あれからさらに一年が簡単に過ぎ去る頃、ジモは忙しなく震えるスマホに苦い顔をしつつ応答したと同時に耳を塞ぎたくなる声が聞こえた。
聞きなれた母親の声に現実逃避のようにジモは元気そうでよかったと返事をしつつもそろそろ着信拒否をしたくなるほど毎度決まった内容に彼はスマホを耳から離して溜息をこぼした。

『聞いてるのズーチャン!いい加減結婚をね⋯』

廊下に響いた声に顔も見えないが相変わらず元気なものだと遠い目をしつつ話を流し聞きしている頃、ふと視線の先にコルタックの者たちを見かけその中の一人を探すようにみていれば他の者よりも頭が一つ分ほど違う彼女がそこにいた、仲間たちに囲まれて笑う彼女に真一文字に引かれていた口元が僅かに緩まる頃、電話先の相手の声が廊下に響くかの如くさらに大きな声で怒鳴りつけた。

『チャイちゃんといい加減結婚の話くらい進めてるの!?』

静かな廊下は声が響きやすく全員の視線がジモに注がれた、それはもちろんスペックグルーの基地内にいたコルタックの者達にも聞こえているもので、聞き覚えのある名前に振り返るのは当たり前のことであり、ジモを見たあと自然とコルタックの中心にいた女性兵のチャイに注がれた。

「呼ばれてるぞ」

そう言って彼女の頭を軽く小突いたのは彼女の隣に立つホランギであり、ジモは視線が注がれる事に耐え切れずに適当に返事をして電話を切っては進行方向に背を向けて彼は来た道を戻った。

ジモの母は孫が生まれたことや、チャイのことを知っていたことからジモの結婚を急かしていたもののその話にウンザリしていたジモは通話を終えた後もあの叫び声に似た声が頭に張り付いて消えないようで思わずうんざりしてしまう。
ミーティングまでまだしばらく時間があるとコーヒーマシンでコーヒーを入れていれば背中を叩かれ振り返ればそこには件の彼女が微笑ましい笑顔でジモに挨拶をした。

加糖にミルクは多めにとスイッチを押して新しいコーヒーを入れて目の前の彼女に差し出せば小さな紙コップを受け取って、相変わらずジモの母は元気そうでよかったといわれ、先程の会話はやはり聞かれていたのかとジモは思わず気恥しい思いをしつつコーヒーを飲むフリをして隠した。
チャイがジモの母に知られたのは彼女がジモの姉に結婚祝いを送ったことからであった、乳白色のその食器を見た時確かに美しいと彼も感じたが白磁焼きと呼ばれる焼き方の其れを好んでいた母は彼女のセンスに惚れてはジモに執拗に彼女について教えろといい、折れた彼は同業者である旨を伝えて写真を見せたのがきっかけだった。

「そういえば私の事言ってたみたいだけど何かあった?」
「いや何も無いから大丈夫だ、あの人が勝手にお前のことを娘みたいに思ってるから騒がしく言うんだよ」
「本当?それなら嬉しいな、私もジモくんのお母さん大好きだし」

この間も漢方とお守り送って貰ったの。という彼女にいつの間にそこまでのやり取りをしているんだと思いつつ送られてきた漢方とお守りの写真を見せてもらうジモは今すぐに母親にクレームを入れてやりたいと思うのは仕方なかった。
子宝祈願と書かれた薄桃色のお守りにそれに関連した漢方をみて、先日ジモにも送られてきた漢方の効力を思い出して全く老婆心とやらは迷惑この上ないと奥歯をかみ締めた。

「弟達のこともよく手紙で気にかけてくれるし、本当に頭が上がらないよ」
「世話焼きな人だから、迷惑ならちゃんと俺から言うから」
「ううん、凄く嬉しいから気にしないで、それじゃあまたあとで」

コーヒーを飲み終えた彼女はカップをゴミ箱に入れてミーティング間近であることわ確認しては短い挨拶と共に背中を向けて行ってしまう頃、丁度やってきたチュイとグロムスコは彼女が去ったことと残されたジモにニヤニヤと楽しそうに近付いては彼をからかう。
任務前に恋人に会えるだなんて嬉しいヤツめという彼らにジモは苦し紛れに自分でも悩んではいることを告げた。

「俺とチャイは付き合ってない」

そう⋯二人は未だ恋人でも婚約者でもなく未だに"友人"であり、それを聞いた両サイドは顔を青白く染めてそれぞれの言語で嘆きの言葉を告げた、しかしながらそれを言いたいのはジモも同じであった。
ふとジモの肩にチュイの腕が回されてどうしてなのかと問われてはジモも大変難しそうに言葉を漏らす。

「俺だって分からない」

其の理由が分かれば苦労などするものかと思いながらもポケットの中のスマホが震えて取り出せば一通のメールが届いていた。

『今年のお正月くらいチャイちゃんを連れてきなさい』

どいつもこいつも好き勝手に言うものだと思いつつ、三十年ほどの人生の中で初めて反抗期に近い感情を抱いているように彼は自分自身に感じるのだった。


◇◆◇


ジモに直接会えたのは二ヶ月ぶりだろうか、相変わらず元気そうでよかったとチャイは頬を緩ませた、基地に到着して早々に仲間に彼がいると知らされては少ない隙間時間に話でもしてこいと背中を押して貰えたことに感謝しつつ、身近な時間を堪能した。
彼との会話はどんなものでもよかったが彼の家族の話は楽しいものだった、彼の姉の結婚祝いに送った品々を彼の家族は大層お気に召した様子であり顔を合わせたことは無いものの小さな縁を結んだチャイなあれ以降彼の母親からごく稀に連絡を貰うこととなり、その内容は殆どジモへの心配であり彼を頼む。という内容だがその都度別会社である為申し訳なさを少しだけ募らせていた。

「何あともあれ凄くいいお母さんなんだよね」
「でも向こうへはまだご挨拶に行ってないんだろう」
「別に必要なものじゃないし」

ミーティングへ向かう道中、先程の会話について話をする彼女に対してオニはパートナーへの家族として挨拶は大切だと語った、他人であるとしても大切な人の家族を疎かにするなど自分の家族を何よりも大切にする彼女である為、意外だと思いつつもそれが母親であるならなおのこと大事にしてやらねばと彼が語るものの彼女は眉を下げて難しい顔をした為、そこまで悩むことがあることに仕事について後ろめたさでも感じるのかと疑問に思う頃、彼女はその場に爆弾を置いた。

「だってご両親に挨拶だなんて恋人じゃないんだし、重たくない?」

は?
ひ?
ふ?
へ?
ほ?

と声を出すと同時に任務の為に来ていたコルタックの面々は彼女を見下ろしたものの、本人は彼らの反応にもしや今どきは友人としても両親に挨拶に行く方が良いのかと一人納得した様子で真剣に考えているものの、震えた指が彼女を指さした、それはチャイの親友ともいえるホランギでありスペックグルーの基地内には彼の声が大きく響いた。

「お前たちまだ付き合ってないのかー!!」


◇◆◇


ジモとて彼女とはあの後交際に発展していると思っていた。
互いにようやく想いを口にしてあそこまでの関係に進めたとなれば言い逃れもできないもので、彼は責任を取る気で過ごしていたというのに彼女はあの日の翌日『これからも友達としてよろしくね』といったことから彼の想いは木っ端微塵に粉砕されたのである。

そうして関係が以前と変わらぬまま進んでいたジモにとっては生殺しにも等しいとは感じるものの、以前よりも確実に距離は縮まっていることは感じていた。
スペックグルーへの休暇申請を行い、数日間の休みを取った彼はサンフランシスコに足を運んでおり眩い太陽を感じつつも一人椅子に腰かけておりそんな彼に近付く人物が一人。

「お待たせ」
「どうだった」
「もうバッチリ大丈夫って、特に状態が悪くなければ定期検診も不要だって」
「そりゃよかった、なら飯に行こう」

退院後チャイは直ぐに仕事に復帰はしたものの重症であったことも相まって三ヶ月に一度の定期検診が義務付けられていた、いわれなければ行かないことが判明したのは彼女が退院して半年後であり、彼女の弟から直接ジモに向けて連絡が入り同じ国で過ごしていることや互いの移住地も知っていた為連れていくように言われてしまったのである。
勿論コルタック内での健康診断は受けているもののボルトを入れた足や火傷の経過などはやはり病院で詳しく診てもらうに限っており、受けていないことが判明するなりコルタックの上層部からは随分なお叱りを受けたと反省した様子で告げたチャイは相当重宝された存在なのだろう。

「この辺りにも慣れてきたよね」

ふとかけられた声にジモは口に含んでいた物を飲み込んだ、この辺り⋯というのは彼女の移住地であるサンフランシスコであり、たしかに彼はここ最近の休暇申請の際には自宅に戻るよりも彼女に病院の付き合いもあるためこちら側に来ることが多かった。
二人が昼食を食べる店もチャイの行きつけの店であり、頼んでいない間に餃子と杏仁豆腐が置かれ、それがいつものサービスだということにも慣れているほどだ。

「確かにこっちの方が最近はよく来てるしな」
「いっその事こっちに引っ越したら?家賃が安いところも多いよ」

チャイナタウンの方に知り合いが貸している賃貸が数件あるから安く借りられるという彼女の顔の広さには相変わらずだと思いつつも、ジモはやんわりとそれを断ったのは距離感を誤ってはならないからだ。

「車で通えるから、いつでも呼んでくれたらいいだろ」
「片道六時間も掛かるし、病院ももう大丈夫だよ?」

彼の提案はとても有り難いものであり、共に過ごせる時間は心から嬉しいものだった、しかしながら同じ州だとしても距離があるため車で通えなくはないが負担が多く申し訳なさは当たり前の如く感じていた。
その表情を顔に出して物言いたげにする姿に彼は彼女が食べようとしていた杏仁豆腐の上のクコの実を奪えば彼女の驚いた声が小さく漏れだした。

「俺が会いたくて来てるんだから、そういう風に思わないくていいだろ」
「それならいいけど⋯それより食べたの返してね!」

子供が拗ねたように頬を膨らませる彼女にジモは小さく笑みを浮かべてスプーンの上に乗せた杏仁豆腐を彼女の口の中に放り込んだ、冷たくて甘い優しい味が二人の胃の中に落ちていく、彼女が美味しいと呟けば彼もまた同じ言葉を繰り返した、料理の味よりも一緒に食べることへの喜びを互いに感じながら。


◇◆◇


しかしながらそんな二人の関係を黙っていられないのは周りであり、特にチャイにはいわないがジモには全員が口を揃えていうのだ。

「どうして未だに付き合ってないんだ!」

ジモは心を無にして帰ろうかと考えるものの肩に置かれた腕は逃さないと言わんばかりに強く掴んでおり、比較的まともそうなもう一人の男を見つめれば彼は視線を向けずに店員におかわりを頼んでおり尚のこと帰るかと考えた。

たまたま同じ任務に駆られていたジモは任務終わりの酒の席に呼ばれ同伴した、静かに隅で酒を飲む彼に絡んだのは彼とは度々任務を共にしチームを組んでいたホランギとオニであり、今回の任務においても彼らと手を組んでいたジモはいい仕事ぶりだったと互いを称えあったがホランギはどうやらそんな話はどうでもいいと言いたげに絡んできたのがきっかけでチャイの件について話をされた。

「セックスしたんだろ?」

さてはこいつはもう酔っているな?とジモは彼を疑ってかかったがサングラス越しの下の瞳を見る事は出来ず彼がどれくらい飲んだのかは分からなかった、そうした話はお断りだとジモが顔を背けて飲もうとするも肩を揺すられて執拗く言われてしまえば観念する。

「し、してない」
「嘘だな、絶対ヤッた面してるぞ、なんだよイけなかったのか?」

好きな相手との初めてのセックスなんてそんなものだと慰めに背中を摩るホランギの腕を払い除けて、本当にしていないとジモがいうものの納得しないホランギに何故そんなに確信的に聞いてくるのやらと思えば、彼曰く退院後の彼女が以前よりじょせいらしくなったからだという。
そんな物は杞憂だとジモはいうものの、実際彼女は以前より綺麗になったとは思わなくはなかったが、それでもセックスをしたかといわれたら微妙な話でやはりノーというしかないが、ジモは疲れて隣で静かに飲むオニにいい加減助け舟をと見つめれば彼の少し垂れた瞳がバッチリとジモを捉えた。

そしてオニはゆっくりと右手を上げて縦型に握り拳を作り、人差し指と中指の間に指を挟んでジモに告げる。

「初夜の失敗は恥じることじゃない」

これだからコルタック(下品)な連中は大嫌いなんだとジモはテーブルの上に置かれた誰が頼んだか知らないウイスキーのショットを勢いよく飲めば二人はさらに追加のドリンクを頼んだ、男達の夜は永い。


◇◆◇

『本当に散々だった、もう二度とアイツらと酒は飲みたくない』
「お疲れ様、きっと楽し過ぎたせいだね」
『チャイもいつもアイツらと飲んでるんだろ?無理せず嫌な時はホランギの奴くらいなら目潰ししてもいいぞ』

全く相変わらず彼に厳しいものだと苦笑いをした彼女はスマホ越しの彼の声にずっと頬が緩んでいた、先週の任務で一緒になったホランギとオニとの酒の席の愚痴をいう彼の言葉を聞くものの、あの二人のジモへの接し方は友人そのもので彼への信頼が厚い証拠だとも感じられるものだった。

ジモの仲間と違うもののチャイは彼らを好んでおり悪い人たちではないと擁護すれば彼もそれは理解しているがそれでも気にはなるものだと告げる為、心配症だと感じて笑って話をしては外を見つめた、空は雲ひとつ無い夜で満月が眩いほどに外を照らしており、ふと通話越しに人の声が聞こえたことに問いかければ彼は丁度日課のランニングをした帰り道であると言っており、任務が終えた後も相変わらず自分を追い込むのだと関心を覚える頃、満月が綺麗な夜であるという。

『本当だ、すごい満月だったんだな、全然気付かなかった』
「だからなんて事ないけど、今見てて綺麗だったから」
『なんて事無くはないだろ、一緒の空をみてるんだから』
「⋯なんだかロマンチストみたいだね」

綺麗だと呟く彼が言った言葉に気恥しさから、からかうようなことを言うと彼は通話越しに気恥しそうな声を出した、なんてわかりやすい人なのだろうかと愛らしさを感じていれば落ち着きを取り戻した彼が通話を切る前にいった。

『空を見てたらチャイのことを考えられる、同じ空の下で俺たちは繋がってるって』

それじゃあもう部屋に戻るからと彼は最後にそれを言い残してしまった事にチャイは思わず画面を見つめるが通話は終わっており、彼女は聞こえないからと彼の名前が残された通話履歴の画面を眺めては「ずるい人」と嬉しそうに悪態をついてベッドに仰向けに転がって天井を見つめた。

あの日からジモは不器用でもそれなりに好意を示すようになった。
分かりやすく行動で示す彼がまた'らしい"と感じるものの、その真っ直ぐさがくすぐったく思わず気恥しさに枕を抱き寄せて顔を埋める頃、古びた携帯が震える、それが意味をするのは一つだけであり応答を押した途端に聞こえてきた声に思わず頬が先程とは別の意味で緩まる。

あれからも家族たちと変わらずに過ごすチャイにとってやはり彼らは支えであり守りたい存在であり、彼らの声を聞くだけで喜びを感じる、休みらしい彼らと話をする頃、チャイの笑みを固めたのは決まった一言である。

『ジモさんとちゃんと上手くやってる?』

その言葉に通話を切りたいと思うものの、彼らは姉の言葉の詰まり方と下手な話の切り替え方にやはりまだ進展していないのかと察しては野次を飛ばすもので、そんなにも他人の恋愛が面白いものかと彼女はウンザリした。

「だからジモくんとはそういうのじゃないから、それじゃあね!」

ちゃんとご飯食べて沢山寝て学校も仕事も頑張りなさいと言い残して通話を切った彼女はウンザリしつつも、周りがそれほど認めてくれていることに感謝はしていた。
それでもジモとは付き合えない、それは互いの年齢や家族など、ありとあらゆる物が彼女にとっては難しいものであるからで彼女は眩い程の月明かりを見つめた、同じ空を見ている、それだけで満たされているのだと言い聞かせているのに他人がそれを許してくれないことがほんの少しだけ面倒くさいと思いつつも、ジモの事を想うと恋しく感じてしまうのだった。


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