八月
一度行ってしまえばそこでの任務も増えるというのはよくある事であり遠方での任務も何かと担当することとなった、国柄仕方が無いものだが重要な任務も多い上に軍隊でなくともそれなりの火力と能力を携えた相手には苦労するものだと話をするソープの横でゴーストはこの休暇にはまたセーフハウスの方に向かうかと考えていた
しかしながら世は八月、一般的には長期休暇に入っているところも多いはずであるがあの店はどうなのか…彼女はどうなのかと考える。帰ったら酒を飲んでビリヤードでも行くかと笑うソープに対してゴーストはマスク越しに気難しい表情をしつつ彼を見た
「な、なんだよゴースト、そんなに嫌だったのかよ」
真剣な眼差し、いや顰め面に似たような目を向けるゴーストにソープはそれでなくとも自身の買った家を押し付けたことなどもあり何かと悪いところは感じていた、今回の任務でも彼に助けられることは多々ありこれはまた何か言われるかと思う頃ゴーストは低い声で問いかけた
「コーヒーショップはこの時期開いてるのか?」
その言葉に全員の視線が彼に向けられた、全員というのは任務帰りの飛行機の中にいたタスクフォースの面々である。
全員が疲れた体をどう癒すか、戻ったあとの報告書がまた面倒だと感じる中であのゴーストがコーヒーの心配をしているのだ、紅茶派のはずの彼が
スターバックスくらいなら年中無休だろうと思うものの、ソープは大きく間抜けな口と間を開けてから楽しそうに笑みを浮かべた、まるで同級生をからかう少年のような表情だ。
「バニラの店だな!?中尉あんた彼女に…マジかよ」
はしゃぐ彼に何がそんなに面白いんだかと思いつつ「変なことは何も無い、単純にコーヒーが飲みたいだけだ」といえばソープの向かいにいたギャズは報告書や任務の詳細をチェックしていたパソコンの画面から顔を上げては「スタバならいつでも開いてますよ、帰りに寄ったらどうです」と言った、プライスでさえも「俺が奢ってやろうか?」と口角をあげていうものだからあぁ畜生…とゴーストは感じつつ、大した理由じゃないというもののその三人の視線はおもちゃを見つけたクソガキ共である。
あのゴースト…戦場の死神の日常を知れるなど思いもよらない出来事だからだ、マスクを見るだけで死ぬかもしれないと噂されるような男には浮いた話ひとつも無かった、勿論彼らの日常生活は危機に晒されることもある為、家族や恋人を隠すことはあるがゴーストに関しては隠す以上に何も無いのだから全員そうした家族恋人の話を聞くことはなかった、彼はいつでも聞き専だ
そんな彼が何処か興味を引かれているのは目に見えてわかることであり、初めて彼女と話していた姿を思い出してはあれから何度か接触でもあったのかと感じる絶賛恋人募集中のソープはからかう事もそこそこに自身のプライベート用のスマートフォンを取り出しては操作した
「え〜っと来週くらいにはまた開けるって、今は絶賛旅行中だそうだ」
個人間の連絡先を知っているのかと思わず驚くゴーストに対してソープは店用のSNSと彼女個人のアカウントがあることを教えては画面を見せつけた、店名と定休日に場所など必要最低限の記載されたアカウントと並ぶ料理やコーヒーの写真たちは思わず彼の空腹を刺激する、そして画面を操作して変えた先に出てきたのは見覚えのある彼女であるがそこには大胆にも水着姿で友人であろう女性達と並んだ写真であった
「いい身体だな」
「確かに肉付きがいいですね」
「本人は太ってるって気にしてるみたいだけど」
いやでもこれは太ってるに入らないだろ、細いだけよりもずっとセクシーだと画面を覗き込んだプライスとギャズに普段こんな話にノってこないような…いや、ゴースト相手だからこそなのだろうと彼も理解していた
小さなスクエア型の画像の中ではシンプルな白いビキニを着た彼女が眩い笑顔でカメラに向けてピースをしていた、確かに横に並ぶ女性よりもいくらかは肉付きがいいもののそれはゴーストにとって些細なものであり、反対に好みではあると思っては自分の下心に対して思わず暴言を胸の中で呟いてしまう。
「てっきり知ってるのかと思ってた」
「全くだ、こういうのは詳しくなくてな」
相手の情報を探るのは得意なのに?とソープに至って純粋な疑問を持ったような表情を向けられれば、それはあくまで仕事であるだけで相手を暴く趣味は持ち合わせていないと内心思いつつも彼はプライベート用のスマートフォンを取りだしては早速アプリをインストールして登録をし、ソープとアカウントを交換しては彼から送られたURLから店のアカウントをフォローし、ついでにとソープから送られた二つ目の彼女個人のアカウントもフォローしてしまう
「これだと分かりにくいだろ、アイコンくらいなんかこうわかりやすい方にした方がいい」
「そういうものか?」
「擬態した方がいいんだよ、初期アイコンとかだと不審に思われる」
「まるで知ったような口ぶりだな」
「ソープはこの間マッチングアプリで失敗したらしい」
ギャズから飛ばされた言葉にソープを見れば彼は「いうなよ」と声を上げた、今どきの情報網というものはとても多く、インターネットやSNSは欠かせないものだ。
その為仕事からターゲットを探す際には一番下から順に本人もだがそうしたインターネットの利用情報を調べたりする場合も多くある、ゴーストは情報収集に関してもそれなりに得意であるため任務において敵を調べることは彼もよく慣れていた、しかしそれは仕事であるからで彼女のことなど考えたことも無かったが画面の中で微笑む彼女を見ては思わず画面に表記されたハートのいいねを意味したマークを押してしまう
「あっフォローが帰ってきたぞ、よかったな」
もう見るなと言わんばかりにスマートフォンを大袈裟に見えない位置にやれば、たしかに画面にはフォローされました。の一言が記載されており、個人メッセージには『おばけちゃん?』とアイコンの設定もまだだというのに言われるものだから、ほらみろアイコンなど不要だと言いたい気持ちをグッと抑えて返事はまた次回にとポケットに仕舞おうとしたと同時にスマートフォンは震えた、見慣れない画面に何かとスワイプすれば画面いっぱいに水着姿の彼女が海をバックに映っていた
『本当におばけちゃんだ!あれ?今もしかしてしごっ…」
まさかこのSNSはビデオ通話機能がついていたのかと慌てたゴーストは思わず慌てて通話を切れば全員の視線がゴーストの手の中である、なんてことだと思うものの彼らは疲れなど知らずに面白いおもちゃを見つけてしまう、ポケットにスマートフォンをようやく直してはもう終わりだと言わんばかりのゴーストの横でソープは自身のスマートフォンを操作してスグまた聞こえてきたのは彼女の声だった
「マクタビッシュ!」
思わず普段と違う呼び方で声を荒らげるもソープは気にした様子はなく「よぉバニラ、旅はどうだ?俺たちはもう帰るところなんだ」と軽い言葉を掛ければ彼女は画面の中で楽しそうに笑っては背後の海を映した
『今友達とシチリアなの、ところでさっきおばけちゃんにフォローされたんだけど、違う人かしら?』
ゴーストさんね。と付け足した彼女に全員の視線が注がれる、あぁもう知らんとソープから渡されたスマートフォンを片手に隅に移動しては「俺だ」といえば彼女は眩い笑顔で「おばけちゃんもこんなのしてたのね」というものだから「いや…ソープに勧められたんだ」と咄嗟に嘘をつけば背後で口元を覆い震える三人の男たちにこれが終わったあと覚悟をしていろ。と思わず内心悪態を付いた
「もう時期またそっちに帰るからコーヒーを飲めるか知りたくてな」
『そうだったのね、えぇ来週には帰るから大丈夫だと思う、それより仕事中にごめんなさい、またゆっくりお店でね』
「あぁ俺の方こそ休暇中にすまない」
『おばけちゃんならいつでもいいわ、雑談でも二十四時間』
それじゃあ…という声を最後に通話は終わってしまいソープに返そうとすれば三人は微笑ましそうな表情で見つめるものだから思わずゴーストは椅子に座り直しては「着くまで起こすなよ」と告げては寝たフリをしたもののそれでも騒がしい視線は収まる気配はなかったがそれを終わらせるようにヘリの操縦席からは「もう到着するぞ」というものだからたまったものではない。と愚痴るのだった
◇◆◇
以前は迷惑をかけたという意味も込めて彼はオフの期間には滅多に来ないショッピングモールの中で一人立ち尽くしていた、決して何かおかしな事をした訳では無いが以前会った時に彼女に添い寝を頼んでしまったお詫びは出来ていなかったと律儀に考えていた、男であればそれなりにいい酒を一本買うだけでいいが彼女は女性で、今のところ何も酒を嗜んでいるようにも感じられなかった、となれば何がいいのかと家族やカップルに友達といった誰かしらと休日を過ごす人々の中でまるで迷子の子供のように立つゴーストは目深に被った帽子と髑髏のマスクでどうすればいいのかと思考する。
「(食べ物…いや好みはあるか?クソっ面倒でもソープを連れてきた方がまだよかったか)」
足を進めては女性へのプレゼントに。という文字を見ては思わず足を止めるもどれもしっくりとは来ない、時折洋服を見ては彼女に似合いそうだと考えても恋人でもない男が服を送るのはあからさまな下心過ぎるだろうと考えてはその足を踏み出す
バスボムにパジャマに紅茶やコーヒーに軽いコスメにケア用品などをみてはどれもこれも分からないと難しい顔をして下手にプレゼントを考えない方がいいかとやめようとした時ふと目に付いたものを彼は手に取ってしまう、それはあまりにも自然なものに感じられたからだ。
「とはいえ、これを渡すのも重たくないか?」
会計をする彼は改めてその値段に思わず彼女には言えないと思いつつ包装されるのを見守った、ターコイズブルーに白い花柄が付いたティーカップとソーサーのセットは一目見て彼女が使っていて自然に馴染むものだと思った
いつの間にやら昼食も過ぎた時刻にようやく用事を終えた彼は空腹感を訴える自身の体にそろそろ食事でも…と適当なカフェレストランに入りメニューを眺めた
「コーヒーとナポリタンを」
ミートスパがよかった。と思ったのは何故なのか。
しかしながらそう思いつつも似たような赤いパスタを頼んだ彼は席に座って外を眺めモールの中を行き来する人を見つめていれば見慣れた女がそこにいた、セーフハウス最寄りのモールではないロンドンのそれなりに高級ブティックの揃ったモールだった、その為偶然であり見掛けるわけがないと目を疑ったものの彼女で間違いはなかった
いつもの服装よりもまた違うめかしこんだ彼女がそこにいた、さらにその横には男が…思わずそれを凝視していれば見たこともない笑みを浮かべ、そしてじゃれついたような子供のように頬を膨らませ怒ったふりをしてと喜怒哀楽は激しいものだった
「(俺の馬鹿野郎め)」
全くそうだ、何を浮かれていたんだと彼は自分を叱咤した、あの時のマスターの言葉を真に受けた?彼女と寝た時間を特別に感じた?そもそも何故あの女に固執するのだと自分に問いかけても答えは何も浮かばなかった
代わりにやってきたコーヒーとナポリタン視線を向けては僅かにバニラの香りがするのだ、甘い癖のある香り
それを普段ならば好きになれないはずが彼女の香りだけは心地よいと思ったのだ。それ以上の理由など何も無いからこそゴーストは混乱した
「何かになりたい訳じゃない、そうだろゴースト…しっかりしろ」
特別を作ってはいけない、それは簡単に崩れてしまうものなのだからと言い聞かせて口に含んだコーヒーは渋く酸味があり口には合わず、ナポリタンはベチャベチャとしてレトルト特有の味がしたことに対して高い値段の割にとますます苛立ちを感じる
しかしその意味が相手に対してどう思っているかだなんて理解していても彼は行動には移せないのだった。
外が暗くなってきた頃コーヒーショップは今日もまた人が少ないことにゴーストは安心感さえ覚えた、今更この店が人で溢れかえるような店になっているとなれば彼は目を疑うかもしれないからだ
「おかえりなさいおばけちゃん」
「あぁホットを」
いつも通りに金を置いてはレジに直す彼女を横目にカウンターに座っては彼女を静かに眺めればコーヒーメーカーのスイッチを入れた彼女はゴーストの座る反対側のカウンターに背を預けては彼をみつめた
「何か言いたげ、どうかした?」
イジワルな少し子供のイタズラじみた顔をする彼女にゴーストはタイミングは悪くないかとひとつの小さな箱を手渡せば彼女は箱の外側に貼られたシールから目を輝かせて「もしかしてケーキ?」と声を上げた
ロンドンの中でも一・二を争うほどに有名なケーキ屋の箱だと気付いた彼女は興奮して時計を見つめてはどうしたものかと言いたげな顔をした
「こんな時間に持ってくるだなんてずるい」
「昼間に持ってきて店を閉められてクレームになると困るのはお互い様だろ」
オーナーのいないワンオペで回している店は彼女の都合で店を好きにできるのだからと冗談交じりに告げれば彼女は見透かされたよう気恥しい表情を浮かべては音を止めたコーヒーメーカーからカップを受け取りゴーストに差し出した
「ホットっていったんだがな」
「カフェオレのホットよ、たまにはいいじゃない」
「客の注文も聞いてくれないのか」
「えぇお客さんのお口に合うものを用意するのが仕事ですから」
そりゃあ凄い。とからかえば彼女は僅かに眉を下げて「やっぱり変えよっか?」というものだから不安になるならしなくていいのに。と思いつつ「いいやカフェオレの気分になった」といってはやはり口馴染みのあるその味に安心感を覚える、時刻は二十時を過ぎて客はテイクアウトばかりになり、いよいよ閉店時間だと言わんばかりにゴーストを置いて彼女は閉店作業に入るため彼もカフェオレを飲み干して店を出ようかと思うものの彼女に呼び止められてしまう
「ケーキ、一緒に食べましょうよ」
今度はちゃんとコーヒーを淹れるから。という彼女に「その駆け引きでカフェイン中毒にするつもりか?」と返事をすれば返事もせずにフフフ…と笑った。
入口の看板も直して、店の電気も消してカウンターのライトだけにした彼女はエプロンを外しては嬉しそうに冷蔵庫からケーキの箱をまるで宝箱を持つように慎重に手にしてカウンターにおいては開けた
「ショートケーキだ」
「あぁ何がいいか分からなかったからな」
「嬉しい、いちごが好きだから」
彼女は人を悪くいうことはあるのだろうか。とふと疑問を抱いてしまうゴーストは彼女に対して簡単にいいように悪いようにと意見を変えてしまうのに彼女はいつも笑顔でポジティブな言葉ばかりをいうのが余計彼を苦しめる、人というのはそんなに綺麗なものではないと理解しているのに彼女のせいで僅かにそんな考えが揺らいでしまいそうになるのだ。
四角いショートケーキを箱から取り出して店のデザート皿に載せた彼女はゴーストの手元に置いたあとにまた紅茶の缶を手に取って砂時計を逆さに向けてカウンター内側で椅子に腰掛けてゴーストを見つめた、真っ直ぐとしたその目に飲み込まれてしまいそうだと感じる
「それで何か言いたいことがあるけど、どうしたの?」
「いや、この間は助かったと思ってな」
「なんのこと?」
「一緒に過ごしてくれて、お陰であの日は随分休まった」
「よかった、またその誘い?」
そうじゃなく感謝の気持ちだけをと言いたくなるものの彼女の瞳は真っ直ぐとゴーストを見つめていた、本当に言いたいことはそれじゃないのだろう?と問いかける眼差しに思わず気を張ってしまいそうになる。
しかし優しい表情にすぐ戻した彼女は「いえないこと?」という、言えない訳では無いにしてもこの胸の内をさらけ出す意味もないだろうと考える、胸のつっかえはあるがそうしたものは時間が解決するという間に彼女は砂が全て落ちたのを見て二人分の紅茶を注いだ、広がる甘酸っぱい香りにフレーバーティーかと気付いて視線を向ければ赤に金を縁どったティーカップの中には真紅に近い色の液体が揺れる、彼女がそうして淹れている時の真剣な表情や揺れる髪を見ては綺麗だと感じられた
「本当はおばけちゃん。って呼ばれるの嫌だった?」
真剣な重たい声で問われた言葉に目を丸くする
【おばけちゃん】と呼ぶのは彼女だけでそれは酷く子供のような呼び方に感じつつも何も嫌な気持ちにはならなかった、ゴーストや幽霊と呼ばれる中で敢えて違う呼び方をされるのは妙な感覚だ
「そんなことは気にしてないがどうしてその呼び方なんだ」
「知りたい?」
二人分のお茶を淹れ終えた彼女は座ったあとゴーストの顔を覗き込んで問いかけた、当然だと頷けば「じゃあ教えるから貴方が言い渋ってることを教えてくれる?」と言われてしまう、本当に下らない内容だと告げても尚更知りたいという彼女に了承する程きっと対した意味の無いその呼び方の理由を求めた
「ゴーストだと誰かと被るし、ファーストネームを呼ぶのは恥ずかしいでしょ?同じ意味でも幽霊とかよりもおばけの方がずっとかわいいじゃない」
「それだけが理由なのか」
「ええ、深い理由がある風に聞こえる呼び方だったかしら」
「つまり人と被るのが嫌ってだけか」
子供じみていると鼻で笑うゴーストに彼女は思わず顔を熱くさせたが彼もそれに同意できた故に仕返しのように言われた「あなただって私をバニラと呼ばない」という言葉に反論ができなかった
確かに彼女は周りからはファミリーネームで呼ばれている仲で一人だけ彼女を名前で呼んでいた、それはごく自然なことではありながらも実際に特別な呼び方だといわれてしまえば当てはまってしまう
「怖い顔してるから呼び方くらいかわいくしてもいいかな。と思ったの」
「怖い顔だと思ってたのか、意外だな、愛嬌はあると思ってた」
「そうねぇ」
じっとりと彼女の視線がゴーストに突き刺さる、日常生活でもバラクラバや深いマスクにフードといった自分の身なりを隠す服装をしてしまうことには自覚がある、彼女の細い丸い指先が伸びては彼の目を逸らさずにバラクラバを捲り、現れたその唇を「大きい口してる」と呟いた
重ためな瞼に大きくてがっしりとした鼻に傷のある顔に少し薄いくちびる、セクシーだけどもう少し笑った方がいいんじゃない?という彼女に口角を上げれば不器用だと笑われてショートケーキの上のいちごを押し付けられてしまう。
「私はちゃんと話したんだから、次はそっちの番」
真実か挑戦ゲームみたいだと感じた
口を開ければいちごがそっと口の中に押し込まれる、大きなそれは甘くやはりいい物を使用しているのだと感じつつ離れていこうとする彼女の手首を掴んで最後の一口を食べ切るまでそのまま握っていた
「見掛けたんだ、あんたを…数日前にロンドンのショッピングモールで」
その言葉に彼女はふと考えるような表情をした、ロンドン、モール…と呟いた後に彼女は明るい表情で声を上げた
「あそこに居たの?そうそう丁度兄さんと久し振りに会ってたの」
ちょうど休暇中だったからお土産を渡すついでに。という彼女にあの時の横にいた男のことなのかと「俺くらいの身長の男か?」といえば嬉しそうに頷いては掴んだ手から抜けた彼女はポケットの中のスマートフォンを取りだしては慣れた手つきで操作をしてSNSの画面を見せた
「これでしょう?」
覗き込んだ画面の中には顰め面のような男と彼女がインカメラで撮影された写真が載せられており、その下に書かれたコメントも【兄さんと久し振りに】とあった、彼女のことなど何も知らないのだから仕方がなかったがまさかこんなくだらない事で感情を揺るがされていたのかとゴーストは思わず視線を逸らして紅茶を口に含めばやはりそれは何処までも彼の中で完璧だった。
彼女はゴーストを気にした様子もなく画像フォルダから兄とのツーショットの写真を取り出しては見せびらかしたあと「それで?モールでなにかあったの?」と問われてしまえばゴーストは言葉に詰まってしまう
それは当然のことだ、要は嫉妬していたのだ、オフとなれば自分の一番好きな店に人を連れていかないような女が休みの日には時間を過ごすパートナーがいるとおもったのだ、それを彼は痛感するほど自分の感情の秤が彼女に大分落ちていことに改めて気付くもののそれを口にすることは決してないのだ
「特に何も無い、プレゼント選びが上手くいかずに悩んでいたんだ」
「悩むほどの相手に渡したかったのね、素敵だわ」
センスって難しいわよね。と彼女はショートケーキを食べつつ先日のシチリアのお土産も兄には不評だったからと眉を下げていったあと「あ」と声を上げては席を離れて慌てて戻ってきた
「これ貴方に渡そうと思ってたの、はいお土産」
「なんだこれ」
「トリナクリアのストラップ、知らない?シチリアの旗の」
「わかるが…これを兄貴にも渡したのか」
「ううん、兄さんにはこれくらいのクッションをあげたの」
これくらい。といって両手を肩幅ほど広げた彼女にその顔に三本足の生えた独特のデザインは確かにシチリアにおいては有名な存在だが土産として手渡すのには些かセンスを考えてしまうものの自分の悩みが彼女のそうした爛漫なところに埋もれてしまえば心地よくてゴーストは自然と声を出して笑ってしまう
「そんなに笑わなくてもいいじゃない、確かにみんなは違うの買ってるなぁって思ったけどシチリアらしさがあるじゃない」
「ははっ、悪い…でもほらレモンとかなんだ?雑貨にしてもほかにあるだろう」
「それなら返してもらうから、ほらちょうだい」
「俺のために選んでくれたんだろ?じゃあ返せないな」
返したくもない。とゴーストは渡されたトリナクリアのストラップを自分のなんの面白みもないスマートフォンのケースに付けて見せびらかせれば頬を膨らませて見つめる彼女はまだ許せなさそうな表情をしていた
「俺もセンスに自信が無いから持って来れなかった」
「他にもあったの?」
「あぁ花も考えたし物もな、だが持って来れなかったが今度は持ってくるさ」
セーフハウスの中で眠っているターコイズブルーのティーセットを思い出しては彼女に似合うだろうと改めて感じたものの彼女は静かになってしまう
今すぐ欲しかったのか、はたまた迷惑だと言われるのかと思わず考えていれば彼女はただ一言ゴーストに穏やかに告げる
「ここに来てくれるだけでいいの、貴方の顔を見ると安心するから」
「そうか、じゃあそうする」
うん。と返事をした彼女が最後の一口を食べるのを眺めてはゴーストは紅茶を飲み干した、ストロベリーティーはほのかに甘くて酸っぱかったが冷めていた胸を温めるのには充分だった。