お前が一緒ならどんな場所でも


「坂口さん?」
頼もしい背中を他者と間違えるはずがないと、青年の名を呼ぶ。
振り返った彼は滅多に見た事のない、困惑まじりの表情を浮かべていた。
声をかけてはならなさっただろうかと服の裾から手を離すと、どこか白々しい咳払いをひとつしてわたしの肩を抱き寄せた。

「随分遅かったな。道にでも迷ってたのか?」
「え?ええと……」
「可愛らしい彼女さんですねぇ!美男美女カップルとしてお二人一緒に撮影するのは如何でしょうか!?」
坂口さんとわたしを交互に見比べた女性は胸を張っている。

「(何だか嫌な予感がするし、一足先に帰らせてもらおう)」
開きかけた唇を覆ったのは坂口さんの大きな掌で、目を見張るわたしを他所に彼の口角はニイとつり上がっていた。

「あんたの熱意には負けた。撮ると決まったなら早速移動しようぜ」
「坂口さん、これは一体……」
「モデルの撮影だか何だかに捕まっちまってな。巻き込む形になってすまんとは思うが、少し付き合ってくれ」
撮ると決まってしまったのなら、わたしもとことん最後まで付き合うしかない。
ひとつ貸しですよ?と笑って恋人"らしく"腕を組むと首肯の後、自然な動作で腰に腕を回されて心臓が跳ねた。

* * *

「坂口さんは私についてきて下さい。彼女さんはこちらのスタッフが案内させていただきます」
「こいつを預かっておいてくれ。あまり他人に触られたくないからな」
手早く眼鏡を外した坂口さんは有無を言わせず、わたしに眼鏡を握らせると目を細めながら女性スタッフについて行ってしまった。
入れ替わるようにして現れた恰幅のいい男性に手招かれるまま背中を追いかけると、いくつもの鏡が並ぶ部屋に辿り着く。

「お兄さんの撮影が終わり次第、ツーショット撮影になるからね。君もメイクアップしちゃうよ〜」
男性の後ろから突然現れたスタッフ二人に悲鳴を上げる暇もなく、白のケープが掛けられ真正面を向くように指示が出される。
上ずった声で返事をするとスタッフさん達は小さく吹き出しながら、パフやドライヤーを取り出した。

「元の素材が素晴らしいのだから濃くしちゃ駄目ね。背が高くて顔もいい、素敵な彼氏さんですね!羨ましいです」
「どこで知り合ったのか伺っても!?」
「いい加減になさい。すっかり固まってしまっているじゃない」
どうしてここのスタッフさんはわたしと坂口さんが恋人だと思い込んでしまっているんだろう。
最初に声を掛けてきたお姉さんに「そういう仲じゃありません」ときちんと説明をしておくべきだったと猛反省している間に女性達の声量は増し、ヒートアップしていく。
狼狽えているわたしを見兼ねて此処まで案内をしてくれた男性が咳払いをして注意をしてくれたものの、効果は一時的なものでしかなく些か重くなった髪とずっしり重い心を引きずりながら元来た道を辿り、開けた場所で足が止まった。

「次はこちらに目線お願いしまーす!」
大掛かりな撮影器具とそれを取り扱う大勢のスタッフに息を呑む。

いつものおちゃらけた、柔らかい空気はどこへやら。その中央で和服に身を包み、模擬刀を片手に佇む坂口さんの唇は固く結ばれ、眉もキリリとつり上がっている。

「……かっこいい」
小さな呟きがスタッフの声が忙しなく往来する空間で当人に届くはずもないのにわたしと目線が交わった瞬間、彼は確かに唇を開いて白い歯を見せいつもの悪戯っ子のような笑顔を見せてくれたのだ。

「そちらの衣装での撮影は終了です!さっき着ていらしたお召し物での撮影に移らせていただきますね」
「坂口さんお疲れ様でした」
恐る恐る坂口さんに声をかけると、どこか安心した表情で右手を出される。
預かっていた眼鏡を即座に渡すと先程見せた余裕たっぷりの笑顔を浮かべ、耳元に唇が寄せられた。

「綺麗だぜ」
「へっ!?か、からかうのはやめて下さい!」
いつものように頭を撫でようとした手が頬に伸びる。
決してそういう関係ではないのに固く目を瞑って待っていると「冗談だ」と笑いを堪えている坂口さんの声が遠ざかっていく。

「お熱いですねー!」
坂口さんのペースに乗せられていつも流されてしまうわたしではあるけど、今回ばかりは話が別だ。怒る時は怒るという事を坂口さんに知ってもらわないと!
……なんて浅はかな思惑はいつもの黒のコートに着替えた坂口さんとの近距離ツーショットで粉々に打ち砕かれるのを、この時のわたしはまだ知らない。

* * *

「そろそろ機嫌を直してもらえると助かるんだが」
グラスに浮かぶ氷がカランコロンと音を立てる。
坂口さんの向かいの席に座り、むくれていたわたしの脳には巻き込まれた事への怒りも渦巻いていたけれどそれより以上に気になっている事があった。

「どうしてわたしと一緒なら良いと言ったんですか」
「……逆に聞くが、お前はどうしてだと思う?」
「一人より二人の方が良いから、でしょうか」
「誰と一緒に撮るかっていうのも大切だろ?分からないなら気にするな」
撮影に付き合ったお陰でいつもと違う坂口さんの姿が見られたし、初めての事ばかりで楽しいと思ったのもまた事実。
上手い具合にはぐらかされ、再び頬を膨らませそうになったわたしの機嫌を直したのは、桜の柔らかな香りが漂うパンケーキだった。

「今日は俺の奢りだ。遠慮すんな」
「ありがとうございます坂口さん!いただきますっ!」

パンケーキを切り分け、頬を綻ばせる少女の姿に安吾も目を細め破顔する。
上着のポッケに忍ばせた写真の中の彼女は桜吹雪に包まれながら少し固い笑顔を浮かべているが、安吾に腰を抱かれいつになく近い距離に居る写真では顔を真っ赤にしながら安吾を必死に見つめ返している。

「(こいつが俺の気持ちに気付くのはいつになるかねぇ)」
少女の頬についたホイップクリームを拭いている安吾の後ろで、桜の花弁がひらりひらと舞っていた。


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極夜