仁が妻を娶ったとしてもやるべき事を成す為に家を空けることは当たり前のようであった。
殆どの時間を志村城といった對馬の地頭である志村と過ごしていることは有名なことであり、時折彼やその妻の耳に入れないようにするものの民はからかう様な哀れむように一体あの男は誰と結婚したのだか。と言われる始末。
挙句の果てには妻があまりにも恐ろしい悪鬼であるのでは無いのかと言われる迄であり、彼女は青海の村で思わず背を丸くして目線はいつも足元ばかりになってしまうのだった。

「本日の夕餉には若様が戻られるそうですよ」

仁の乳母である百合からの言伝に書物から顔を上げた彼女の瞳は僅かな柄にもキラキラと輝いており、彼女は落ち着きもなくソワソワと屋敷の中を歩き回る彼女に百合は微笑ましくたまには夕餉を準備した彼の心を射止めてはどうかと言われてしまう。
更には此度は彼女も赤島の村に用事がある為、主君が帰ってくるのであれば出掛けられるからと屋敷を開ける旨を伝えられてしまい彼女は一体全体どうしたものかと悩ましくも彼女の提案を素直に受けたのだった、


数は少なくとも聞き慣れた馬の足音に慌てて外に飛び出すように出ていけば丁度仁が戻ってきたばかりであり、彼は妻を見るなり思わず優しい表情を浮かべては彼女の名を呼んだ。

「おかえりなさいませ仁さま、旅の後でおつかれで御座いましょう、夕餉の支度は済んでおりますが如何なさいますか?」

久方振りにみた妻の顔に彼は自然と笑みを浮かべつつ日中から忙しなく活動していたことにより身体は汗を流していたものの、それ以上に外からでも香ってきた夕餉の香りに食欲をそそられた彼は湯浴みよりも先にと告げれば彼女は嬉しそうに準備に向かっていってしまう。
とはいえ仁からみてのことで、周りの人間からしてみれば彼女の表情や雰囲気の変わり方など滅多に理解されないものであり、それ故に彼女は冷血女と思われていた程だった、感情を表すことが下手でありながらもそれさえ愛らしいと感じる仁は自分が相当あの娘にほの字だと感じては毎度の事ながら擽ったくなってしまうのであった。

しかしながら仁が夕餉の席で思わず手を止めたのは何も妻の料理が酷いからではなかった、反対に彼女は才色兼備であり文の読み書きから尺八を奏でることも和歌を詠むことや武芸に関しても仁に並ぶほどの手練である娘であり、料理の腕も仁の舌に合うものであり時折恋しくなるほどであった。
だからこそ味は間違いでは無いものの並べられた献立に彼は思わず目の前の妻を見た、夫が箸をつけねば妻が箸をつけるわけがないため彼女は不安そうに見つめていたものの彼は「これは」と呟いた。

「先日本土に渡った村の者から頂きまして」
「全部か」
「左様でございます、近頃あなた様が活気に勝る御活躍をされておられますので、美味しゅうものをと思いまして」

そういわれ仁はもう一度膳の上に置かれたメニューを見て、スッポン鍋に鰻丼に焼き牡蠣などが並んでおり普段の食事に比べて随分と豪勢なものであり祝い事でもあったのかと驚きつつ深紅の液体が注がれたお猪口をみつめて彼は驚きつつ問いかければ彼女は平然と告げる。

「スッポンと蝮の血を梅酒と混ぜたものでございます」

百合が漬けていた梅酒なので味は確かだと告げる彼女にそうかと返事をした仁は箸をつければ彼女も安心したように夕餉を取った、まるで嬉しそうな妻の姿に下手な勘ぐりは良くないことだと彼は言い聞かせて口の中に運んでは満足感を感じ刻を過ごしたのだった。

しかしながら仁はやはりこれは彼女の策略なのかと湯汲をしつつ考えた、仁とのあの並べられた料理の意味は理解しており、あからさまな精のつくもの達だった、しかしながらそうしたことに消極的な彼女がかような誘い方をするものか、自らが求めることは多々あれど彼女からは・・・と考えてはやはり純粋なる気持ちなのだと言い聞かせた。

だが仁の躰は素直に火照りを帯びた、湯船の中で心頭滅却をと瞼を閉じては浮かび上がる妻の姿に彼は頭を振った、婚前より変わらぬ激務であるというのに彼の心根では彼女を求めて止まないのだと考えては呆れさえ感じてしまう。
そうして考えるうちに仁は意識を手放してしまい、湯船に顔を沈めたのだった。

「・・・ま・・・さま、仁さま」
「ナマエ・・・?」
「あぁ目覚めましたか、全く湯船の中で倒れておいででしたよ」
「考え事をしておったのだ、すまなかった」
「構いませんよ、暫しごゆるりとしてくださいませ」

ふと目覚めたのは見慣れた天井と妻の顔であり、柔らかな感触に彼女の太腿の上に頭を乗せて風を仰がれていたのだと気付いた仁は自身の情けなさに眉間に皺を寄せてまぶたを閉じてしまう。
心地よい風と彼女の柔らかな香りに身を預けていればその手が仁の髪を撫でるためこそばゆく子供のような真似をしてくるものだと珍しく感じていれば彼女と眼が交わり笑みが毀れる。

「倒れられる程無茶をしないでくださいね」
「無茶は・・・あぁ気を付けよう」

全くくだらない事で意識を取られたなどいえるわけもないと羞恥を感じていればふと仁は自身の違和感を感じ身を捩った。
一体彼女のあの料理の数々の効力とは如何程のものなのかと驚きを感じつつ横を向いて身を縮める彼に彼女はもしやまだ体調が優れないのかと不安を感じては彼の背を摩り「横になられますか?」と問われる。
外はすっかり日が暮れて月が明るく立ち上っていた為、早いが就寝の準備をと告げれば彼女はその身を起こしては布団を敷いてやり仁を招き彼が横になる姿を静かに眺めた。

「ナマエ」
「なんでございましょう」
「何かあるのか?」
「いえ」

案外心配性なところがある為、平気だと伝えようとするも彼女は部屋の戸口から離れずに居座り彼を眺めていた。
その熱視線に彼は身が焼けるのでは無いのかと感じて、何か言いたいことがあるのならば素直に告げてくれないかと思いつつ、できる限り柔らかく問いかければ彼女は口篭った後に苦しげに呟いた。

「今晩の夕餉は如何でしたでしょうか」
「美味であったが」
「左様でございますか」

また絶妙な沈黙が二人の間を駆け巡る、仁は下腹部の熱とは違うものを感じては思わず彼女を見つめると、顔を俯かせて拳を作る妻が居り仁は思わず小さな溜息を零しては素直に告げて良いと告げた。

「倒れてしまいましたことは私のせいなのかと思いまして」
「お前のせいでは無い、少し考え事をしていただけだ」
「先から尻すぼみしておりますが、それは口に出来ぬ事でございますか」

全く気の強い女であると感じつつ仁も男として素直に口にできる訳ではなかった、簡単にいえば頭の中でお前の裸体を夢想した、そんなことを言えばまるで女を知ったばかりの童であるからだ。
仁は「大したことでは無いからな」といえば彼女は傍によっても良いのかと問いかけた為、許可してやれば彼女は枕元にやってきた為仁は起き上がり彼女を見た。

「隠し事はあまり良く受け取れません」

その言葉に仁は普段から夫婦間において秘め事は無しでいようと誓いを立てて起きながらも守っていないことを感じ、自身の誇り以上に約束が大切だと言い聞かせては珍しくも視線を彷徨わせ口篭った後に観念して告げる。

「暫くお前と逢えていなかった事が重なり、おまえを想いすぎて伏しただけだ」
「それは、あぁ・・・それは、その」

秋の紅葉の如く赤く染まりゆく彼女の頬に仁も伝播したように顔に熱が篭ってしまう、永い永い数度目の沈黙が再度流れた後に彼女の手が仁の手に重ねられた、普段冷たいはずの彼女の指先は湯浴みを終えた如く温もっており珍しいと感じた。

「私ものぼせ上がりそうなそうなほど、貴方様を想っておりました故」
「そ、そうか・・・それは、そうだな」

あまりにも不器用だった二人は互いにどう反応すべきかと俯いて手を取り合うだけであったが仁は触れたいと願い、彼女に顔を寄せて伏せられた長いまつ毛を眺めては静かに接吻を求めた。
顔が薄く上がり、蝋燭の薄明かりに照らされた彼女の素顔を眺めては顎先を指で撫でて口唇を傘寝れば二人は静かに沈みこんだのだった。

すっかりと蝋燭の火も切れた頃合、二人は素肌で身を寄せあっては互いを抱き締め合っていた、離れていることは恋しいものの愛し合う事がこんなにも心地よいと感じる頃、ふと彼女は仁の顔を覗き見ていた、まだ何か言いたいことがあるのかと後戯の刻を味わっていれば彼女は告白せねばならぬ事があると告げる。

「なんだ?」
「私・・・私は・・・」

仁はその真剣な眼差しに唾を飲み緊張感を走らせれば、真剣な眼を向けた彼女は声を出す谷にその眉を八の字に下げて仁の胸元に顔を埋めて情けなく告げた。

「本当は夕餉の献立で夜枷を強いろうとした浅ましい女なのです!」

いっそうのこと自分は切腹すべく存在なのだと嘆く彼女に仁は抱き締める腕に力を込めては彼女の髪に顔を埋めては安心したような表情を浮かべて強く感じた。
胸の中で喚く彼女も気にはせずに仁はあまりにも不器用な誘い方をする妻に胸を温かくさせては嬉しそうに告げる。

「お前の飯ならいくらでも喰らおう、それに誘いなら昼夜問わず何時であろうとも俺は喜ばしいぞ!」

声に覇気を込めて告げる彼の言葉に彼女は自身の浅ましい考えからの誘いに対して、さらには度量が広い彼の言葉にますます羞恥心が昂りもう何も言い返せぬと彼の胸に顔を埋めれば互いの心臓は心地よいほどの音を奏でるのだった。

2025.05.29