問題解決の糸口は


ネームレス 女教員

「ああ、丁度いいところに!」
「……私に何の御用でしょうか?」

 仮面の下に隠された学園長の表情は全く分からないが、やけに弾んだ声色と三日月のような形をした瞳で今から自身にとって嫌な頼み事をされるのだろうと察するのは容易かった。
 クルーウェル先生から頼まれていた錬金術の授業に必要な材料を両手いっぱいに抱えている私を見て声を掛けるなんて少し酷くないかなぁ、なんていう心の声は奥底に沈めて問い返せば、学園長は更に瞳を細めた。

「サバナクローの寮長であるレオナ・キングスカラー君のことは貴女も知っていますね?──学園内での素行も」

 学園長の頼み事を即座に理解した私は半ば反射に近い形で首を横に振ろうとした。
 ナイトレイヴンカレッジの教員になってまだ日の浅い私の言う事に、どうして彼が従ってくれると学園長は思ったのだろう。
 何度かサバナクローの授業を見た事はあったが、寮長たるキングスカラー君の姿を見たのは片手で充分足りるほどで、その数回は常に気怠げで終始退屈そうにしていたのを記憶している。

「学園長私には──」
「おや?もうこんな時間ですか。応援していますよ!」

 黒のマントを靡かせて去ってしまった学園長の頼み事を反芻し、堪らずこめかみを抑え……ようとして両手が塞がっているのに気付き溜息が漏れた。
 ひとまずクルーウェル先生の元へ荷物を運んでから、学園長の頼み事をどう片付けるか考えよう。

「(キングスカラー君のサボり癖は前から気になっていたし、丁度良かった……よね!)」

 過ぎたことを悔いても意味はないし、前向きに明るく取り組むのが大事だと思う。
 課せられた難題を如何にして解決するか、道中はその事で頭がいっぱいだった。

    *     *

 噂の彼は朝から全く姿を見ていない。……早い話が午前中の授業全てをすっぽかしているのだ。

「レオナさんなら学園の何処かに居るんで、先生の足を駆使して探し回って下さーい」

 キングスカラー君と親しいラギー・ブッチ君に居場所を尋ねた答えがこれだ。
 シシッと笑う彼からキングスカラー君のことを割り出すのはきっと難しい。となれば言われた通りこの広い学園内を歩き回って探す以外道は残されていない。

「自分の力でキングスカラー君を探してみせるよ。忙しい時にごめんね」

 鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしているブッチ君にこの後の授業も頑張ってね、とエールを送り足早に背中を向ける。
 敷地の外に一歩足を踏み出せば、暖かな日差しが全身を包み込んでくれる。
 大きな雲に陽光を遮られ、どこからともなく吹いてきた冷たい風にくしゃみひとつ。

「陽の光が程よく差し込んで、風を凌げる場所……」

 どれだけ気温が高くとも、未だ冷たさを伴った風に当たってしまえば瞬く間に体温を奪われてしまう。
 それに加えて以前、キングスカラー君が口にしていた言葉……昼寝に適した空間となれば自ずと探す場所も狭まってくる。
 お気に入りの場所を特定し発見したとしても、当人を説得して授業に参加すると約束してもらわなければ何の意味も成さないけれど……。

「説得内容は歩きながら絞り出そう」

 環境によって培われたであろう他者を萎縮させる絶対的な王者の気品と空気を纏い、縮み上がった獲物を的確に狩る算段をあっという間に組み上げる強かさを持ち合わせる彼に、私のような凡人が果たして対抗出来るのだろうか。

    *     *

「ここの花の香りを嗅いでいると、少し気持ちが楽になってくるなぁ」

 通年一定の気温が保たれている植物園では季節関係なく、色とりどりの花が咲き誇っている。
 鼻腔を擽る優しい香りに頬を緩ませていると目の前に突然大きな塊……失礼、誰かの背中が映りこんだ。
 暖かいうえに滅多に人も訪れない植物園でつい眠くなってしまう気持ちは分からなくもないけれど、ここで雑魚寝するのは宜しくない。
 硬い床で体を痛めるし、服も汚れてしまうかもしれないし、何より時折入ってくるすきま風で体を冷やしてしまうかもしれない。

 「あ、の……」

 私の声に反応するように揺れる尻尾。艶やかな黒茶の髪。捲られた腕から覗く、褐色の肌に左腕を彩る高価そうな装飾品。
 ──間違いない、キングスカラー君だ。
 目当ての人物を比較的早く発見出来たは良いが彼は静かに、規則正しく寝息を立てている。
 学園長の頼みを迅速に達成させたいのなら遠慮なく彼をこの場で起こし説得を試みるべきなのだろうが、それは最適格ではないと己の第六感が告げている。

「目が覚めるまで待っていよう」

 余計なお節介は百も承知だけど、寝ているキングスカラー君の体が冷えてしまわぬよう、羽織っていた上着をかけた。

「……随分呑気なこったなぁ」

 突然響いた低い声に悲鳴をあげなかった自分を褒め称えたい。
 長い睫毛が震え、その奥から現れた強気な緑色の瞳が真っ直ぐこちらを捉えて離さない。
 寝起きとは到底思えない、鋭い空気と眼差しに早々屈しそうになるけど、まだ完璧に負けたわけではないのだ、強く自分の意思を持たなくては!

「クロウリーから頼まれて来たんだろ。いいぜ、授業に出てやっても」
「ほ、本当に!?」

 キングスカラー君から零れた予想外の言葉に、自分でも顔が明るくなったのが分かった。
 ニイ、と吊り上がった口角を見て素直に食いついてしまった事を深く後悔したが、時すでに遅し。

「──相応の見返りは貰うけどな」

 逞しい腕が腰に回され、体に軽い衝撃が走る。
 目の前にはキングスカラー君の端正な顔が広がっていて、一瞬の間に何があったのか処理が追いつかず慌てふためいている私の後頭部にも腕が回され、固い胸板に鼻をぶつけてしまった。
 遠くで授業終了を告げるチャイムが虚しく鳴り響いている。

「いつから授業に出るかは言ってなかったよなぁ。明日からそれなりに真面目に出てやるから、暫く俺の枕になってもらうぜ」

 私の上着を適当に掛けて彼は再び目を瞑り、口を閉じた。
 何とか抜け出せないかと身じろげば身じろぐほど、腕の力が強まっていくのは何故だろう。

「キングスカラー君が起きるまで待つ以外どうしようもないな」

 それが何時になるのかも彼次第。早く目が覚める事を願いながら、本日二度目の嘆息をついた。


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極夜