだ。

「どうや!ワシは書道も得意なんやで〜惚れ直してくれても構わへんよ?」
自信たっぷり、片目を閉じて司書の前に突き出された用紙には堂々とした"無頼漢"の字が並んでいる。
流石は織田作之助その人。
文豪としてではなく、書道も得意だと今まで知らなかった少女は凄いという気持ちよりも先に「額縁に入れて司書室に飾らせて下さい」という言葉を口走っていた。

「ほんならおっしょはんが書いたのと交換しようや。何を書くか決まったん?」
「決めはしたんですが……は、恥ずかしいので少しだけ後ろ向いててくれませんか?書き終えたら声を掛けますので」
「最後はワシに見られるんやし、同じや思うんやけどなぁ……」
「作之助さんに見られながらだと、書き終える自信がないのでお願いします」
作之助が手にしていた半紙に手を伸ばした紫月から背中を向けてること数秒。
張り詰めていた空気が和らぎ、深い息を吐き出した紫月のそれを聞いた作之助が後ろから覗き込む。

「織田作之助……ワシの名前?」
「ひっ!?まだ良いって言ってないのに、どうして見ちゃうんですか!」
くしゃくしゃに丸められた紙と白い指に付着した墨を笑っていた作之助の顔が急に真顔になる。
作之助ほど達筆ではないが普段、彼女が漂わせている雰囲気とは真逆の凛としたそれでいて威風堂々たる字がそこにあった。
まだ後ろを向いていると思っていた恋人から急に声を掛けられ硯に手が当たりそうになったのを目敏く、そして俊敏に察知した作之助のお陰で事なきを得た紫月はきちんと礼を述べて視線を外すしがちに口を開いた。

「この字を書かなきゃいけないとは伺っていなかったので私が一番書きたい、大切な人の名前を書いたんです。作之助さんには程遠い字ですが、それでも受け取って下さいますか?」
「上手い下手より字に込められた気持ちの方が大切やとワシは思うし、有難く私室に飾らせてもらおかな。後で安吾と太宰クンに自慢しよっと」
「私のを飾る価値なんてないですよ!?まして他の方に自慢するだなんて……」
「そこは貰った人間の自由やから〜書き初めも無事終えられたし、片付け終えたら悪代官ごっこやな!おっしょはんおおきに!」
満面の笑顔と共に投げられた感謝の言葉を前に、紫月はそれ以上反論出来なかった。
これ以上ないほど眩しい笑顔で紫月が書いた書き初めを見つめている作之助の姿に紫月も気付けば微笑み、顔を見合わせて笑いあっていた。


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極夜