この日は開けててくれ。と上司であるスティーブンに指示された日をスマホのカレンダーに登録しようとして開いて気付いたものの何も言えず二つ返事の了承をした。

十二月二十四日
世間はクリスマスイブという日で浮かれ騒いでいた、ライブラのHL支店といえようこの職場は多忙を極めてはいるものの一番トップであるボスが適度に仕事を切り上げようといった為残念ながら事務所での仕事は午前中のみになってしまう
スマホがスーツの中で震え何事かと思えば斜め向かいの席からのもので時間と待ち合わせ場所と本日の行く予定であるらしい店のURLが送付されていた、短い返事をしたはいいもののもう一度スマホが震える

「律儀な人」

そう零したのは事務所に備え付けのロッカールームの自身のロッカー内にある紙袋を見つけたからである。
二件目に来た連絡にはスティーブンからドレスコードに見合う服はあるかということだ、勤務地が魔境といえるHLに変わって早一年弱、最低限の荷物だけの彼女にはスーツが三着私服が三着コートは一着のみでありただ生活を送るだけであれば困ることなど何も無かった
それ故彼がいうドレスコードに見合った服などは持ち合わせているわけもなくスーツでいいかと思っていたが紙袋の中身を見ては到底普段のスーツではダメだということを思い知らされた

「よくこんなお店取れましたね」
「まぁな、それよりやっぱり僕が仕立てたコーディネートはいいな」
「サイズもピッタリでしたよ」

約束の時間になり店の前で待つかと思いきや流石は伊達男、上司を待たせるとは愚行ではあるものの彼は「女性を待つのが男の定めさ」とまたキザなことを言った
田舎娘といわれるような彼女でもスティーブンが本日セッティングしたレストランは予約数年待ちと言える大人気店であり、特別な日であるその日は当然客で溢れかえっており店内は優雅でありながらもスタッフは忙しなく動き回っておりメニュー表はドリンクのみで何も分からずに見つめばスティーブンは楽しそうに微笑んだ

「酒は飲めるんだろう?赤と白、スパークリングでもいいが」

ちらりと覗いた彼の瞳に何でも。と返すのは失礼だと思い自分の好みだけの赤を呟けば彼はソムリエを呼びワインの説明を受けつつ注文をした
どこまで行ってもスマートなその対応に普段から異性と店に来ることも慣れているのだと考えつつ真っ白なテーブルクロスを見つめながら料理への緊張感を抱く

「次のスポンサーとの食事会にここがいいって言われててね、有名店をいつも好むからミーハータイプなんだろうが味に文句言われたらたまったものじゃないだろ?」
「そう、ですね」
「一人じゃ来られないからナマエがいてくれてよかったよ」

それじゃあメリークリスマスと彼とグラスを重ねながら仕事か…と内心残念がりつつも彼のことなのだから当然だと納得もした
スティーブンという男の補佐として傍で働くようになり、合理性のない行動は慎まねばならないと感じた、生憎と彼は異性にモテるタイプであるため距離感を測るのも上手い男であった
一口目から喉を焼きそうな強い芳醇な香りと反する甘さを感じさせる赤い液体は喉を通り過ぎ向かいの席に座る彼を見つめれば彼は美味しいね。とだけいう、無駄な知識をひけらかさずにシンプルな言葉だけであることはナマエにとって安心感さえ覚える、仮にここで言葉数多く語られても「へぇ」「はぁ」「そうですか」としか返事が出来ず終わってしまうのが目に見えていた
若いカップルも多いためか、はたまたテーブルマナーを知らないと思われたのか運ばれる料理に対してこのカトラリーをと説明され真剣に話を聞く彼女を見てスティーブンはその柔らかい口角を緩めた

「すみません、知識としては入っているのですが」
「いやいいんだ、君らしいし安心したよ」
「安心…ですか?」
「あぁ来慣れてないんだと思って」
「そりゃあスティーブンさんとは違いますから」
「僕の場合は仕事だからな」

サブウェイやマクドナルドの方が好きさ。というものだから思わずスープを飲む手を止めて顔を上げて驚きを隠せぬ顔で眺めればそんなに上品に見えるのかと嬉しそうに彼は上品に笑う
そりゃあそうだろうとナマエは内心呟いた、スーツの一つネクタイの一つ仕草であり話し方でありクラウス程では無いにしろいい家柄なのだろうと思わされる、軍務めやライブラ所属である者達は様々な家柄が多いが上流階級出身者も多くナマエとて一般より少し上の位置にある家だった

「そうじゃなきゃあんなランチばっかり取らないだろ?」
「…確かに」
「グラスも空じゃないか、ほら飲んで」

そういったさり気ない気遣いにしろ全てが魅力的なのだとナマエは思う、スティーブンという男の部下になれたことは素直に喜びを感じつつもその内には女としての喜びも僅かに感じていた
ある日ライブラの仲間である、チェインと互いに恋心を持っていると気付いた時に彼は好きだが恋心というよりも憧れだと互いに言い合って酒を浴びるように飲んだことを覚えている。
そうだこれは憧れで聖夜の一晩だけの夢なのだとメインディッシュを口にした、気付けばワインボトルは空になっていたようで二本目をどうするかと思っていればもうデザートだしいいだろうと終わる
ふわふわとアルコールに浮かされた身体は熱を込めてもう時期この仕事も終わりかと思っていればスティーブンの瞳がナマエを強く捕らえた

「本当は嘘なんだ」

なにが…と思えば彼は説明する
このレストランの予約も、スポンサーの希望も、実はミーハーなのは僕かもしれないと苦笑する

「どういう意味ですか」

全く意図が掴めないとテーブルの上に置かれたデザートをみつめる、チーズケーキとミルクジェラートが乗せられたそれは普段であれば直ぐに口にするはずだが動きが止まってしまい目の前を見据える他ない
スティーブンは気にした様子もなくチーズケーキを丁寧にフォークで切って口の中に放り込む、綺麗な歯並びと食事をしているために血色のいい唇は咀嚼で形を変える

「君とクリスマスデートがしたかったんだ」

約二ヶ月近く前にまずパートナーはいるのかと聞かれ何事かと思えば彼はハラスメントでは無く仕事の関係でと付け足した
浮かれ気味になる気持ちを抑えて居ません。と伝えればそれなら良かったと言われその数週間後に予定を開けて欲しいと言われたことはよく覚えている、きっと死ぬ間際まで鮮明に思い出すことだろう
「溶けちゃうぞ」というスティーブンの声にナマエはハッとしてジェラートを口の中に放り込む、広がる自然としたミルクの味を感じつつ夢中でチーズケーキを食べていれば食後のコーヒーがテーブルに並べられ、先に完食した彼の皿は下げられてしまう
見慣れたようにカップに口をつける彼は向かいの席で落ち着きのなくなった彼女を見つめた

「それで今日のデートは何点だったかな」

プレゼントも花も用意してないから採点以下かもしれないけれどというスティーブンにそんなはずが無いと彼女は思いつつ満点だと返事する

「それなら今晩はもう少し僕に時間をもらえると?」

食べ終えて真っ白になった皿を早々に下げられてテーブルの上に投げ出された彼女の手を取ったスティーブンは優しく微笑みかける、それは…と思い視線を逸らせば安心してホテルは取ってないからという
上品な皮を被っていた割にこんな場所で下世話なと思わず目を丸くしてみつめる

「その代わり僕の家になるけどね」

なんて甘い魅力的な誘いなんだと思いつつ彼の手から抜け出して、甘い口の中を直すようにコーヒーを飲み込んだ

「その為にこれを渡してきたんですか?」

視線を一度下げて膝の上に広がる彼に合わせたような紺色のシックなドレス、紙袋に入れられていたのは何もこのドレスだけでなく普段履かない高いハイヒールやパールのイヤリングなどもセットだった
単純にドレスコードなのだと信じていたのにといいたげな彼女にスティーブンは口角を僅かにあげる

「異性に服を贈るなんて仕事だとしても有り得ないだろ」

計画的な笑みを浮かべたスティーブンにもうこれ以上反論も出来まいと白旗を振った、今夜のクリスマスは仕事だけの寂しい夜にはならないのだと思いつつテーブルクロスに隠れた足元で彼の足を軽く小突いた
彼は嬉しそうに朝食の話をする、パンに塗るジャムは何がいいかと…そう問われてはもうこれは帰されないのかと確信して嬉しそうに苦笑して空になったティーカップの中身を見つめいまから起きる出来事に夢を見た。