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閉鎖病棟に入院した感想

はじめに


この文章には自殺を仄めかしたり死に関する描写や言葉が出てきます。なので読む際には気を付けてください。

経緯


5月から希死念慮に襲われて本格的に死ななきゃいけないなと思い始めた。5/5にもう削除済みだがフォロワーの方で未遂をした方にどのようにしてやったかを尋ねた。大抵は非定型の首吊りだった。これを聞いたことでまた衝動に駆られる方が出てくるかもしれないと思い反省し削除した。とにかく私は死にたいと生きたいの狭間に揺られながら生活していた。ずっと自死遺族の会のHPや毎晩遺書を書く生活をしていた。
そして5/6に前々から練習していたハングマンズノットという首吊りロープの縛り方を練習した。いよいよイケる気がするなと白昼堂々ロープがなかったので裁縫用のメジャーを使って首を非定型で吊った。本当はちゃんと足の浮く形でやりたかったものの背が高いのでわざわざ釘打ってやる気もなかったのでとりあえず非定型で吊った。
意外と難しく、途中脳への血流は止められたのか今まで痛くなったことのない頭の部位がいたくなったりした。(今もたまに痛む)しかし、難しかった。(特に気道を締めるのが)色々やって疲れて首を括った状態で横のなっていたところ母親に発見された。発見されたかったから昼間にやってたのか今となってはわからない。何も考えていなかっただけかもしれない。
そして翌日のメンクリにて任意入院という形で入院した。

正直いい経験になるわとワクワクしていた。退院日が前もって決まっていたし。₍理由は後述)その日のうちに髪の毛をボブにし髪を染めた。
因みに首にはメジャーの食い込みの跡がしっかりついていた。


え?閉鎖病棟なんですか?


PCR検査を受けその後入院についての説明を聞き同意書にサインした。
私は閉鎖病棟に入れられるとは思っていなかった。入院日書類に適当に名前を書いてる時に閉鎖病棟の文字が見え絶望した。私どうなっちゃうのー!!
閉鎖病棟には個人的なイメージとして薄暗い独房のようなイメージを持っていたので怖かった。
しかし実際は全然普通の明るい普通の病室だった。入院初めてなので他の病院はどうなのかしれないけれど、結構いい場所だったと思う。

私の病院にはある程度人にランク付けされていて(0から3まで)私は1だった。例えば売店に行くのもランク1の人たちと決められた時間に看護師さんに連れられて行かなければならなかった。
また見せるもの(日記とか絵とか)もランクが違うと見せてもらえないことがあったりもした。ランクごとでできることしていいことが違った。ランクによっては午前or午後に外出できたり外出範囲が広かったりした。
そして唯一の娯楽10分間だけスマホがいじれる。これもランクによって見るだけや、やりとりをしてもいいなどの制限がかかる。私はルール破って普通にやりとりしたりツイートしていた。見張りはいないので。

そんな中私は音楽プレイヤーと勉強道具を持って行った。
しかしながら、当然暇になるわな。昼ごはんの後に筋トレをするのを日課にしていた気がする。あと小説考えていた。たまたま同い年の浪人生がいたので物理を毎日教えながらだべっていたりなんやかんや楽しく過ごしていた、オセロやったりとかして。
あと意外と気楽に過ごせていた。何故なら5/29の森、道、市場に行く為に28日に退院することが決まっていたからだ。私はこのフェスに行かせてくれるんだったら入院するという約束で入っていた為終わりが見えてる、楽しみが待っているという点で気が楽であった。そして勉強教えるのも面白かったし意外と閉鎖病棟は看護師さんも患者さんもアットホームな感じで本当に良くしてくれた。

素敵な出会い


自分で言うのもなんだが私は年上の方に結構懐かれやすい。偶々大学で物理を教えていたという方と出会った。私は話している時に自分がずっとネックに思っていたことを話した。自分は文系の方が得意なのに理学部に入ってしまった。といった内容を泣きながら(感情がバグってる)話したところ、文系の能力がないと数学の証明ができたところで使い物にならない。文系の力も理系では必要だから気に病む必要は全くないんだよといったことをおっしゃっていた。その言葉にとても救われた。
実際に物理の公式の導出をやったり数学を教えてもらったりして良い時間を過ごした。

本当に救われたので感謝しかない。

未遂


私は持ち物に制限がかなりかかっていた。紐類はだめなので音楽聴く時は無線のイヤホンで聴くと言った感じで。その持ち物制限の中でタオルがあった。首吊り防止のためだろう。
もちろんベッドには引っ掛ける場所もないから出来ようもないし、看護師預かりの為入浴の際にくださーいと言って貰うという形でタオルの受け渡しを行っていた。

このシステムには穴がある。

タオルを返す時は洗濯して返すというシステムなので洗濯機が空いてないと自分の手元にタオルが残るのだ。

吊れんじゃん。

没収されるってことはこれで吊れるからってことでしょ?と思い実行。結果として病棟付属のハンガー一つ破壊して首に付けたタオルが解けなくなったので泣きながら看護師さんのところに行って外してもらった。
めちゃくちゃ優しかった。てっきり怒られるかと思っていたから意外だった。かっこいい看護師さんだったから惚れるところだった。
閉鎖病棟には鍵部屋が存在していてそこは何も持ち込んではならず、外から鍵を閉められ軟禁される部屋が存在していた。私はこのままじゃまずいと判断し看護師さんと相談して一日だけ入ることにした。

牢獄じゃん


していた眼鏡と時計を取り上げられ、書類にサインをして持ってきていたぬいぐるみと一緒に部屋に入り、外から鍵をかけられた瞬間そう思った。目の前は檻だった。鉄の棒が数本私の目の前に見えた。
あ、これ「ガチ」の奴や。そう察した。隣の部屋から女性のうめき声が聞こえてきた。本当に部屋にトイレとマットレス以外何もないので檻だったので午後から入ったとはいえ暇だった。私の持ってきていた画集の持ちこみの申請はしれっとスルーされた。草。
仕方ないのでなにかと会話をしながら呻いている女性の声に相槌を打ったり、ラルクのflowerを歌ったり、マットレスで前転をしていた。

もうすっかり平気になったので1日で出ることができた。
『鍵部屋』と呼ばれるその監獄の話題で盛り上がった。みんな一回は入っているみたい。


しかしその後も私の自殺衝動は治らず持ってきていたマスキングテープを使ってロープを編んだりしてバレて没収されたりした。
これは我ながらいい案だと思った。頑丈だったし。
どこにいても死にたいもんは死にたいんよ。


そして退院しフェスに行った。
超楽しかった初フェスめちゃはしゃぎました。


2度目の入院


5/30にまた病院来てくださいと言われまた入院が決まった。今回は開放病棟を勧められたのでそれに従った。これが間違えだった。閉鎖に行っておけばな〜〜〜!!!
そこは統失の人が大半で、何年もそこにいる人や身寄りがない人などがいる場所で要するに同世代の人が誰もいないのだ。

開放病棟なので午前午後外出時間が決まってるものの看護師の付き添いなしに指定された範囲内を自由に歩ける上スマホもその時間は弄れるのでかなり楽だったけど、ルールが厳しく(お菓子を食べるときはホールで食べなければならないなど)閉鎖病棟と同じ病院なのに生活リズムが全く違う気がして(閉鎖の時の食事時間覚えてない)苦痛だった。風呂(シャワー)が週一なのが辛かった。なんで閉鎖の時より入れないんだよって思った。
あと、特に昼ごはん11:15から夕食17:30までの暇潰しが本当に辛かった。集中力がなくなってるので塗り絵も進まんしナンプレも持ってきた本も2週間で2冊しか読めなかった。
雨ニモマケズ読んで号泣してたのも良い思い出ですね()
しかし、なんやかんや友達はできるものでちょうど聴いている音楽趣味が合う方と親しく話したりした。しかしそれは私の退院日の3日前くらいから急激に仲良くなり出したのでそれまでの日々はずーっと苦痛だった。何してたのか記憶に残ってない。日記には辛いしか書かれていない。同世代の人の存在は大きいなぁ。でも部屋が違うと会話するのも厳しいので結局のところ私がいた開放病棟は地獄だってことよ…。

良い人ばっかだったけどね。ちょうど私の年齢が子供、孫にあたる人が多かった

始まれば終わるので退院できた訳だが、希死念慮も自殺衝動もなんも収まっていない。
それ目当てで親は入院させたかもしれないけれど私としては私が家にいることで不安になるんじゃないかということで病院に行ってやるよというスタンスだった。

まぁいい経験になりました。色んな年代の方とお話しできて楽しかったです。(閉鎖は)
開放病棟の方は行きたくないですね。また未遂やらかしたら入れられるという脅しをかけられているので暫くはやらないしやりたくないなと思いました。

閉鎖病棟、というか精神病院の入院は反省の場です。あの辛い日々を思い出すだけで未遂はもうやりたくないなって思います。

もしやるなら中途半端なやり方をしない、時間帯を考える。これを大切にしようと思いますが今は自殺を決行する気力もないし入院がちらつくのでやらないです。以上です。


入院の時に持っていくといいもの


・CDプレイヤー
・塗り絵(複雑でないもの)
・漫画
・ぬいぐるみ
・時計
・ボディーペーパー
・紙とペン
・画集
以下集中力ある方
・ナンプレ
・小説


入院はもう懲り懲りだ。みなさんは来ない方が絶対いいですよ。自殺衝動が高まってきたらお医者さんにすぐ相談してください。

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