なまえ・みょうじ。立体起動装置の扱いはピカイチ。普段無口の彼女は訓練になると豹変する癖がある。
「どけぇぇええ!」
「うおっ!?」
同じ訓練兵の後ろからスレスレの所を飛び出し、木製のダミーを攻撃する。
「危ねぇな! ぶつかったらどうすんだ!」
「ああ!? ならどけよノロマ!」
「んだと!?」
目の前の敵に夢中になるあまり人との連携が苦手。普段がコミュニケーション下手なのも相まって孤立しがちである。
「あいつからは離れておけ」
訓練兵はなまえほど速く動けない。彼女に追いつくのは到底無理だ。たまたま狙うダミーが同じだった場合、それは諦めて次を探した方が効率が良い。
「くそ! あいつが行った方にしか点になるダミーがねぇってのに」
「おこぼれに預かるしかねーな」
舌打ちをしてなまえの後を追いかけて行く訓練兵。そんな中、大木から伸びた枝の上に立ち止まり、木々の隙間を自由自在に移動する彼女の背を見つめる長身の影があった。
「……やっぱり、彼女だ」
午前の訓練が終わり、昼食の時間だ。なまえがいつも通り配膳を受け取り適当に席に座ると、聞き慣れない声が頭上から降ってきた。
「隣、いいかな?」
浅黒い肌に黒い髪。瞳は緑色で、口元には薄っすらと笑みを浮かべている。知らない顔だ。元より、ここになまえの知り合いなどほぼいない。友達と呼べる間柄の人間もいないし知らないのは当然なのだが、わざわざ確認を取るなんて珍しい奴もいたもんだと彼女は思った。
彼はなまえから返事がないと分かると、遠慮がちに隣に腰掛けた。
「あの、立体起動、うまいんだね。話には聞いてたけど見るのは初めてで……すごかったよ」
「…………」
「午後の授業、対人格闘の訓練だよね。良かったら僕と組んでくれないかな」
なまえは無言で食べ続けていたが、訓練の誘いにちらりと彼を一瞥した。
「……誰?」
「あ、ごめん……僕はベルトルト。ベルトルト・フーバーって言うんだ」
名前を聞いてもピンと来ない。初めて見る顔だし、接点はないはずだ。
なまえは再び視線を昼食へ戻した。ベルトルトが何かを言いかけたと同時に口を開く。
「何で私なの」
「え?」
なまえはパンをかじってスープを口にする。今日のスープは水っぽくて具も少ない。味付けもやけに塩味が強くて美味しくなかった。
「えっと、君が、その……強かったから……」
「は?」
「い、いや! 立体起動が、ほら、綺麗で……」
ベルトルトは理由を咄嗟に話そうとしたが、自分でも何が言いたいのかよく分からなくなってしまった。
いまいち要領を得ない会話に興味をなくしたなまえはさっさと昼食を平らげて席を立つ。
「あ……」
ベルトルトが声をかける暇もなく、なまえは食堂を出て行ってしまった。
午後の対人格闘術の訓練、なまえはエレンと組んでいた。二人の実力は互角で、端から見ても良い勝負をしている。点数にならないこの訓練は手を抜く者も多いが、この二人は違った。なまえは持論として、強くなるのは良い事だと考えている。それがエレンの実力主義な部分と一致して対人格闘ではよく組むのだ。
「なぁ、俺が勝ったら立体起動の使い方教えてくれよ」
「またそれ?」
「いいだろ。お前、すごく上手いじゃないか」
エレンは立体起動装置の適性検査の時、なまえにもアドバイスを求めていた。確かに彼女は、まるで体の一部のように立体起動装置を扱える。元からそうであったかのように、思うがまま機敏に飛ぶ姿は鳥のようだった。ただ彼女は、それこそ立体起動を感覚的に扱っているので言葉での説明を求められると何も言えなくなってしまう。
「教える事なんて何もない」
「そう言うなよ。頼む」
「……ミカサがいるでしょ」
あまり人に興味のないなまえでもミカサの名前は知っていた。彼女は104期生の中でもそれくらい優秀だ。
「あいつは何言ってるか分かんねぇんだよ」
「私も同じ」
やはり立体起動の使い方を口で説明するなど無理だ。なまえならば尚更。とその時、エレンがなまえの胸元を掴み投げ飛ばした。
「っ……!」
「ふぅ……今回は俺の勝ちだな」
エレンは体勢を崩して地面に倒れてしまったなまえに手を差し伸べる。その手を取り、服に付いた土を払うとちょうど兵士から休憩の声がかかった。訓練兵達は取っ組み合いをやめ、各々休憩をとるためどこかへ散っていく。エレンの元にもミカサとその友達であるアルミンがやって来て三人で別の場所に行ってしまった。
なまえは建物の陰に移動し、壁に寄りかかりながら座った。予め持ってきていた水筒から水を飲んでいると、聞こえてきた足音が自分の隣で止んだ。横を見れば二本の足が視界に入る。釣られるように上を見上げると、知らない顔が、いや、昼に隣に座ってきた奴が心配そうにこちらを見下ろしていた。彼はなまえと同じように隣にしゃがみ込んだ。
「あのっ、大丈夫? さっき投げ飛ばされてたけど……!」
「別に」
「け、怪我とかは……」
「平気」
「そっか……なら、いいんだ……」
安心したように目を伏せ、ほっとため息を吐く。なまえは水を飲みながらそれを横目で確認した。彼は特に立ち上がる気配もなくここに居座り続けるつもりらしい。
「……何か用なの」
「え……いや、えっと……用って言うほどの事じゃないんだけど……こっ、ここに居たらダメ、かな……」
何故か顔を赤くしながら頭をかく。
「……好きにしたら」
ため息混じりにそう言って、なまえは立ち上がった。この日陰は狭くもなければ広くもない。ただ、隣に座られて自分のスペースを自由に使えないのは嫌だった。この場には人ひとり分の日陰などどこにでもあるのでそちらに移動する事にした。
「あ、ま、待って……!」
「…………」
なまえが立ち止まり振り返ると、彼は必死な顔付きから目を泳がせたり手を遊ばせたり落ち着かない態度に変わる。
「ち、違うんだ。僕は君と……」
そう言いかけて何かに気付いたのか「あ」と声を漏らした。
「そうだ……君の名前、聞いてなかったな……」
なまえは彼が照れながら問うてくるのを疑問に思いながら口を開いた。その時。
「おい、なまえ。続きやろうぜ」
なまえの後ろから声がかかる。エレンだ。ミカサとアルミンとは別れてきたらしい。ちょうど休憩も終了し、訓練兵がこの場に集まってくる。なまえはエレンについて行きながら、何故か呆気に取られている彼をちらりと見る。その視線に気付いた彼は笑って誤魔化した。
「なまえって言うんだね……うん、よろしく」
弱々しい声を背になまえ達は訓練に戻っていった。
夕暮れ時になり、やっと訓練終了の鐘がなる。皆クタクタになりながら一度着替えるために宿舎へ戻る。後はもう夕食を済まして寝るだけの自由時間だ。
ベルトルトは食堂で配膳を受け取り、辺りを見回した。昼と同じくなまえの隣に座ろうと思ったのだ。だがいくら探しても彼女の姿は見当たらない。席も埋まってきてしまったので仕方なく空いている席に座る。それから何度か部屋全体を確認したが、やはりなまえは食堂にいないようだ。
「どうした、ベルトルト」
近くに座っていたライナーがこちらを見ていた。これだけあからさまに誰かを探していれば同郷の仲としても気になるだろう。
「う、ううん……なんでもないよ」
「誰か探してんのか」
「え、えと……」
ライナーとライナーの周りにいた者達の視線がベルトルトに集まる。
兄貴肌のライナーは男女問わず人気があり、彼の周りはいつも明るく賑やかだ。今もベルトルトに話しかけるまで彼らは別の話題で盛り上がっていた。だからライナーに声をかけられたベルトルトにも、周りの興味が向いているのだ。
「なまえって子、知らない? 食堂に来てないみたいなんだけど……」
「なまえ? 誰?」
「あー、アイツだろ。あの立体起動装置つけるとめちゃくちゃ口悪くなるヤツ」
誰かがそう言うと皆があぁ、と声を漏らした。
「俺も初めて見た時驚いたなー。大人しくて可愛い子だなって思ってたから。立体起動の訓練ですっげー怖くてさ」
「分かるわ。人よりちょっと上手く扱えるからって調子乗りすぎだよなぁ。座学とか、他は普通なのによ」
「今日の格闘訓練見たか? あのエレンと一緒に本気になっちゃって、ダセェよな」
わははとその場が盛り上がるが、ライナーがそれを止めた。
「おい、この場にいない奴の悪口はやめておけ」
強い怒気を孕んだ声色と雰囲気につい言葉を失う取り巻き達。眉間にシワを寄せギラリと鋭く光る瞳は誰を睨むわけでもないが、周りの者達はその表情に完全に怯えきっていた。誰かが絞り出すような声で何だよ冗談だろと取り繕ってその場は収まった。
だがライナーが本当に警戒していたのは取り巻き達ではなく、彼らを全くの無表情で眺めていたベルトルトだった。彼の密かな殺気に気付いていたのはおそらくライナーだけだろう。あれ以上放っておけば何を仕出かすか分かったものじゃない。あれはベルトルトへの牽制だったのだ。
しばらくすると食事を済ませた者がちらほら出始めた。その頃になり、ようやくベルトルトの待っていた人物が顔を出す。彼女は今日の料理担当に食糧が残っていないかを確認しに来たようだ。担当者が首を横に振ると彼女は踵を返しさっさと食堂を出ていった。それを見たベルトルトはとっておいたパン以外を平らげ、後を追う。その背をライナーは無言で見つめていた。
「なまえ!」
食堂を出て慌てて彼女を追う。なまえは宿舎とは反対の方に歩いているようだ。再度声をかければ少し不機嫌そうにこちらを振り向いた。
「良かった、もう食堂には来ないかと思ったよ……」
「何の用?」
「……これ。さっき夕食がないか確認してたろ? 僕の机のところには余ってたから……」
ベルトルトは持ってきたパンを差し出した。なまえはパンを見つめたまましばらく黙っていたが、やがてベルトルトを見上げ睨みつけた。
「何のつもり?」
「え……」
「今日、話しかけてくるのはなんで。なんでこんな事するの」
ベルトルトは一瞬言葉に詰まるが、ふっと口元を緩ませ、照れくさそうに笑った。
「君に、出会えたから」
なまえは意味が分からなかった。彼が笑う理由も、その返事にも。舐められているのかと思ったら予想外の返答につい思考が停止する。目を見開いたまま固まってしまったなまえに、ベルトルトは戸惑いがちに声をかける。
「大丈夫?」
「……意味分かんない」
なまえはパンを奪い取りそのまま歩き去る。ベルトルトは何もなくなった手のひらと、パンをかじりながら去っていく彼女を見比べ、笑みが溢れるのだった。
ベルトルトが自分の宿舎に戻るとすぐにライナーから合図が出た。ここに来る前に決めた、三人だけが知る合図だ。今夜、何か話し合いがあるらしい。皆が寝静まった頃、ベルトルトは自分のベットからひっそりと起き上がって音を立てないように部屋を出た。夜なので誰かに出くわすという事もなく人気のない倉庫の裏にたどり着く。ベルトルトとライナーは同じ部屋だが二人同時に部屋を出ると怪しまれるのでタイミングをずらしている。少し待てばライナーもすぐに来た。
「アニはまだ来てないみたい」
「あぁ、アイツは呼び出してない」
「え?」
「俺はお前に聞きたい事があったんだ」
ライナーの目は真剣そのものだ。
「今日のあれは何のつもりだ?」
「えっと……?」
「さっき飯の時間になまえって奴を探してたろ」
最初、戸惑いの表情を浮かべていたベルトルトも、なまえの事について聞きたいのだと分かると納得した様子だった。彼はへにゃりと頬を緩める。
「あの子に会えてつい嬉しくなっちゃって……」
「……知り合い、なのか……?」
「うん。二年前の、あの時に……」
二年前のあの時といえば思い当たる出来事は一つしかない。一体あんな惨事の中で何故、どうやって知り合ったというのか。そもそもあの時は共に行動していたし、知らない誰かと仲良くなるという事もなかったはずだ。
(……!)
その時、ライナーはふと思い出した事があった。あの事件の後、ベルトルトと合流した時。人が壁の中に侵入してくる巨人から逃げ惑っている中、彼は何かに心奪われたようにぼうっと突っ立っていてライナー達が声をかけるまで気が付かなかった。それから数日は人の多い場所ではやたら辺りを見回したり、三人だけになれば何かに思いを馳せるように遠くを見つめながらため息を吐いたりしていた。あれはてっきり故郷へ帰れなくなった憂鬱とこれから犯す罪へ怯えかと思っていたが、どうやら違ったようだ。
ライナーは若干の不安を覚える。あの時、彼の言っている人物との出会いの後であれば、当時のあれは恋煩いのような態度だったと思えるが、もしそうなら食堂での件を見るかぎり大分拗らせてしまっている可能性がある。
「……ここに来た目的を忘れるなよ」
ライナーが今言える言葉はこれだけだ。下手に刺激して爆発されては困る。彼は「大丈夫だよ」と何でもないように言った。今夜はもう解散だと、ライナーは先に部屋に戻る。
ベルトルトはしばらくその場に残り、空を眺めていた。
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